~日刊スポーツより~
「五輪おじさん」の愛称で親しまれた実業家の山田直稔さんが、
9日午後2時55分、心不全のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。
あの「五輪おじさん」が亡くなりました。
64年の東京五輪からオリンピックの観戦を始めて、
それから50余年。
14度の夏季オリンピックには「皆勤」していたそうで、
本当に頭が下がります。
ワタシが印象に残っているのは84年のロサンゼルス・オリンピックですかね。
特に山下選手が負傷を押して金メダルを獲得した時の応援スタンドに、
山田さんの姿があったんではないかなあ。。。。
羽織はかま姿で金の扇子を振るあの姿、
オリンピック名物だったとともに、
いつも「えらいもんだなあ」と思っていました。
ず~っと見続けていたものだから、
いつまでも彼の姿、見ていられるものだと思っていた。。。。。
「東京五輪がワタシのオリンピック人生の集大成」
と語っていた彼の記事、
ちょうど先週読んだばかりでした。
もちろん亡くなっていたことなんか、これっぽっちも知らずに。。。。。。
そして「この人本当に、かっこいいねえ」なんて、
周りと話していたんです。
人間やっぱり、
「無くしてみて初めてその重さがわかるもの」
いっぱいありますね。
オリンピックといえば国立競技場ですが、
この国立競技場も、
生まれてこのかたず~ッとあったものなので、
閉鎖されて解体されたとき、
失ったものの大きさに愕然としました。
やっぱり時代が変わるという事なんですね。
それにしても山田さん、
大正15年(昭和元年)生まれという事は、
昭和、そして平成の2つの時代を、
最初から最後まで颯爽と生きてきたんですね。
見事な「観戦道」を全うされた人生、
お疲れさまでした。
その姿、忘れることはありません。
(ワタシもそうありたいものです)
それにしてもこの山田さんといい、
そして一時甲子園で注目を浴びたラガーさんといい、
東京の下町って、
こういう「粋だねえ」という「趣味人」を生む土壌があるんですよね。
ちょうど「いだてん」でオリンピックの昔からの歴史を楽しく追っているところですから、
山田さんも天の上から楽しく眺めて、
またあの扇子を振っていることでしょう。
NIPPON
胸にこの表記と日の丸をつけ、
日本のアスリートたちが生き生きと東京五輪を駆け巡ること、
期待しています。
合掌。