先週終ってしまったけど
NHKの朝ドラ 「虎に翼」を見ていた。
今までの朝ドラとはちょっと違うという声が
あちらこちらから聞こえていたけど
私はこのドラマ とても好きだった。
昭和6年位からの話
この時代の女性は女学校を出たら結婚し、子を産み、家庭を守るべし。
それが当たり前の時代。
このドラマの主人公はそんな考えに納得できず
大学で法律に出会い、女性初の弁護士、そしてのちに
裁判官になる。もちろんその道は険しくて、見ていてこっちまでハラハラしたり
悲しくなったり。
弁護士になるまでの大変な事や、やっと弁護士になったというのに
女の、しかも独身の弁護士には待てど暮らせど
全く仕事が来なくてとても歯がゆい思いをしたり
女というだけで、こんなにも生きづらいんだなと
しみじみ思ったり。
そんな主人公の人生だけじゃなくて、
その母親の毅然とした芯がある女性の生き方が好きだし
家に学校の友達が集まって楽しそうにしてる時
一緒に暮らしている兄のお嫁さん(主人公の幼なじみ)が
急に泣き出すシーンがあるのだけど
そんな気持ちがなんだか手に取るようにわかって、
それは姑さんにいじめられてるとかではないのだけど
やはり嫁というのはその家で自分だけが他人
家の事をちゃんとやっているのに、
ひとつもほめてくれることはなくて 悪気がないのだろうけど
なにかと言うと娘の事ばかり話題になって
自分だけが置いて行かれたような気持ちもわかって
「ああ、そうなんだよな」って感じることが多い
戦争中や戦後間もないころの日本をドラマにしたものは、
だいたいが暗い 物が少なくて食べ物も満足に手に入らず
楽しい話題も少ないだろうから
暗くて辛くて寂しい感じのものになっても当たり前か。
生活は日々色んなことがあって、その時々で特に大きなことよりも
小さな、本当に些細なひとことや表情に深く傷ついたり
じんわりしたりすることがある。
戦争を経験してないので、それがどれだけ大変かは
わからないけど、経験した人にしてみれば
今の時代は、何て豊かなんだろうと思うのだろうか。
戦争がないってきっとそういうことなんだろう。
ただ、自分の親世代の人や、もっと上の世代の戦争を経験した人が
「今の人はしあわせだよ、物が何でも揃うし
昔は本当に物がなくて大変だった」ってなことを言うけど
それもどうなんだろう?
今は物はあるけど、だからと言って
それだけで今の人がみんな「しあわせ」かと言うとどうなんだろう?
生活の物や食べ物がすぐに手に入るってそれは「便利」とは思うけど
簡単に「今の人はしあわせですよ」と決めつけるのは
違うと思う。物の豊かさと気持ちの面での幸福感は違う。
何をどんなことをしあわせと感じるか
しあわせっていう感覚も一人一人が違うだろうし。
子どものいじめや大人になってからのハラスメントなどは
時代とともに悪質になっているし
災害やコロナや事件、事故で命を落とす人も多いし
仕事や人間関係で苦しんでいる人もとても多い時代じゃないかな。
そんなことを考えると
「この時代はしあわせだ」とか「あの人は不幸な人生だった」なんて
そんな一つの時代や人の人生をひとくくりにはできないはず。
自分の大変な時と比べて人のことまで
簡単に決めつけるのが、好きではない。
だけど苦しいことも悲しいことも幸せも、よくよく考えたら
どの時代にもどんな人にもあるんじゃないか
その人その人のそれまで生きてきた時々の
撮った写真を数枚見て思い出したら きっとそうじゃないかな。
「あ、このころはいろんなことで悩んでいたなぁ」とか
「この時代が自分の中で一番充実していた」
「この年頃は何をやっても楽しかったんだろうな」とか
「毎日が苦しかった数年だったかな」なんて感じでね。
生活の中での小さな喜び、しあわせ、充実感、悲しい事、苦しみ、悩みは
時代に関係なく そこら中にあるんじゃないかと思う。
このドラマの主題歌
「さよーなら またいつか」も とても好き
どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった
見上げた先には燕が飛んでた 気のない顔で
もしも私に翼があれば 願うたびに悲しみに暮れた
さよなら100年先で股会いましょう心配しないで
いつの間にか 花が落ちた 誰かが私に嘘をついた
どちゃぶりでも構わず飛んでいく その力が欲しかった
誰かと恋に落ちてまた砕けてやがて離れ離れ
口の中はたと血が滲んで空に唾を吐く
瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ
100年先も憶えてるかな
知らねえけれど さよーなら またいつか
米津玄師はいい歌作るなぁ。
朝ドラって不思議なもので
私は最初の数回は、何となく見ていて
主題歌もそれほど気にせずに聞いたり聞かなかったり。
それを何度か繰り返してるうちに
「あれ?この歌 いいな」なんてなって
いつの間にか口ずさんでしまってる。
「さよーなら またいつか」
良かったら聴いてみてください。
