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選抜出場校 こんなこと思い出しました2018 その2

2018年03月01日 | 高校野球

思いつくまま、気の向くままの連載記事。
第2回は『関東編 その1』です。



≪選抜出場校の思い出 2≫


関東代表  中央学院(千葉)     初出場 
                            

中央学院というチーム。高校野球の世界で中央学院というチームは、首都圏に在住する”高校野球おやじ”のワタシでもなかなか見る機会に恵まれなかったチームです。この秋の関東大会、明治神宮大会で初めてこのチームを目の当たりにしましたので、この学校に対する”思い出”はゼロ。しかし千葉県は、過去40~50年にわたって考えると、選抜で時にセンセーショナルな登場をするチームを生むという土壌があると思います。そのあたりの思い出を少しだけ。ワタシが高校野球を見始めた昭和40年代から50年代初めは、まさに千葉県の高校野球は黄金時代。県内の高校野球勢力図は、銚子商と習志野の2強によって色分けされていました。この両校、まあ強かった。昭和49年には篠塚(巨人)らを擁した銚子商、そしてその翌年には小川(ヤクルト)がマウンドを死守する習志野が、それぞれ全国制覇を達成しました。そんな「2強時代」の中で、昭和52年秋にすい星のごとく登場したのが印旛高校。するすると県大会を勝ち上がると、勢いに乗って関東大会も初出場初制覇。好投手・菊池を擁して蒲原監督が指揮を執るチームでした。最初は新聞に「印旛」の文字が踊っても、ワタシは果たしてこの高校、なんと読むのかが分かりませんでした。この印旛は、菊池投手を擁したことと秋の関東大会を制したということで翌53年の選抜では「優勝候補の一角」とまで評価を受けていましたが、選抜では初戦で「西の横綱」と言われその年の夏の甲子園を制する”逆転の”PL学園と激突してしまい、ほとんど何もすることができずに敗れ去りました。しかしその後これを機にぐっと力を伸ばしたチームは、昭和56年には選抜準優勝に輝きました。その時の決勝の相手が因縁のPL学園。9回1死までリードも”逆転のPL"にその本領を発揮されての、逆転サヨナラ負けでした。無印での選抜ということでは、翌々年の八千代松陰もセンセーショナルでした。何せ開校まだ3年にも満たない学校でしたので、そのことが大いに話題となりました。左腕の荒れ球を武器とする中台投手というエースがいたなあ、確か。昭和59年には拓大紅陵が春夏を通じての初出場。指揮官は若き名将、小枝監督が指揮を執っていました。チームは8強まで進出、その後10年ほどにわたる黄金時代の礎を築いた年でした。最近でも、東海大望洋などは選抜が甲子園初登場で、地道に実績を積み上げようと奮闘中です。中央学院が、この選抜での「初登場」を礎に、これからどんなチームに成長していくのか、楽しみです。



関東代表   明秀日立(茨城)    初出場
                             

こちらも中央学院と並んで、まったく初顔のチーム。明秀日立といっても、まだまだピンとくるチームではありません。ワタシがこの学校の名前を聞いて思い出すのは、光星学院から転任してきた金沢監督が指揮を執っているということと、DeNAで昨年センセーショナルなデビューを飾った細川がOBで、その弟がこのチームのエースということぐらいです。それにしてもチーム構成を見ると、金沢監督らしく関西からの選手が大半を占めています。今や選手構成は「全国規模」というのが高校野球強豪校のお約束ですが、このようにある意味特徴のあるチーム構成というのは、関東のチームとしては非常に珍しく感じますね。金沢監督前任の光星学院や、鍛治舎監督の秀岳館など、いわゆる大都市圏(近郊)にないチームにはよく見られますが、関東のチームということでは非常に珍しい。『何も激戦の関東地区にわざわざ来なくても』と思わないではありませんが、どういった戦いを見せてくれるのかには、興味がありますね。そして常総学院、霞ケ浦などのチームの巻き返しにも、注目しています。




関東代表   東海大相模(神奈川)   10度目(7年ぶり)
                              夏10度出場 甲子園通算 38勝15敗  優勝3回 準優勝3回   

高校野球ファンにはおなじみの、というより、高校野球界を代表するチームの一つである東海大相模が久しぶりの選抜登場です。その東海大相模ですが、選抜出場はなんと2011年の全国制覇以来。改めて聞くと、これにはちょっとびっくりです。その間には2015年夏の選手権制覇があったりしたのですが、考えてみると2014年以来3年間、神奈川県勢としても選抜出場はありませんですから、仕方がないかもしれません。東海大相模といえば強力打線やドラフト候補の好投手を擁した大型チームを毎年作ってくるのですが、ここ数年の栄光をつかむまでには、いろいろと苦労した時期もありました。というか、その時期が長く続きました。そのあたりのことを書いた記事がありますので、そちらを読んでいただければと思います。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/9ce8b4436071db4ba7f409fa5f6e6315



関東代表  慶 応 (神奈川)     9度目(9年ぶり) 
                            夏17度出場  甲子園通算19勝24敗 優勝1回 準優勝1回

