2018年の2月。
平昌五輪で、
日本中が盛り上がりました。
この大会は、
日本の選手たち(のみならず世界中のアスリート)が本当に【スポーツの良さ】を実感させてくれて、
改めて”スポーツのチカラ”を感じた2週間でした。
弥生3月は、
例年たくさんのスポーツイベントが百花繚乱の時期。
特に『春は選抜から』といわれるセンバツ高校野球大会が、
3月23日に開幕します。
一昨年、昨年に続いて、
センバツ出場校について、
ワタシが『思い出したこと』をまた今年も、
脈略もなく書き綴ることにします。
今年は10年に一度の記念大会。
ということで出場校は例年の32校から36校へ。
大会も盛り上がってくることでしょう。
北国をはじめ雪の降る日本海側の地域などは、
今年は豪雪で練習もままならなかったかもしれません。
しかしながら、
野球のシーズンはまだ始まったばかり。
”大甲子園”という大きな舞台に立つという幸運を射止めた球児たち。
「こいつは春から、縁起がいいわい」
なんて気楽な気持ちで、
大舞台を大いに楽しんでほしいと思っています。
去年までの2年間に書いた学校については、
今年は割愛させてもらいます。
それでは。。。
≪選抜出場校の思い出≫
北海道代表 駒大苫小牧 4回目(4年ぶり)
夏7度出場 甲子園通算16勝8敗1分
駒大苫小牧。最強の2004-06年の3年間、本当に強いチームでした。香田監督に率いられた”北の猛者”たちは、本当にあり得ないほど強かった。その後も東海大四や北海などが甲子園で決勝に進出するという大躍進を遂げて、北海道は今や高校野球の強豪地区の一つに数えられるようになりましたが、駒大苫小牧が現れるまで、なかなか甲子園での上位進出はなりませんでした。よく語られていることですが、北海道に初の栄冠をもたらした2004年のチームの前年、2003年の甲子園初戦、倉敷工戦での『大勝のはずが雨天コールドでノーゲーム。そして翌日の再試合で悔しい敗戦。』の悔しさが翌年の栄冠の礎になったというのがチームの躍進の始まりとされています。しかしワタシは、その2年前、2001年の2回目の出場が強く印象に残っています。初戦から強豪の松山商との対戦となったのですが、試合開始前、ワタシは当然のことながら、この年は戦力の整っていた松山商の圧勝を予想していました。しかし駒大苫小牧は、強豪を向こうに回しまったくひるむことなく打撃戦を展開。最終的には6-7と1点及ばず敗れましたが、それまでの北海道勢にはない「たくましさ」のようなものを強く感じて、印象に残ったチームでした。そして2年後の03年。雨天ノーゲームの翌日敗れたとはいえ、ノーゲームになった試合はすさまじい攻撃力を見せて、ますます印象深い「今後面白いチーム」としてワタシの頭の中にインプットされました。そして04年。初戦で佐世保実を破った駒大苫小牧。3回戦で対戦したのは日大三でした。直前に試合で優勝候補のPL学園を強打で粉砕してきた日大三は、打線でいうと全国制覇した01年、11年に匹敵するほどの迫力を持っていたと思います。ワタシはこの大会でそれまで、日大三が2度目の夏制覇するのではと思ったりしていました。そして試合。駒大苫小牧、日大三は両校ともに自慢の打線でノーガードの打ち合い。この試合を見ていて、ワタシは駒大苫小牧の「取られたら取り返す」たくましい打線に驚きを覚えて、「これは強い」という思いを強くしました。そしてこの試合に勝ったことで駒大苫小牧は完全に「俺らでも戦える」という自信を持ったと思います。そして次の試合でこの大会の「優勝候補筆頭」である横浜に対し、エース涌井をまさにボコボコに打ち込んで完勝。決勝では選抜優勝で春夏連覇を狙った済美と、これもまた球史に残る打撃戦を展開して粉砕。見事に北の大地に真紅の大旗を持って帰ったのでした。その後の2連覇、そして3連覇を狙った大会での田中将大と”ハンカチ王子”の投げ合いによる決勝での引き分け再試合。鮮やかに球史を彩るチームとして、輝いた3年間を過ごすのでした。こんなにセンセーショナルなチーム、空前絶後なのかもしれません。そしてその指揮を執った香田監督がチームを去るとともに勢いは完全に消え、「あの駒大苫小牧」からいつしか「あの」という言葉が取り除かれて、今日に至っています。その間、北海道では前述した東海大四や北海という名門チームの復権があったり、札幌第一などの新興チームの台頭があったり、勢力図も様変わりしてきました。そして駒大苫小牧は、初優勝の04年チームの主将であった佐々木監督が監督に就任し、ようやくチームとしての軌道に乗りつつあるというのが現在の姿です。今年のチームは、かつてを思い起こさせるほどではないものの、なかなかまとまったいいチームという印象です。本格的なチームの再浮上に向け、大切な大会になりそうです。