(327) 米津玄師 - さよーならまたいつか!「虎に翼」OPタイトルバック・フル Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka ! - YouTube
はじめまして
他から引っ越してきました。
以前はナチュログで書いてました。
こちらもよかったら。
ご紹介、ありがとうございました。
いろいろ情報交換できる、ブログでのコメント交流、いいものですね。
応援ポチ(全)。
読んでいただいて、とても嬉しいです。
今まで他で書いてたのですが
ブログが変わると他の方との交流ができるかな?と
楽しみにしています (^O^)
これからもよろしくお願いします。
ブログ、読ませていただきました。
で、ひっそりとコメント(笑
昔「自分の幸せは自分が決める」という一文を見て
自分の価値観を持っていないとしあわせは計れないな、と思ったことがあって
いまだに自分の中でときどき反芻したりしている。
「だからどうした」の「今、どのあたり?」も小さなトゲのように刺さっているし。
でも自分の価値観はさまざまな体験から形作られるものと思っているけど
いまのようにネットの時間が多くなると
勝手に情報を押しつけられたり、
その人に合わせた情報が選択されて流れてきたりして
それが自分の価値観になったりしてそうで ちょっと恐いな、と思っています。
それと近年デジタルの海に溺れているような感覚があって
Dekoponさんのネタがけっこうそれを想起してしまって。
「食べるってどういうことなんだろう」の片手間に食べる人たち。
「ただでは歩けない」のとりあえず歩いている人たち。
こちらの世界にはいなさそう。
「行動するか、しないか」の人も
ハグでリアルを感じたかったのかもしれないし
「欲しかったのはこれだったのかも」の聞き続ける女性も
無意識にでもリアルと繋がちたかったのかもしれない。
知らんけど(笑
「あの時の自分に会える手帳」では書く行為が能動的であって
手で触れて書くという行為がリアルだから、
売れているんじゃないかな、とも思いました。
テクノロジーの進歩で
人間本来の欲求が満たされないと感じている人たちや
リアルに感じて現実を確かめたい人たちが
けっこうな数いるんじゃないかとか
勝手に思ってます。
だからどうした(大笑
あら?こっちに来ちゃった?(*´▽`*)
いろいろなところに登録して記事を書いてみたのだけど
なかなか私にも使いこなせるところがなくて
いまだにうろうろしてます。
gooブログも使い方がわからなくて。
でも読んでくれたことありがとう。
さすがのORIONさん、また難しいことを!
・・・・・前の記事にもまだ刺さってるのか ( ゚Д゚)
〉でも自分の価値観はさまざまな体験から形作られるものと思っているけど
いまのようにネットの時間が多くなると
勝手に情報を押しつけられたり、
その人に合わせた情報が選択されて流れてきたりして
それが自分の価値観になったりしてそうで ちょっと恐いな、と思っています。
それはあるかも!
押し付けられてる情報なのに
その人が読みそうな情報をそれなりに送られてくるから
いつの間にか自分で選んだように勘違いして読まされてるんだろうねぇ。
〉テクノロジーの進歩で
人間本来の欲求が満たされないと感じている人たちや
リアルに感じて現実を確かめたい人たちが
けっこうな数いるんじゃないかとか
勝手に思ってます。
私もそう思います。
字を書くことや色を塗ること 他の情報を入れ込んだりの
面倒なことも自分の手を使ってやらなくても
あっという間にできてしまう
そんな便利な世の中になってるけど
実はそんな面倒なことを自分でやるのがいいのかもね。
〉だからどうした(大笑
文章の最後にこれ使う人いるねぇ (~_~メ)
いろんな言葉をいっぱい知ってるはずの人がこれじゃ
困りますねぇ。
何年か先にまた復活するだろうなー、とか思って
「だからどうした」のRSSを登録したままだったので
更新お知らせに、撒き餌のように「読んでください」って(笑
で、 もう復活してたんかぃって読んでみたら
タグに #コメント募集中ってあるから
ま、いいかなーと思って書いてみました。
>ただ、自分の親世代の人や、もっと上の世代の戦争を経験した人が〜
からの一文。
自分の大変な時と比べて人のことまで
簡単に決めつけるのが、好きではない。
私は不幸なんだ、不幸だったんだ、って
他人をうらやましがっているようにも聞こえて
そういう人はちょっと苦手。
自分の幸せを感じるのって難しいと思う。
「あ、私っていま幸せなんだ」って思うのは相対的なところもあって
そこの人が家庭内暴力で・・・・、いじめにあっていて・・・・、とか
それで自分が幸せっては思えない。
お休みに散歩してベンチに座ってぽかぽか暖かかったりしたり、
ヨメがマッサージしてくれたり(ホントは逆なんだけど。されるよりする方が好き)、
町で「あ、これヨメ喜びそう」って買ったちょっとしたものがハマって
喜んでくれたり。
そんなときに幸せを感じているような気がする。
dekoponさんはどんなときに感じます?
