許せないことってありますよね。絶対自分が正しくて、相手をなんとかしたいって思うことって。
聖書はこの終わりの時代に、人々が「全く人に同意しようとしせず、中傷し、自制心がな」い人となる、と予告していました。(テモテ第二3章3節)
そうではあっても、クリスチャンは道理をわきまえて行動することを自分たちの取り組むべき課題です。
それが幸せな生活を送るための扉でもあるんです。
使徒パウロも「あなた方が道理をわきまえていることがすべての人に知られるようにしなさい」(フィリピ4章5節)と助言しています。この言葉の意味は、決して自己満足ではなく、他の人たちから見て「道理をわきまえているひとだなあ」というように見てもらえるように努力することかたいせつということです。
「道理をわきまえる」ための努力点は、次の3つです。
①進んで許すこと
人はだれでも間違いをするものです。その時、処罰を加える恐ろしい者となるよりも、進んで許しを差し伸べられる愛ある者となりたいものです。「必要な場合は毅然とし、可能な場合は哀れみ深く」ありたいと思います。
②状況の変化に応じて柔軟に
自分の中の規準では許せないことがあったとしても、進んで謙遜さを示し、相手の気持ちをくむように順応性を示すべき時があることを心にとめておきまよう。人を統制するためとしてでなく、心を動かすために努めることができたらなんて素敵でしょう。
③自己吟味をすること
自分の好みや考えを他の人に押しつけません。たとえ自分の子どもであっても他の人ですから、支配しようとすることは避けるべきです。もちろん、他の人に期待することはあるでしょう。促すことはしたとしても、圧力をかけるのは控えます。また、他の人が努力しているならそれを高く評価しましょう。相手の立場に立って思いやることができたら素敵です。していないことではなく、していることに目を向けます。
許せない、と思うときにも、人の言うことに耳を傾けましょう。
そして、相手を下に見て自分を高めるのではなく、何が何でも自分を優先するのではなく、手をつなぎ、友となりましょう。
そうした方が幸せな人生を送れるっておもいませんか。
ああ、私も、そのように努力したい!
塔94 8/1 参考
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