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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

スローカーブをもう1球

2011年11月04日 | 高校野球

『スローカーブをもう1球』

このタイトルにおぼえのある方、
かなりの高校野球通か、
スポーツノンフィクション好きの方とお見受けしました。

このノンフィクション、
あの【江夏の21球】を書いた故・山際淳二さんの、
代表作となったスポーツノンフィクションです。

長く長く読み継がれるこの本、
物語の舞台は、
群馬県立高崎高校。

この群馬県屈指の進学校にして、
福田赳夫、中曽根康弘の2人の歴代首相まで輩出する、
群馬県では前橋高校と並び立つ超名門校です。

地元での呼び名は『タカタカ』

そのタカタカ野球部、
この『スローカーブをもう1球』に描かれた1980年の秋、
見事関東大会を勝ち抜いて、
翌春のセンバツ初出場を勝ち取りました。

エースの川端投手。

小柄な右スリークオーターから、
おそらく120キロそこそこの速球と、
”超緩球”のスローカーブを操り、
関東の強豪を次々に葬り去りました。

その痛快な投球術と、
【元祖ID野球】のような頭を使った攻めを繰り返した痛快な快進撃が、
あたかも『野球漫画』のようだったのを、
創生期の山際淳二さんが掬い取って描いたのが、
この名作です。

時代が『巨人の星』よりも『キャプテン』に共感を与えていた時代の、
物語を超えた痛快劇でした。


ちなみに、
その3年前にはライバル・前橋高校(通称マエタカ)が松本投手を擁して選抜に出場。
なんと史上初(当時)の完全試合を達成したのでした。

何かにつけてライバル心旺盛なタカタカとマエタカ。
福田さんだか中曽根さんだかも、
そのマエタカの活躍にいたく刺激を受け、
「わがタカタカも」
と檄を飛ばしたとか飛ばさなかったとか。

そんな中達成された、
まさに”悲願”でした。

しかし、
桐生、前橋、前橋工、高崎商などの公立校がが覇を競っていた時代は徐々に変わり、
今では桐生一、東京農大二、前橋育英、健大高崎などの私立高も台頭してきて、
なかなか「タカタカ」が檜舞台に顔を出すチャンスは奪われていきました。

前回の大活躍から31年。

あの山際淳二さんも、
志半ばでこの世を去りました。

そんな『忘れられた』存在であったタカタカが、
今年29年ぶりに関東大会にコマを進めたというニュースを聞いて、
ワタシもムクムクと興味がわいてきてどうしようもなくなりました。

そして関東大会。

初戦の東海大望洋戦をしっかりと勝ちきったタカタカのナイン、
センバツのかかる準々決勝で、
地元・山梨第1代表の東海大甲府に挑みました。
東海大甲府は、
中日のドラ1・高橋は抜けたものの、
新チームは快進撃で山梨大会を圧勝。

この関東大会でも優勝候補の一角に挙げられる有力チームでした。

しかしのりに乗るタカタカ、
6回に連打で逆転すると、
エース島田がこの日もよく制球された速球と変化球のコンビネーションで東海大甲府の強打線を翻弄。
終わってみれば4-2と完勝で、
準決勝に進出。
ほぼセンバツを手中にしました。

80年当時、
関東から選抜への代表校は3校。
”選抜当確”ランプがともるのは決勝進出チームだけでしたが、
現在の関東からの出場枠は4~5校。
準決勝に進出したら、
よほどのことがない限り”落選”することはありえません。

話題性からいっても、
高崎高校の選抜出場は、
まず間違いないところでしょう。

おめでとうございます。

昨日の準決勝では作新学院に惜敗しましたが、
堂々とした戦いぶりでした。

来年がとても楽しみになりましたね。

先輩たちがなしえなかった甲子園での勝利。
30年の時を経て、
後輩たちが挑んでいきます。

頑張れ 高崎高校!!


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