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035 金沢城 鼠多門・鼠多橋復元@石川県金沢市 令和二年(2020)7月1日

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金沢城にまた一つ新たな名所が復元されました。
【金沢城 鼠多門と鼠多橋の復元】


金沢城公園西側の発掘調査を経て、2018年7月に着工
工期は当初計画より前倒しされ、2020年の東京オリンピック開催に合わせて完成させることになり、いよいよこの7月18日に竣工の予定です。




鼠多門と鼠多橋は、金沢城二の丸から玉泉院丸を経て金谷出丸(現在の尾山神社)に至る門と堀に架かる橋であった。
明治17年、城内に本部を置いていた帝国陸軍歩兵第7連隊(のちの第9師団)の火の不始末による出火で焼失。





【鼠多門の特徴】
金沢城三御門(石川門、河北門、橋爪門)と異なり連続した石垣内に門がある。
石垣の上に二層二階の櫓が建つ。
三御門の枡形門とは異なり、単体の門である。
城郭建築では唯一、海鼠漆喰(なまこしっくい)が「黒」で仕上げられている。

明治時代に陸軍により石垣で塞がれたため、藩政時代の城の入り口で唯一閉ざされた門となった。
そのため陸軍は、玉泉院丸からの入り口として「いもり坂」を整備した。
今回の復元により約130年ぶりに鼠多門からの出入りが復活する。




【鼠多橋】
金谷出丸と玉泉院丸を結んでいた橋。
当時は堀で分断されていたが、今は道路となって人や車が往来している。



なので通行を確保し耐震強度を満たすために、当時より高さは4.7m高く、長さは9m長く建設されている。
基本構造は鋼材ですが、表面を能登ヒバで覆って、まるで木造であるかのように美しく復元されています。




【鼠多門のいわれ】
1江戸初期に建築された際、土から大量の鼠が出てきたから
2門の壁の色が鼠色だったから
の2説があるそうですが、今回の黒色の海鼠漆喰をみると、2の方に軍配が上がりそうですね。

金谷出丸(現在の尾山神社)側には鼠多橋への接続階段と展望アプローチが併設され、鼠多門の優美な姿を見ることができる。









【金沢城】
《多聞が巡り隅櫓並び建つ加賀百万石の大城》

名称(別名);
所在地;金沢市丸の内
城地種類;平山城
築城年代;天正8年(1580)、天正11年(1583)
築城者;佐久間盛政、前田利家
主な城主;佐久間氏、前田氏
文化財区分;平成20年金沢城址として国史跡
近年の主な復元等;平成13年に菱櫓、五十軒長屋、橋爪門続櫓、橋爪一の門、
平成22年に河北門、いもり塀を復元、平成27年に橋爪二の門を復元、玉泉院丸庭園を整備
天守の現状、形態;
追記:兼六園は金沢城の外郭庭園として五代藩主綱紀が作庭、以後さらに整備され江戸時代を代表する大名庭園で、
水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並んで「日本三名園」のひとつに数えられている
地図;



※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
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