さて、『黄金の3年』については、渾身の一作である中村計さんの「勝ちすぎた監督」に詳しいです。この本、本当に”渾身の一作”というにふさわしい、こういう感じの「高校野球ノンフィクション物」の最高傑作だと思っています。ぐいぐいと物語に引き込まれてしまいます。機会があれば、どうぞ手に取ってみてください。
東北代表 聖光学院(福島) 5度目(5年ぶり)
夏14度出場 甲子園通算 22勝18敗
5年ぶりに選抜に出場する聖光学院。選抜は07年、08年、12年、13年に続いての出場ですが、なんといっても特筆されるのは夏の大会。昨夏まで11年連続の出場。群雄割拠の高校野球界にあって、11年連続出場というのはまさに金字塔という以外にはない快挙です。毎年毎年、県大会で追い詰められた場面は必ずあるのですが、その都度素晴らしい粘りと集中力を発揮して王座を守る。そんなシーンを、何度も見せられてきました。聖光学院の試合を見ていると、福島県大会の方がチームの「ド迫力」を感じられて、甲子園ではまだまだその真価を発揮していない、という気持ちがワタシにはあります。あの”ド迫力”を甲子園で見せられれば、もうとっくに4強、決勝・・・・いや、優勝まで届いているのになあ、というのが偽らざる気持ちです。それぐらい、戦力としてはもう「いつ全国制覇してもおかしくない」という戦力を整えている気がします。仙台育英、花巻東、八戸学院光星、盛岡大付らと『どこが東北勢として初めて優勝旗を持ち帰るのか』を常に競っているチームですが、まだその栄光に手をかけるところまでは来ていません。
思えば聖光学院が初めて甲子園に登場したのが01年夏。そう、21世紀に入ってからなんですね。最初の登場で明豊に0-20という屈辱的な負けを喫してから、聖光学院の快進撃は始まりました。この屈辱をばねにして・・・・斎藤監督は、本当に究極の「負けず嫌い監督」なのでしょうね。3年後の2度目の出場では、初出場時の「チーム全体が甲子園に対して、引いてしまっている」姿はどこにも見られず、「よくも3年で、こうも違うチームを作ったものだな」と感心しました。その後は甲子園出場が「日常のこと」になるにつれて選手の質も高くなり、たびたび甲子園でも「ダークホース」に上がる存在となってきました。歳内投手を擁した大型チームは全国制覇を狙いましたが、その年に東日本大震災が起こって調整どころではなく、結果を残せませんでした。しかしそのチームが敗れ去った時に斎藤監督が残した言葉が、ワタシの心に残っています。正確に言葉を思い出すことはできませんが、「この監督は、本当にいい監督だなあ」と思ったのを思い出します。その後は常に全国の上位をうかがうチームを作り続けており、「いつ全国制覇してもおかしくない」という空気をまとったチームとして毎年甲子園に登場してきています。斎藤監督も油の乗り切った50代中盤に差し掛かるころ、そろそろ「聖光学院の年」になってもおかしくない気も、しています。特に今年のチームは、監督自身が自信を持つ戦力とのこと。甲子園の風が聖光学院側にフォローに吹いてくれば、面白いことになってきそうな年です。
東北代表 花巻東(岩手) 3度目(6年ぶり)
夏8度出場 甲子園通算 14勝10敗
大谷翔平、そして菊池雄星。その輝ける日本の星を生み出した花巻東というチーム。佐々木監督に率いられ、本当に話題が多く、そして感動をたくさんくれるチームです。その野球に対する取り組み、そしてあの全力疾走とベンチでの声がけ。笑顔いっぱいのプレーぶり。そんな「愛されるチーム」だと思いますが、上の聖光学院らと同じく、「東北勢初の全国制覇」を本気で狙っています。今年はいったいどんなチームで甲子園に登場するのか、今から楽しみです。花巻東については、菊池雄星で夏4強進出した時の記事をどうぞ。
