結婚記念日の前日、横浜駅東口にあるイタリアンのお店『トラットリア・ビコローレ』に行きました。
ディナーはお財布に厳し過ぎるので、ランチで。
アペロール・スプリッツで乾杯。
北イタリアのリキュール、アペロールをプロセッコなどのスプマンテで割ったカクテル。
結婚して30年ですよ。
親より長く一緒に生活してる。
そして、人生の半分以上。
こんな男と30年、まあ、よくずっと一緒にいてくれたと思います。
ありがとう。
でも「割れ鍋に綴じ蓋」かな…笑
なんだかんだで、お互い楽しいことの方が多かったというのは、相性が良かったんだろうね、と。
アンティパスト盛り合わせ。
パスタその1。
ここのラグーソースはほんとに美味しい。
そしてパスタその2。
自家製サルシッチャなどの詰め物をしたラビオリ。
あ、ラビオリもパスタですよ。
ペンネやマカロニみたいなショートパスタも、あとラザニアも、ぜんぶパスタ。
古代中国料理で、すいとんみたいなのも、餃子みたいなのも、全部「麺」だったのと一緒。
ちなみにイタリアのパスタは、中国の麺がシルクロードや海の道を通って伝わったと思ってる人が多いですが…
古文書に残っている記録では、麺にもパスタにも約2500年の歴史があって…
ほぼ同じ時期に、シンクロニシティ的に、同時発生したものです。
ちなみに確認されている一番古いタイプのパスタは、ラザニアみたいな平たく伸ばしたもので…
一番古典的な麺は、すいとんみたいに小麦粉を団子状に丸めたものだったようです。
さて、セコンドはポッロ(チキン)です。
右の赤っぽいソースはマルサラソース。左のクリーム色のは、砂糖の薄いザバイオーネソースです。
これは超絶美味でした。
お安めの赤ワインもちょっとだけ。主に妻が飲んだのですが…
ペッピーノさんではなく、電車で行ったので、私もちょっとだけ味見しました。
ブドウはネーロ・ダーヴォラにフラッパートなどを混醸したものでしたが、私の好みではなかった。
ドルチェは、私はルバーブのソルベットとムースなど。
妻はウイキョウのジェラートとタルト。
甘いものと一緒に飲んだのは、カフェ・マッキアート。
お食事は以上。ごちそうさまでした。
今の私のお財布には、ランチでもこたえましたけれど…笑
そして結婚記念日当日は、ケーキを買って来てささやかにお祝い。
なんだかんだで、30年。息子が生まれてからでも、22年。
子どもが小さかったころが、人生の黄金時代だった気もしますが…
二人で、練馬の石神井公園で暮らしていた8年間も、今思うと楽しかったねと。
石神井公園も、今は駅前の景色が、まるで面影もないぐらいに変わってしまいました。
昔のほうが、のんびりしていてよかった。踏切が開かないのには往生しましたけど。
今は西武池袋線が高架になって、踏切はなくなったけれど、表情のない街になってしまった。
引っ越して来た今の家の周りも、すっかり様変わり。
この二十年は、夫婦としては子育てに奮闘した時期でしたが…
世の中は、すっかり「自己責任」の言葉のもとに、弱者が見捨てられ、踏みにじられ…
それだけでなく、中間層、中流が崩壊して、弱者が大量生産された時代でもありました。
自分自身では「弱者になった」と気付かないように、うまーくコントロールされつつ。
「日本っていいなあ」「日本最高!」のマスコミ宣伝に、大衆はすっかり酔わされたその陰で…
日本の世界的地位はどんどん低下し、国の富は「アメリカさん」と「上級国民さま」に吸い上げられて。
みんなが気がつかないうちに、国民は羽根をむしられ、肉を削ぎ落されて…
このままだと「ガラ」だけになるまで引っぱがされた末に…
「もうスープの出汁にするしかない」となったところで、煮え立った鍋に放り込まれることになります。
その過程が、痛いし熱いしで、耐えられないから…
この十年あまりは「愛国心」「美しい国」という鎮痛剤、モルヒネを与えられて来たけれど。
いつまで耐えられますかね。
2015年ごろまでは、私も頑張って、デモだ集会だ署名運動だと直接行動していたのですが…
力尽きてしまいました。
過激な行動なんかじゃないですよ。日本以外の「西側諸国」では(米国では州によりますが)…