ああ、、、「相対的にかんじる幸せって本当の幸せなのかな?」
とか書こうと思っていたのにあいかわらず逸脱・暴走してるなー。
〉何年か先にまた復活するだろうなー、とか思って
「だからどうした」のRSSを登録したままだったので
更新お知らせに、撒き餌のように「読んでください」って(笑
実はナチュログにはもう何も書くことはないと思っていました。
ナチュログの時に知り合った数人には新しくブログを始めたら
いつになるかわからなくても知らせてほしいと言う人が数人いて
その方たちにこそこそ連絡をしていたのですが
何人か連絡できなくてブログをお持ちの方には
そっちでコメントできたのですがそれもできない人が何人かいたので
その方へのメッセージで送ってみました。
ナチュログ読んでくれてた人を
こっちへ呼び込もうとしたわけじゃないですよ (*´▽`*) アハハ
〉もう復活してたんかぃって読んでみたら
タグに #コメント募集中ってあるから
ま、いいかなーと思って書いてみました。
gooブログの使い方が良く解からず
あちこち触っていたら「コメント募集」とかもあるみたいなので。
いろんなボタンがあるから、人のを読んだ時に押した方がいいのか
いまだにわからない。
〉自分の幸せを感じるのって難しいと思う。
そうですよね。それは本当に思う。
誰かと比べて、とか自分のつらかったときと比べての今、なら
安心感かなとも思うけど人によっては
その安定して穏やかに暮らせることが幸せかも。
〉dekoponさんはどんなときに感じます?
夫が私のために選んでくれたプレゼントはどこかがずれてて喜ぶこともあんまりないし
(もともと贈り物の類が嫌いで)
マッサージは苦手なんでそういうことが幸せと思うことはないなぁ。
でも実はひそやかに幸せ感じることはあることはありますね。
言わんけど。
〉ああ、、、「相対的にかんじる幸せって本当の幸せなのかな?」
とか書こうと思っていたのにあいかわらず逸脱・暴走してるなー。
いつものことです。 ( ̄▽ ̄)
あっっはっは!
やっぱりdekoponさんのブログは書きやすかったです。
それに楽しい。
メイワクニ ナラナイヨウニ キヲツケヨウ.
>それもできない人が何人かいたので〜へのメッセージで送ってみました。
↑ ↑ ↑
私も「だからどうした」をRSS登録していたので更新を見つけられましたが
更新連絡が来るようなものに登録していないと
もう終了したと思ってみない人もいるかもですね。
いまの人たちはRSSなんて使わないんだろうな。
>夫が私のために選んでくれたプレゼントはどこかがずれてて喜ぶこともあんまりないし
↑ ↑ ↑
ふーん。
ズレているのも、(親しい人の場合だけだけど)
“なんでこの人こう思ったんだろ”とか考えるのは面白そう。
私はプレゼントをいただくのは苦手で
外れた時に(滅多に当たらない)よろこばなくちゃいけないのがストレス。
若い時は送られること自体がうれしかったですが、
トシが行くとなにか相手の熱意に「合わせなくちゃなあ」とか考えてしまい
そんなことも気の重さになってしまいまして。
ま、送ってくれる人がいることは幸せなんですけどね。
そういうことに疎いので
私にはRSSがよくわからないけど、お知らせが来るのは便利そうですね。
今回の私みたいに他のブログを始めて、以前のところに
何も書かなければRSSに登録しててもわからないってこと?
