ひとつは父が階段でしか上がれない寺での法事に行くと言って聞かなかった件。
これは、ある嘘をついて父を諦めさせました。
嘘はどんな嘘でも基本的には悪だと考えていますけれど…
自分(たち)の利益や欲得のためにつくのではなく、相手や第三者の安全や幸福のためが主眼なのであれば…
そしてその嘘によって誰かが傷つかないのであれば…
という条件で、許される場合もあるのではないかとも思います。
今回は、私と父双方の安全ももちろんありますし…
もともと無関係だった、従弟たち二人まで危険なミッションに巻き込むことになってしまったので、嘘をついてでも諦めさせるべきだと判断。
成功しました。
それでも、私の口からついた嘘だけでは諦めなかったのですが、再度叔父の援護を経て、ようやく諦めてくれました。
自分が行きたい、という感情だけで、我が子や親類の危険など顧みられなかった父。
他者への愛というのは、最終的にはエゴよりも下位のものでしかないんですかね。
前頭葉の脳が縮んで「道理」をわきまえられなくなると、誰でも最終的にはそう…なのでしょうか。
もしそうなのだとしたら、宗教的な「愛」や「悟り」の世界だって、脳が壊れたら失われるものだということになります。
昔は…古代の賢人やキリストやお釈迦様が生きた時代は…
脳が縮んだり壊れたりする前に、人は身体が先に老い衰えたり病んだりして亡くなっていたから、そんなことを考える必要はなかったのでしょうけれど。
医学の進歩が進んだ結果、他の全ての臓器や身体機能よりも先に、脳が壊れて小さく縮んでしまう、などということが起きたわけです。
それは果たして人間の幸福や、ウェルビーイング、良く生きるという観点からして、ポジティブなことなのでしょうか。
哲学や倫理なき科学技術の探究と進歩は、人間にとって歓迎すべきことなのかどうか。
そこが抜け落ちている科学者や技術者や医師が、むしろほとんどなのではないかと思われる現代の状況です。
先日、一瞬実家に立ち寄って一晩泊まって行った息子が言ってましたよ。
「経済や政治畑の人間が科学に口出しすると、ろくなことにならない。その口出しする人間が優秀であったり、自分が優秀であると思っているほど、よけいにタチが悪い」
と。そして…
「政治家や官僚や経済人の口出しはいらないから、哲学者や人文系の学問の専門家こそが科学技術の現場に口出ししてほしいんだよ」
「こんなこと考えてるの、僕が出会った日本の科学者の中では、まだ誰もいないけど」
だそうです。
このままでは、科学技術の進歩は人間社会をディストピアにして行くばかりである気もします。
AIの進歩とかも含めて。
すごく脱線しました。
話を戻します。
二つ目の危ういこと。
先日の記事「怪しい女」で書いた、元フリーアナウンサーを、撃退しました。
もともとの目的は、父に取り入って仕事を得ることだったのかもしれませんが、父があの通りなのを見て。
父がお世話になっているデイサービスの施設で、ボランティアでお話し会をしてくれる、という話になったのですが、それはやはり偽りで…
施設の所長さんと直接の話になったら、やはり高額な講演料を要求して来たそうです。
あらかじめ所長さんに、彼女は父の知り合いでもなんでもなくて、一切義理のようなものもない、ということ…
あまり信用せず警戒して接して下さい、とお知らせしておいたので、迷うこともなくお断りして。
そのまま退散して、それきりのようです。
良かった。
たぶん、父には利用価値がないし、お金を自分で動かすこともできない条件にしてあるとわかったので、もう連絡も来ないでしょう。
そういうわけで「階段落ち」もなくなったし、父についた悪い虫も退治されたので…
このままであれば、なんとか無事に来月を迎えられそうです。