人生における「ふしぎ」と、それを心の中に収めていく物語が人間を支えている。
世界には「ふしぎ」と「あたりまえ」があふれている。全ての人がそれを同じようには感じない。
何を「ふしぎ」と思い、それをどのように心の中に納めていくのか奮闘することが人生なのかもしれない。
私はいったい何者なのか。何のために生きているのか。どこに向かって生きていくのか。
人生における「ふしぎ」と、それを心の中に収めていく物語が人間を支えている。
世界には「ふしぎ」と「あたりまえ」があふれている。全ての人がそれを同じようには感じない。
何を「ふしぎ」と思い、それをどのように心の中に納めていくのか奮闘することが人生なのかもしれない。
私はいったい何者なのか。何のために生きているのか。どこに向かって生きていくのか。
「生きている最中に自分の一生をひとつの物語だと見る見方は、よりよき生きる助けになるかもしれない。」
こう書かれていたのはA.K.ル=グウィンの『ギフト 西のはての年代記Ⅰ』(2006年 河出書房)である。
物語は生きている限り現代を起点に解釈され、日々更新されていく。
人生はあたりまえの日常の中に、「ふしぎ」が満ちている。
「なぜ、このようなことが起こるのだろう?」
人生における謎に、意味を見いだしていくことが生きるということなのだろう。
そしてそれが人生という物語になっていく。
「いかにして私はここにいるのか」
自身の存在を深め、豊かにする役割を持つために、自分に起こった現象を意味づけ、物語として紡いでいく。
客観的に正しい事実として「科学的」に現象を説明できることはある。なぜ、私は失業したのか。
それは、雇い主が支払う賃金に見合うだけの働きができないから。期待に応えられないから。
それでも、それが私の世界に何をもたらすのか、
私の人生の中にどのように立ち上がってくるのか・・・それが私の物語となっていく。
これも、京都新聞2016年11月5日の記事から
川村妙慶さん1964年北九州市生まれ。アナウンサーとして活躍後、真宗大谷派僧侶になられた方。
川村さんに寄せられる悩み相談の共通点は「自分で答えをもっていて決めつけている」ということ。「こうあるべきだ!」と決めつけてしまうと、その答え通りにならない現実に対して腹立たしかったり、悲観したりして悩んでいるのだと。これに対して川村さんは自分中心に○か×かで答えを出さないようにするともっと楽になるよ、と声をかけられている。
「我」という字には「戈」という武器が潜んでいるように、自分を守るために相手を攻撃する時がある。自分の言動を正当化したり、注意されるとき素直に聞けなかったりするのも、この「我」の作用。
また、「高慢」にも、他者と比較して優越感を抱いたり、劣等感を感じたりすること。
「我慢」とはそんな心の働きが自分の中にあることを謙虚に認めることだ、と言われる。そうすれば周りの人のことも、認められるようになる、って・・・。これは、なかなか難しいですな・・・。
自分の「我」を押しつけるのではなく、また、人を上から見たり、下から見たりせずに、手を取って水平線を自分の荷を負って歩いていきたいものである。
川村さんは「これからが、これまでを決める」という言葉を最後に贈りたい、といわれている。過去は変えられないけれど、これからの生き方次第で「これで良かった」という喜びに変えていくことができる。
過去にどんな苦しみや悲しみがあっても、一人一人が「幸せ」と思える人生を創っていくことができたら、素敵だな。
ある雑誌(ニューモラル)で人生相談に対して答えられたコメントに衝撃。
相談は、「ワンマンな夫に悩む」と題して、家業の業績が悪化して従業員が辞めていく中、事務を引き受けた妻からの相談。
「夫のワンマンぶりがひどくなり、『前の女子社員のほうが使えた』だの『要領が悪い』だのとげのある言葉を投げつけられ、そのような暴言を吐かれると出て行きたくなる。自身も物覚えが悪いなど自覚があるし、夫もいらいらしているのだと思うが、とても辛く、子どもが高校を卒業するまでは、と踏ん張っているがどうしたらいいのか」
これを読んだら、なんてひどい夫!妻の辛い気持ちはよくわかる。なんとか、子どもが大きくなるまで待って、出て行くことを楽しみに我慢なさって・・・と思ってしまう。
ところが、その悩み相談の答えが素晴らしい。
「男性は一般的に自尊心が強く、弱音が吐けない傾向がある」とした上で、この夫は自分のことを信じて付いてきてくれるあなた(妻)がいるからこそ持ちこたえているのだ、ということを伝えながら、とげのある言葉を投げつけられても、“こんな時に愚痴をこぼせるのは私しかいないのだから、なんとしてもこの人と厳しい危機を乗り切っていこう”と強い意志を持ち、明るさを失わず、「はい!」「ありがとう!」「ごめんなさい。」と言える自分になれるよう努力してみませんか?
というようなものだった。
目から鱗・・・。
さらには、「誰しも苦労や犠牲なしに人生の喜びを見いだすことはできない」ので、今は夫の心に寄り添い、喜びや苦労を分かち合っていく日々の努力の積み重ねから、「お互いの信頼と愛情を育んでいきましょう」と呼びかけられている。
「夫婦の力」や「家族の力」は危機を迎えたときにこそ試される。
だから、「いつか分かれよう」という消極的な考えではなく、夫の積極的なパートナー、最良の味方になるという前向きな意識をもって自分を磨いていきましょう!と。
なんて素敵!
そのような自分磨きができれば、自分の霊性が磨かれ、成長していけるのだろう。
なかなか、人間(凡人)の力ではできない。
神がそこで支えてくださるもの、と考えて、ぜひ、踏ん張ってほしい。
その苦しみを乗り越えたところに、本当の夫婦愛が感じられる、と信じて。
その妻の努力が、夫にも伝わればいいな・・・。
京都新聞 8月15日(火)の為末大さんの「現論」が興味深い。
認知心理学においては、「人間の記憶は曖昧で、無意識に再編集される」ことが、よく知られているらしい。
カリフォルニア工科大学下條信輔教授が高校生アスリートを対象にした実験において、試合前に「あなたは試合に勝てると思っていますか?」と質問し、さらに試合後「あなたは試合前に勝てると思っていましたか?」と質問する。「勝てる」と言っていたアスリートは、実際の試合に負けた後では、「試合前には試合に勝てると思っていなかった」と記憶を無意識に書き換える傾向にあったらしい。
過去の出来事は変えられない。しかし、その過去をどのように解釈するのか、それによって人間の記憶は変化する。その上で、為末大さんはトップアスリートは「未来に希望を持てるように、過去を再編集する癖がついている人々」と解釈している。
では、トップアスリートは、実際の試合に負けたとしても、無意識に「これは次の試合に勝つための布石に違いない」と前向きに捉えるのであろう。
「人間は現実ではなく、物語を生きている。」これが為末大さんが競技人生で学んだことだと言っている。物語が変われば、過去も未来も、現在見える世界も変わる。世界の頂点で戦い続けるトップアスリートが、常に希望の持てる未来を創ることができるように物語を創っているのだとすれば、私達もまた、輝かしい未来を創るために物語を創ることができる。
為末大さん:1978年広島市生まれ。法政大学卒業。陸上男子400メートル障害で、2001年、05年世界選手権で銅メダルを獲得。オリンピック00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。