もう終了した、と思ってくれてると
助かります (*´▽`*) でもナチュログは訪れた人の「足あと」
というのが残ってて
更新してなくても来てくれてる人が何人かいるので
そんなことからこっちを読んでることもあるみたい ( ゚Д゚)
人の好みって長く付き合っててもわからないと私は思う。
私は動物や昆虫や魚は好きだけど、それをモチーフにした
飾り物や身に着けるものは全く興味なし。むしろ嫌い。
「あなたは生き物好きでしょ?」とプレゼントしてもらうのだけど
いやいや そうじゃないんだよなぁ。
ぬいぐるみなんかもらった日には
そういうのを部屋に飾る習慣もないので
「これ だれか欲しい人探さなくては」と思ったり。
でももらった時に露骨にイヤがるのもよほどの関係じゃないと
傷がつくかもしれないし。
ORIONさんが言うように、喜ばなくてはならないのも
なかなかのもので。
だから何かくれそうなときのために
「私はプレゼントやおみやげの類が嫌い」という話をちょいちょいしておきます。
それでも何かあげたがりの人はいるのだけどね。
旅行に行く人がいるときは
「私はおみやげ嫌いなので何も要らないよ。
でもどうしてもなんか買って来るなら食べ物がいいな」って
感じで先に手を打っておきます。
でも私みたいなのはめずらしいみたい。
そうはいっても
気に入らないものでも、プレゼントしてくれる人がいるのは
幸せなのかも知れないね。
いやいや そうじゃないんだよなぁ。
↑ ↑ ↑
あー、とても同感。
私は水生昆虫(や水中の小さな生き物)がとても好きだけど
そのぬいぐるみもカードもいらん。
でも生き物好きでしょって、生きたマツモ虫とかもらってもなあ。
ただ、水生昆虫図鑑というすごい情報量の本をいただいたことがあって
この時は読み進めるごとにうれしさが増していた。
フライフィッシングをしていたのでなおさらだったのかも。
>それでも何かあげたがりの人はいるのだけどね。
>〜感じで先に手を打っておきます。
「相手によろこんでもらう」のと「送る自分がうれしい」のを
勘違いしているのかな。
相手のよろこぶことを知るのは難しい。
いまだに妻が本当によろこんでいるポイントはわかりません。
さらにいえば自分が何によろこぶのかもはっきりわからないし。
西洋ではプレゼントのセオリーとして
「花、チョコレート、シャンパン」って言うらしいですよ。
どれも形で残らないから迷惑にならないので。
あとRSSって、
自分のお気に入りのサイトの更新を教えてくれるものです。
たいがいのブログサイト(ナチュログもgooにも)にRSSという機能が付加されていて
それを更新情報を検知するサイト(feedlyとかfeed readerとか)があって
そこに「きもちはでこぼこ」のURLを入れて「購読」にすると
きもちはでこぼこが更新されると一覧に出てくるのです。
いまの人はRSSリーダーを使わないって聞いたけど
たくさんのブログを読む日とはどうしているんだろう?
ときどき訪問して更新されているかどうか確認しているのかな?
ね、そうだよね。
生きてるところを観察するのが好きなのと
それに近いグッズを好きなのとは違うしね。
〉ただ、水生昆虫図鑑というすごい情報量の本をいただいたことがあって
この時は読み進めるごとにうれしさが増していた。
図鑑は楽しいよね。・・・って小学生か!
〉フライフィッシングをしていたのでなおさらだったのかも。
ORIONさん、フライやってたのね。
釣りは対象の魚が何を食べてるかを知らないとね (^O^)
〉「相手によろこんでもらう」のと「送る自分がうれしい」のを
勘違いしているのかな。
うん、うん、そうだと思う。
〉相手のよろこぶことを知るのは難しい。
いまだに妻が本当によろこんでいるポイントはわかりません。
送ったときに喜んでくれたとしてもみんな本音を言うとは限らないからね。
欲しかったのものでなくても
相手がそこまでの時間を使ったくれたのだということに
喜んでるのかも知れない。
〉西洋ではプレゼントのセオリーとして
「花、チョコレート、シャンパン」って言うらしいですよ。
どれも形で残らないから迷惑にならないので。
あ、そうなのね
食べたり枯れちゃったりして なくなるのは一番いいな。
花は花でもアートフラワーとかドライフラワーとか
ブリザーブドフラワーとかだと枯れずにほこりまみれになるから
単に「お花が好き」なんて言わない方がいいかも (*'ω'*)
〉いまの人はRSSリーダーを使わないって聞いたけど
たくさんのブログを読む日とはどうしているんだろう?
ときどき訪問して更新されているかどうか確認しているのかな?
たぶんそうだと思う。
私は好きなサイトを「お気に入り」登録しておいて
時間があるときに、見にいく感じ。
あとはブログごとに「読者登録」とか「フォローする」とか、しておけば
新着のお知らせが来るんじゃないかな。