蜷川さんが亡くなった。
体調が悪いのは知っていたけど、突然の訃報に驚きと哀しみと悔しさと。
木村君のコメントを見てなおのこと。
「驚きと同時にものすごく悔しいです。自分が今あるのも、当時右も左も分からなった自分に
“人から拍手してもらえる厳しさと素晴らしさ”を教えていただけたからだと思います」と感謝。
「少し前に“俺がポシャる前にもう一度一緒にやろうぜ!”って言ってもらったことが、今頭から離れません」
と再びタッグはならなかった。
そっか、もう一度一緒にやって欲しかった。
蜷川さんのことは、拓哉の口からことあるごとに聞かされていた。
今の拓哉がいるのも、蜷川さんに出会ったからだと本人も言ってる。
そう言えば最近ワッツで蜷川さんの話してたよな~と思って
探してたらあった。
去年の1月16日の金曜日。
その時の日記をまた貼り付ける。
押上の駅から歩いて15分ぐらいのところに稽古場があって。。。
1996年1月15日放送
「スーパーテレビ情報最前線 SMAPに密着120日」
って番組があってね、拓哉が稽古場を訪れる映像とかあったのよ。
昨日はわっつ聞きながら、その光景を思い出した。
私はリアルで見てなかったけど、のちにファンになった時
友達に見せてもらった。
「盲導犬」で蜷川さんに出会っていなかったら
多分やってないし、いまここにいない。
もともとアンチだったし、ナメてた。
ナメてナメてナメてかかってた少年を
本気にさせてくれた蜷川幸雄。
その人に会わせてくれた、ジャニー喜多川。
そこで体験したことが、全てのスタートだった。
すごい自分を本気にさせてくれた。
本気にならない限り、全力にならない限り、存在する意味がない。
だから、知らず知らずのうちにがむしゃらにもなってたし
本気でやる事が必要最低限の事なんだなっていうのが
今でもずっとありますね。
盲導犬の舞台が、彼にとっての原点なんだろね。
ナメてかかってた少年が
何もわからないまま飛び込んだ舞台の世界。
頭が一部真っ白になり、うまくいかなくてトイレにこもって泣いたり
ゴミ箱蹴飛ばしたりってのは、よく聞いたけど
前へ歩くのがやっとの精神状態で
新宿のコインロッカーの前を通ると、気持ち悪くなった。
これは初めて聞いたエピソード
この盲導犬をたまたま見た人の感想がツイで流れて来た。
2F席から野次が飛んだ。
ヤメロヤメロヘタクソって。
野次を飛ばした男の人はそのまま出て行ってしまったけど
その野次は拓哉にも聞こえてたみたいで、セリフが途中止まったそう。
このまま舞台が止まるんじゃないかと思ったそうだけど
拓哉は踏みとどまった。
ズタボロだったんだね。
でも、昔の人が良く言うけど若い時の苦労は買ってでもしろって。
この舞台に出会ってなかったら、蜷川さんに出会ってなかったら
木村拓哉は存在してたんだろうか?
六本木の交差点で、スポーツカーに乗ってた拓哉が
歩いてた蜷川さんに
「そこのオジさんみっともねぇ~ぞ~」って。
俺言ったかなぁ?でも、言ったんだろうなぁ。。。
モダンボーイズから舞台やってないけど
またやる日が来るんだろうか。。。
今の拓哉と一緒に仕事をするふたりを見てみたかったんだ。
蜷川さんもそう思ってたんだよね
残念ながら叶わなかった
でも、蜷川さんとの出会いは拓哉にとっての財産。
出会えて良かった。
もうふたりのタッグを見ることは叶わないけれど
いつの日か、また舞台に立つ拓哉を見てみたい。
蜷川さん、きっと喜んで上から見てくれるよ。
お弁当の写真載せようと思ったんだけど
今夜は家の前に咲いてる白い花を置いておきます。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。