先日放送された、
ライバル物語 その2を。
江川-西本
のライバル物語をやったそのあと、
『松坂になれなかった男』
ということで、
1998年の夏、
伝説の試合となった
『横浜高校vsPL学園』
から、
PLのショートを守り、
延長17回に痛恨のエラーをした、
本橋選手のその後を追っていました。
このインサイドストーリーは、
本橋選手だけでなく、
あの試合に関わったすべての選手のその後を追った本が出版されており、
そこでの突っ込んだ取材と比較して、
あまりにも薄くなってしまったような印象が否めません。
本橋選手のストーリーに関しても、
彼の大学時代の苦悩や、
大学野球そのものになじめなかった話。
そして、
それでも諦めきれずに白球を追っていこうとしていたところなど、
はしょられている部分も多く、
かなりの”薄味”になってしまった印象が強いですね。
あの試合を経験したことで、
人生そのものが変わっていってしまった選手も多かったと思います。
5万人という大観衆の前で、
延長17回という極限を戦い抜いた選手達。
あの試合を自信にした選手が多かったのと同じくらい、
あの試合の呪縛から抜け出られなかった選手も多かったと思います。
その後の人生に、
『あの試合の選手か』
というレッテル(言葉が適切ではないかもしれませんね)は、
一生はがすことは出来ないと思われるからです。
それを自分の人生の中でどう消化していけるのかは、
それこそ自分次第だと思います。
多分あの試合を戦った両チーム30数人の選手で、
あの試合が野球人生のピークの試合だったといわない選手は、
松坂だけなのではないでしょうか。
横浜高校・PL学園という、
東西の高校野球を代表するチームの選手達。
ほぼ全員が、
『将来はプロ野球で』
ということを、
夢見ていたのではないでしょうか。
(そうでない選手も、頭の片隅にはあったでしょう)
その彼らが、
高校3年生(または2年生)という時代に、
『あの試合』
を経験することが、
その後の彼らの【野球人生】にどのような影響を与えたのか、
部外者では知る由もありませんが、
いい影響ばかりではなかったのも、
また事実なのでしょう。
実際にすごい試合の当事者になり、
その呪縛から逃れられなかった選手もいます。
昭和54年夏、
これも【横浜-PL】と並び称される延長18回の死闘、
【箕島-星稜】戦を戦った中にも、
その後厳しい現実と向き合わされた選手がいました。
延長16回に起死回生の同点ホームランを打った、
森川選手です。
高校野球のファンならば、
「1塁手がファールフライを転倒して捕れなかったあとに同点ホームランを打った選手」といえばお分かりになるかもしれません。
彼は当時2年生。
バッティングの選手でしたが、
決して長打を連発するタイプではなかったようでした。
しかしあのホームランのあと、
【あの感触】
が忘れられずに、
新チーム結成後、
バッティングの調子を大きく崩したそうです。
【あの一発】
を無意識のうちに追い求めていたそうです。
彼のバッティングの最大の特徴である
『右方向への強い打球』
は、
ほとんど出なくなり、
快音はずっと聞かれなかったそうです。
1年間本当に悩み続け、
『当然4番』
を張るはずだった打順は、
最後の夏甲子園にやってきたときは、
『9番』
になっていました。
それでも、
春のセンバツ優勝校である高知商と対戦したとき、
優勝投手・中西(その後阪神のストッパー)から、
強烈なタイムリーを放ち勝利に貢献し、
『男・森川ここにあり』
を見ることが出来たのには、嬉しかったですね。
だが、
その後社会人野球にまで進む森川は、
結局は『あの感触』を忘れることが出来ず、
野球人生の最後まで悩み続けたそうです。
それほど大きな、
野球人生を狂わしかねない出来事なんですね。
最近で言えば、
一昨年の夏の甲子園決勝で逆転満塁ホームランを放った佐賀北の副島クン。
彼の行く末が、
気になりますね。
しかしながら、
TVの企画なのでしょうが、
ああやって集まってワイワイと語り合える【あの日】をもてるとは、
なんと贅沢なことなのでしょうか。
一生の宝物だと思います。
勝っても負けても、
その後の人生にまで大きな影響を及ぼす甲子園の魔力、
すごいものだと思います。
だけど、
延長の規定が15回に変更された今となっては、
18回の時代のような
『死闘』
にお目にかかるのは、
稀だと思います。
個人的な感想なのですが、
延長は16回になると一気に動き出すという気がしていました。
先の見える『残り3回』の攻防は、
それこそ「死力を尽くしたもの」
になっていたからです。
15回では、
「最後の大勝負」
が始まる前に ジ・エンド。
15回になってから何回か、
甲子園でも引き分け再試合が起こっていますが、
ハッキリ言ってそれほど感動はしませんでした。
何回も起こっているから、
というのもありますね。
思い出しただけでも、
東洋大姫路 vs 花咲徳栄
早稲田実 vs 関西
早稲田実 vs 駒大苫小牧
鹿児島工 vs 平安
佐賀北 vs 宇治山田商
などがありますね。
ここ数年だけでも、
こんなにあります。
その反対に、
延長18回引き分けという試合は、
昭和40年代中盤から見続けていた私の記憶では、
甲子園では一度もありませんでした。
(最後があの【三沢vs松山商】なのではないでしょうか)
まあ、
地球温暖化で昔より明らかに気温が上がる中、
18回(2試合分)もやるのは、
選手の健康管理の面からは望ましいことではないのは明らかですが・・・。
高校野球(甲子園)ファンとしては、
・延長18回⇒15回へ
・準々決勝4試合⇒2日に分けて2試合ずつ
の2つの改定は、
本当に寂しい事です。
特に準々決勝、
何とか1日4試合に戻せないものかなあ。
その前か後に休養日を1日設けて。
お願いしますよ、高野連さん。