【清水山城遺跡】
山城は、標高約210mの主郭を中心として北西・南西・南東の三方の尾根上に曲輪を配置した放射状連郭式の山城です。主郭からは高島一族が支配した高島郡中南部一帯、琵琶湖、対岸まで一望することができます。
全体的な遺構の特徴として湾曲した低い土塁が銃列を敷くように配置されています。また、畝状空堀群が主郭の南面と北西尾根の二か所に設けられています。畝状空堀群は近江ではあまり流行しない遺構です。永禄年間以降に高島郡に影響力を強める朝倉氏や浅井氏によって伝播された可能性が指摘されています。
【清水山城舘跡】
山城の南方に広がる山腹一帯には、「西屋敷」「東屋敷」の地名と共に土塁や道によって方形に区画された屋敷跡が残っています。一区画ごとに井戸が認められ、一つの生活単位を示しています。「西屋敷」の中央には南北に最大幅約10mの道(大手道)が縦断していて、「オウテ」「ダイモン」の地名も残っています。天台寺院「清水寺」の寺坊跡を屋敷に転用したと推測されています。
、、、高島市教育委員会資料より抜粋
場所は滋賀県高島市新旭町熊野本
国道161号線と並行して走る県道558号線(高島大津線)が、県道301号線(マロニエ通り)と交差する「平井交差点」で西に行くと突当りが「新旭森林スポーツ公園駐車場」です。その向かいの山であり、「大荒比古神社」の裏山でもあります。
車は「新旭森林スポーツ公園駐車場」に停めて徒歩で向かうのが良いと思います。

自分は「大荒比古神社」から「ショウログチ」、「エンショウグラ」、「ハコヤマ」を経て、住宅街を抜け「獣除けゲート」から進入しました。
看板の告示に従い「高島市教育委員会文化財課」に電話をしてから通行しました。
史跡清水山城館跡パンフレット、、、(高島市教育委員会文化財課)
図中の青い線が来るまでの行程、緑の線が徒歩での行程、赤い丸印が訪れた遺構群です。

「大荒比古神社」に向かう県道293号線からの清水山城遠景(写真右手方向が「新旭森林スポーツ公園」方向)

送電線の奥が清水山城方向

「大荒比古神社」鳥居
本殿の写真は失念💦
背後には井ノ口館(近藤谷遺跡)があり、獣除けフェンスをくぐって城域に入ることができます。(車での侵入はムリです)

本殿に向かって右手方向の住宅街に入り、山の裾野に沿って進むと城舘跡遺構が続きます。
「ジョウロウグチ」

「エンショウグラ」

「ハコヤマ」土塁

井ノ口館堀切

ここから谷川を渡り、住宅街を北上した突当りに「獣除けゲート」があります。
施錠されていませんので自由に入ることができますが、出入りの際は必ず閉めて鎖を巻き付けておくことがルールです。

ゲートに入るとすぐに直進「大手道・森林スポーツ公園」方向と、左折「西の谷川・城ノ口」方向の分岐があります。
まずは大手道を進みました。

「西屋敷群」
「大手道」標識
ここからは徒歩です。

西屋敷大手道

ダイモン
西屋敷虎口にあたる大門(ダイモン)

西屋敷、曲輪と土塁



西屋敷空堀


西屋敷堀切

西屋敷井戸


西屋敷大手道と土塁

西屋敷 加賀殿


西屋敷の西側にある高圧送電線鉄塔
南方向の眺望

同、北方向
主郭方向

鉄塔に通じる舗装道路

堀切と土塁
鉄塔に通じる舗装道路脇にも遺構がある(というか、遺構を分断している)

城の谷の突当り
ここまでが「城舘跡遺跡群」

大きな案内板が設置されています。
清水山城は、地元で「佐々木城」、中心部(主郭)は「城のテンシン」と呼ばれています。山城の遺構は、標高210mの主郭を中心に、南東・北西・南西の三方の尾根上に階段状に曲輪を配する山城です。城は背後となる響庭野方面が弱点とされるため、特に北西の尾根の防御を強めています。、、、パンフレットより抜粋

清水山城
縄張り図にて行程を示します。
小林先生作図、近江の山城をゆく・清水山城より引用(ブログ管理者加筆)

ここからが「清水山城」の城域です。

堀切

曲輪

主郭下
主郭下を迂回して奥(北)に北出曲輪群がある
主郭下左手方向が第二郭、第三郭方向

「主郭」
主郭がある高台

畝状竪堀
主郭斜面に彫り込まれた三条から四条の縦堀
下草が刈られ整備されているので分かり易いです。

主郭削平地
主郭の発掘調査では、6間×5間の常御殿と考えられる礎石建物跡が見つかりました。また、生活していたことが伺える土器や包丁・刀のツバ・建築に使われた鉄釘が約400本出土しています。出土した土器から織田信長が、高島郡を攻略する1570年ころまで存続していたと考えられています。


主郭礎石

主郭虎口

主郭北側の防御
土塁

竪堀

主郭からの眺望
東側、琵琶湖

北側、送電線鉄塔から西館群その先は安曇川

「第二郭・三郭」
主郭南端の先に副郭があります。

堀切
主郭尾根を鋭く分断しています

同、西側より

第二郭

二郭と三郭を隔てる堀切
その底部に切岸をロープ伝いに降りる。ここでも皮の手袋が威力を発揮。山城攻めには必須のアイテムです。

二郭と三郭を隔てる堀切
自然地形を利用したものと思われますが、10m以上の深さで。底幅は3m位の巨大な溝

当然三郭へもロープ伝いに登ります

三郭削平地と土塁

三郭南端の崖下には堀切を挟んで城舘遺構が広がる

ここで西屋敷群を抜け大手道に戻りました。
東屋敷群に向かいます。
その手前にある「ショウモンヤマ」

分岐を左に進みます。
「ジゾウヤマ」

「東屋敷群」
越中殿屋敷跡

ここから西屋敷群方向に抜けることができます

山頂付近に城郭が、中腹から山麓にかけて屋敷群が広がり、裾野には屋敷跡・犬馬場神社・仏閣が並ぶ広大な遺構で、その保存状態が良く一日ではとても周り来てません。
清水山城の詳しい情報が入ったパンフレットは、大手道から東屋敷に向かう地蔵谷の分岐に設置されていますが、もっと早くに手にしていれば更に分かり易かったと思います。
史料館的なものが付近にあればよいと感じました。
【清水山城】
《しみずやまじょう》
名称(別名);佐々木城
所在地;滋賀県高島市新旭町熊野本
城地種類;山城
標高/比高;210m/
築城年代;室町期
廃城年代;
築城者;佐々木越中氏
主な改修者;
主な城主;
文化財区分;国指定史跡
主な遺構;曲輪・堀切・竪堀・土塁、城舘跡(武家屋敷跡)
近年の主な復元等;
※参考資料、、、清水山城パンフレット、近江における佐々木一族(高島市教育委員会資料)、近江の山城を行く「清水山城」
地図;