高架工事真っ盛りの岸ノ里駅 2013年09月01日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 高架工事真っ盛りの岸ノ里駅本線下りホーム。訪れる度に構内配線が変わっていた。7000系の冷房改造が完了した1990年頃の写真。
高野線、旧岸ノ里駅ホーム 2013年08月13日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 旧ホームといっても、現岸里玉出駅高野線ホームの延長位置にあり、現在でも帝塚山方にはホームが残っていが、天下茶屋方は現在と大きく異なる。写真は1985年に汐見橋線方面の直線方向が廃止されて以降、難波方面への分岐のみが急カーブとして残る時代。1990年頃、丸ズームがまだ元気に走る。
岸ノ里駅、汐見橋線仮ホーム 2013年08月11日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 1985年に高野線堺東方面と分断された汐見橋線。使用車両も6000系から吊り掛けの1521系に時代逆行。1995年8月まで汐見橋線は仮設ホームで運営された。写真は1990年頃。
岸ノ里駅高架化工事の頃 その2 2013年08月11日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 特急サザンが通過。当時のサザンは一部指定の場合指定席は2両、全車指定席の場合は4両ないし6両でした。94年以降、塗装が変わり、そしてあと数年で車両も10000系+7000系or7100系から、12000系+8000系or1000系に置き換わるのだろう。 1990年頃 南海本線 岸ノ里(現岸里玉出)
岸ノ里駅高架化工事の頃 2013年08月10日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 1983年に着工し、完成は1995年。12年の長きに渡り高架工事が行われた南海本線萩ノ茶屋~玉出間。高架後は岸ノ里駅と玉出駅が統合され岸里玉出駅が誕生した。写真は恐らく1990年頃の岸ノ里駅構内。工事の進捗に伴って幾度もホームの位置が変更された。
高野山世界遺産登録、そして2300系デビュー 2011年10月24日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 2005年3月31日、南海高野線に2300系がデビュー。当初は2連×2で2000系4連と共通運用、大運転に就いていた。同年10月改正で橋本以南がワンマン化され、2300系は主に2連でその運用に入る。そして2008年10月改正で定期運用で難波に顔を出す事は無くなった。 2005年5月2日 極楽橋
泉佐野駅付近高架工事 2011年10月20日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 高架工事真っ盛りの泉佐野付近。上り線は既に高架完了。そして電車は南海本線の主力種別だった「急行」。05年11月改正で、急行が日中から姿を消す事になる。 2005年7月19日 泉佐野
本業じゃない!?南海2000系区間急行離合 2011年10月15日 | 南海電鉄(和歌山電鐵) 南海高野線山岳区間を走行するための2000系。それも2005年10月改正で大運転が大幅に削減されたことで働き場を失い、一部は南海本線に転出。高野線でも橋本以北の平坦区間運用での充当が増えたことで、区間急行同士の離合を見る事も出来るようになった。 2007年2月2日 天下茶屋