そうしたもの全てが、民主主義国家の国民の正当な権利であると、教科書にまで書いて学校で教えています。
それを「普通の人はやらないこと」というなら、やっぱり、中ロ北朝鮮の仲間になった方が相性がいい。
なんていうことさえピンと来ないなら、それほど私たちは「洗脳教育」を受けて来たということです。
「西側諸国」の現実を知らされることなく。
一方、仕事を通じて、少しは社会を変えるお手伝いができるか、と試みてもきましたが…
それもことごとく失敗。
これからの人間の暮らしの方向性を示していると、一瞬は思った…
イタリア発の「スローフード」からの「スローライフ」運動も、無残な成り行きになってしまいました。
(スローフード協会には、本当に失望させられました)
かくして結局は、敗北と失敗の人生になってしまいました。
まあ「サヨク」「左巻き」というレッテルを貼られたら、もう「世間」というものから敬遠されてしまう…
そんな社会の雰囲気が完成されてしまっていた状況で、失敗は必然だったのかとも思いますけれど。
自分の力不足だけでない、とはいえ、駄目だったことには変わりない。
息子たちの世代に、真に平和な暮らし、思う存分自分の力を発揮できる環境を、渡してあげられなかった。
むしろ、私たちの若い頃より不安定で、しかも貧しい社会状況を作り出してしまった。
そこには、忸怩たる思いがあります。
正直言うと「自分はもう歳なんだから」という考えで…
あとは自分が老後を平穏無事に過ごして、出来たらラクに逝ければそれでいい。しょうがない。で済ませている…
こういう社会を作り出してしまった責任など感じていない。というか何が問題なのかも考えない…
無責任で社会性の低い高齢世代の人々に「お前らのせいだ!」と罵声を浴びせたい気持ちですけれど…
そんなことをしたところで、何かが変わるわけじゃない。
すべては教育の敗北ですけれど、それ以前に「戦争の敗け方」で決定的にしくじった、初期条件があったし。
そこはアメリカのせい、といえばそうなんですけれど、もう今となってはどうしようもない。
まあ、息子たち若い者に土下座して謝りながら…
最期まで「本当はこうなんだよ」ということを…
多くの人から耳をふさがれない塩梅を探りながら、言い続けるしかないです。
ただ私も独り者か、もしくは夫婦だけならまだよかったんですが…
子どもを作ってしまった以上、人の親として、自分の子は守らなければならない。
なので、息子に害が及びそうになったら、余計なことを言うのはぜんぶやめて沈黙します。
あと、日本の癌を取り除くためには、もう血を流す手術と似たような過程が不可避かもしれないので…
そこで生ずる、日本人みんなの「痛み」を和らげるための、モルヒネみたいなものは否定しません。
麻酔なしで開腹手術するなど、非人道的で残酷過ぎることですから。
あとは「パンとサーカス」を与えて支配しようとした、古代ローマ皇帝より冷酷な…
「パン」を奪い、「サーカス」だけで生きることを強いる、今の政財官マスコミ界の上層部の仕打ちに…
国民がどこまで耐えられるか。耐えられなくなったときにどんなことが起きるのか、ですね。
まあ「サーカス」だけでごまかそうという時点で、まともに「統治する」気さえないのがわかります。
やっぱり奪うだけ奪い取って、外国に売り渡して、最後は「不沈空母日本丸、大陸に向けて特攻せよ!」…
という結末にするつもりだったんでしょうね。そして、今もそのシナリオは続いている。
その道筋を確定した人物を、国葬にするなんて、どんなブラックジョークだったのか。
結婚30周年の話が、変な方向に行きました。すみません。
でも、そこに言及しないではいられない、この30年だったのです。
思えば世界の狂いっぷりが加速し始めた、2001年の9月11日は、8回目の結婚記念日をお祝いしていました。
食事をして、帰って来てテレビをつけたら、ツインタワーに1機目の飛行機が突っ込んだ情景が映っていて。
それから10日あまり後に、うちの息子が生まれたのでした。
なんだか、何とも言えない符号ぶりというか……
こんな時代に生まれて来させた息子に、なんというべきか。
まあ「ごめんなさい」しかないのでしょうかね。悔しいです。