戦後生まれのワタシにとって、「慶応の野球」といえば大学のこと・・・・という時代が長く続きました。戦前には選手権第2回大会の優勝、第6回大会の準優勝など輝くような戦績が並ぶこの慶応ですが、ワタシが物心ついてから甲子園というものには全く縁がなく、さらに神奈川県の中でもせいぜい”中堅クラス”という位置づけで、代表争いに絡んでくるということはまずありませんでした。「やっぱり入試は難しいし、選手を集めることもできないから、仕方ないよなあ」とほんのり思う程度の学校でしたが、2000年代に入って学校の野球部に対する協力体制が変わってから、一気に神奈川の中でも強豪にランク付けされるチームとなってきましたね。とにかくチームに、野球に、そして学校に対する考え方が素晴らしい上田監督に率いられ、05年には選抜に勇躍登場。その初戦、ぎっしりとOBやファンで埋まり大声援を送る応援席、そしてそぼ降る雨。そんな中で甲子園常連校である関西に対して堂々とサヨナラ勝ちした試合は、感動的でした。そして08年には選抜に続いて選手権にも久々の登場。田村ー只野の2本柱の安定感が抜群で、聖地で3勝を挙げて8強まで進出しました。甲子園での戦いぶりも見事だったのですが、ワタシはこのチームで思い出に残っているといえば、なんといっても神奈川県大会の決勝。主砲・大田が神奈川県大会の記録を塗り替える本塁打を放つ東海大相模を向こうに回し、ぎりぎりの9回に追いついて、延長での歓喜の大勝利に、慶応の応援席は本当に沸いていましたね。ワタシはこの東海大相模のチームは「全国制覇も可能」と思っていたので敗戦に大いに落胆したものですが、その東海大相模を破った慶応が甲子園でその力を見せつける試合をしてくれたので、大変にうれしかった記憶があります。8強に残った時、この年は今年と同じ記念大会で神奈川から2校出場していたので、「もしかしたら、横浜と慶応という、神奈川勢同士の決勝があるかも」と胸躍らせたことを思い出しました。そして翌年は好投手・白村(日ハム)を擁して秋季関東大会、そして明治神宮大会までをも制して「優勝候補」の冠付きで臨んだ選抜でしたが、まさかの初戦敗退。それ以降何か歯車がかみ合わなくなったか、毎年神奈川県では有力候補に挙がるも、ずっと甲子園から遠ざかっていました。今年のチームは、その甲子園に出られなかった過去9年ほどのチームと比較して、突出して力があるわけではなく、秋の神奈川大会決勝ではライバルの東海大相模に決勝で0-12と大敗を喫していました。しかし、そのあとの関東大会で毎試合粘りを発揮して勝ち上がり、見事に9年ぶりの甲子園に登場することになりました。OBは待って、待って、待ちくたびれたことでしょう。そのエネルギーが、春の甲子園の銀傘を揺らす、そのことだけは確実でしょうね。




関東代表   国学院栃木(栃木)   4度目(18年ぶり)
                            夏1度出場 甲子園通算 5勝4敗   

関東の最後の枠にもぐりこんで18年ぶりの選抜をつかみ取った国学院栃木。栃木県内では、80年代ぐらいから作新学院、文星芸大付、佐野日大らの強豪と並んで常に甲子園をうかがうチームですが、なかなか甲子園にたどり着けず、またたどり着いたとしてもインパクトを残せずに去る、ということが続いているチームだと思います。作新学院は言うに及ばず、文星芸大付、佐野日大も甲子園での戦いを振り返ると「ああ、あの試合、すごかったねえ・・・・」とか「あの年のチームは本当に強かったねえ」というインパクトを残しているのですが、どうも国学院栃木にはそれはないなあ。。。。と思って記録を紐解いていると、ありました。強烈なインパクトを残していた試合が。前回の選抜出場、2000年大会の2回戦、九州学院との試合です。九州学院には反頭投手というエースがいて、素晴らしい球を投げる投手だったという記憶があります。その相手を向こうに回し、国学院栃木は8回まで2-1と1点のリード。そのまま逃げ切るかと思いきや、8回裏に九州学院の猛反撃を食らって2-5と逆転されてしまいます。反頭投手の出来からして「こりゃもう厳しいな」と思っていたのですが、9回に打線がつながる、つながる。なんだかあっという間に今度は国学院栃木が4点を奪い返して再逆転。そのまま6-5と逃げ切り、初めての8強入りを決めたのでした。チームは波に乗ってその後も快進撃。4強まで進出して、8強に進出した作新学院とともに栃木旋風を巻き起こしたのでした。ちなみにそれからしばらく、栃木勢は「暗黒の時代」に突入。甲子園のみならず関東大会でもほとんど勝つことができない10年ほどを過ごすことになりますが、作新学院の再浮上とともに、今では関東でも全国でも、しっかりと白星を積み重ねていける「強豪県」へと生まれ変わっています。



関東代表   日大三(東京)      20度目(2年連続)
                              夏16度出場 甲子園通算 49勝32敗  優勝3回 準優勝3回 

昨年に続いての出場となった日大三。昨年は桜井投手、井上選手、金成選手ら質の高い選手をそろえて全国制覇をも視野に入れたチームでしたが、選抜は初戦敗退、そして選手権も予選敗退と悔しい年となってしまいました。今年は昨年ほどのインパクトのあるチームとは思えませんが、まとまりと粘りで勝負の好チームとの評判です。果たして小倉監督の”江戸っ子野球”が再度甲子園を沸かせることになるのか。注目度の高い選抜になりそうです。チームの思い出は、昨年も書いていますので、そちらをご参照ください。

https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/21c6d838a5b6fe09d585c640c5648956



(つづく)

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