https://blog.goo.ne.jp/angeldad/e/61d20598e68dd303cb37895e9be6423c
東北代表 日大山形(山形) 4度目(36年ぶり)
夏17度出場 甲子園通算 15勝20敗
春の選抜に日大山形が帰ってくると聞いて、ワタシの心は浮き立ちました。なんでか知りませんが、ワタシが甲子園に観戦に行くとよく出てくるこの日大山形というチーム。36年ぶりと聞いて、まさかと思いましたが、36年前もワタシ、甲子園で彼らの試合を観戦していました。油の乗り切っていた星稜に対して、日大山形は不利の予想を覆して勝利をもぎ取った、そんな一戦でした。その日大山形。渋谷監督という人を語らずには、このチームは語れないと思います。70年代~90年代にかけて渋谷監督が指揮を執っていたころは、本当によく甲子園に登場してきたチームでした。当時はまだ、日大山形といえど地元の球児のみでのチーム編成で、しかも雪も今よりずっと深かったような印象もあり、室内練習場などの施設が充実していたわけでもない東北の球児たちは、常に甲子園では他の地区の後塵を拝する存在でした。そんな中で渋谷監督の率いるチームは、決して大型チームではなかったものの粘り強く勝機をうかがうチームで、たびたび甲子園では不利の予想を覆す勝利を挙げていました。75年の選抜では、金子投手という好投手がチームに勝利をもたらし、79年のチームは本格派の中山投手を擁して接戦をものにしての2勝。山形勢としては初の出来事でした。80年代になるとライバルとなる東海大山形が登場。日大ー東海大という高校野球における大学付属校の「2大ブランド」の【代理戦争】のような形で、毎年注目して県予選を見ていたものでした。対戦成績はほぼ互角(のような気がします)。しかしこの80年代から、日大山形も東海大山形も、出ても出ても、甲子園での勝利は遠いものになっていったという記憶があります。東海大山形は85年のKKコンビ擁するPL戦で29失点の大敗。これが山形県議会で取り上げられ、その後山形県の高校野球の強化が図られたとも聞いています。実際に92,93,95年とそれまでの低迷を打破するように、日大山形、東海大山形が夏の選手権で3回戦まで進出しています。そんな時代をずっと日大山形の指揮官として過ごしてきた渋谷監督が青森山田に転任して、日大山形は若干力を落とした感じになり、また新興勢力である酒田南や羽黒などが野球留学で選手の質を高めて県内の勢力図を塗り替えていく中、日大山形はそれまでのようにはなかなか甲子園に進出できなくなってきました。しかし06年、横手投げの阿部投手が好投し、ついに分厚かった壁を破って選手権8強に進出。特に3回戦の今治西戦は、山形県高校野球史に燦然と輝く激闘での勝利でした。延長13回表に2点を取られる苦しい展開の中、その裏に選手が反発力を見せて3点を取り返して大逆転勝利を飾ったのを見ていた山形県の高校野球ファンは、躍り上がったことでしょう。この年のチームは、その後準々決勝で優勝した早実の前に屈しましたが、終盤までリードを奪うという展開で、見事な戦いぶりでした。そしてそれから7年後。今度はシュートを武器にする本格派の庄司投手と鋭い打線がかみ合った好チームで乗り込んだ甲子園で、日大三、作新学院、明徳義塾と居並ぶ強豪を次々に撃破し、4強まで勝ち上がっていきました。昔からの持ち味である粘り強い攻守に加え、荒木監督は強力打線というエッセンスを加え、いいチームに仕上げて毎回甲子園に乗り込んできます。4年ぶりの出場となった昨夏の甲子園でも、強豪の明徳義塾に対して一歩もひるまない試合を展開。敗れはしたものの延長12回を戦い抜いて、健在ぶりをアピールしてくれました。今年のチームは果たして何をやってくれるのか。とても見るのが楽しみなチームです。
(つづく)
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