KANON廃園

スタジオカノン21年間の記録

2006年の仕事②〜再び回り始めた恋の結末は・・・

2020年06月14日 | カノンの記録

ハチミツとクローバー 第2期2006年6月〜9月放送(全12話)

原作 羽海野チカ

監督 長井龍雪

監修 カサヰケンイチ

シリーズ構成・脚本 黒田洋介

キャラクターデザイン島村秀一

総作画監督 吉田隆彦

美術監督   柴田千佳子

色彩設定   石田美由紀

撮影監督 大河内喜夫

アニメーション制作 J・C・STAFF

 

 切ない片想いが絡まるそれぞれの恋の行方を追って、注目の第2期がスタートしました。

今回は12話で完結でしたが、その分1期よりシリアスな内容がグッと凝縮され、特にはぐみや森田の過去エピソードを踏まえたストーリーがそれぞれの恋と人生に説得力を持たせた内容になっていたように思います。

山田と野宮、真山と理花の関係が苦しみながらも進展し、大きな事件によってはぐみと花本修司の心の扉が開かれます。

時に涙なしには見られないほどに切なくピュアで美しい恋と友情の結末を迎えました。

#1冒頭 いつものメンバーが春ののどかな日に多摩川の河川敷で四つ葉のクローバーを探すシーンが描かれここではぐみが見つけたクローバーがラストシーンに生きてきます。

 クローバーあるかな?

 理花と半ば強引に北海道旅行を敢行した真山。2人の関係は進展するも、理花は仕事でスペインに旅立ちます。

一方、森田は兄の馨とともにある目的のためにシカゴに。

二人の父が経営していた森田技術研究所。(東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)がベースの建物です。)

社員の裏切りによってシカゴに本社を持つ会社にのっとられ、馨は再び買い戻すことを誓っていました。

 

赤い鱗瓦の屋根が可愛いメルヘンチックな森田家。

 

森田が不在のうちに、はぐみは大怪我を負って利き腕が動かなくなってしまうという悲劇が起き、

帰京した森田は入院中のはぐみを拐うも、はぐみは森田を振り切り病院へ戻ると修司に全てを託すこととなります。

森田も竹本も結局先生には敵わなかったというわけで。

 

 やがて卒業の春。竹元は修復師を目指して盛岡に旅立ちます。

そこで上野の駅に見送りに来たはぐみは「はちみつとクローバー」のサンドイッチを竹本に渡します。

ちょっとこじつけ感ありましたが最後にタイトルに結びついて完結となりました。

 

 美術の現場としては、4月にスタジオの引越しという作業を終えると、急遽新規スタッフを募集しました。

何しろ「ひぐらしの鳴く頃に」1期の制作と丸かぶりだったこともあり、少ない人数でどのようにこなしたのか舞台裏を明かすのも記憶にないほどにとんでもない状態だったのかもしれません。

ハチクロスタッフと2作掛け持ちの中堅スタッフ、どちらも大変な状況で、おそらくカノン史上いろいろな意味で一番過酷な時期だったかもしれません。

五月始めに募集をかけデッサン試験と面接で数人を研修に採用したわけですが

基本研修もいつもよりペースをあげ、とにかく本番BGで慣らしていこうと簡単そうなシーンにトライしてもらったものの、どんなに絵が上手くとも、やはり未経験者がいきなり描けるわけもなく、一人また一人と脱落。

簡単なようで簡単には描けない。それがアニメの背景というもの。

ハチクロの背景は手順がわかれば「ひぐらし」よりは早く描けるだろうと思いたかったのですが、現実はそううまくいくものではありませんでした。

水彩調が思ったより難しかったという人もいたことでしょう。

絵の具を解く水具合、紙に塗る筆さばき、どれをとってもセンスと経験が物をいう仕事。

みんな必死に絵の具と筆で格闘しているような感じでした。

しかし絵を描きたい!アニメが好きでこの仕事がしたい!と応募してきたスタッフの意気込みもあって、

なんとか少しづつ形になっていったというところでしょうか。

ハチクロとシンクロしながら絵を描くことの苦悩や意味、それぞれの才能との戦いがここでも繰り広げられていたのです。

 

大変な毎日ではありましたが、関わった人それぞれの後の人生に、このころの経験が少しでも生きていれば幸いです。

 

 

 本日の発掘レイアウト

 クールに見えて熱いハートの野宮さん。

 


2度目のスタジオ移転

2020年05月10日 | カノンの記録

 2006年4月、スタジオは2度目の移転をすることになりました。

1997 年(平成9年)から9年間住み慣れた本天沼の一軒家を去るのは大変心残りではありましたが、当時は仕事の依頼が立て込み始め、成長期のスタジオとしては大変ありがたいことだったので、スタッフ共々拡充して心機一転を図ることにしたわけです。

隣のアパートの1室も借りて分散して作業していたのですが、コミュニケーション不足で意思疎通がうまくはかれなかったなどの問題もあり、より広い事務所で一つに統一する方が良いということもありました。

 

ここで初めて法人向けの事務所探しが始まったのですが、何が困ったかといえば、それは水場の問題です。

事務所についている水場はほとんど給湯室として、小さなシンクと電気コンロ一つぐらいのもので、当然絵の具皿や筆を洗うには適しません。

絵の具も泥になって溜まるので、配管を詰まらせてしまう危険があります。

また現在はどうかわかりませんが、当時荻窪周辺の中程度の事務所といえば比較的古い物件が多く、入り口も狭いのでまず引っ越し作業が大変な上、見た目の良さといいましょうか、

要するに人が集まる要素としてマイナスな感じがしました。

かといって駅に近く新しいおしゃれな事務所はどれも大きめで家賃もお高く手が出ないといったところで、結構事務所探しは難儀でした。

事務所というより、テラスハウスや一軒家で「工房」の雰囲気を目指したかった気持ちも有りましたが、探す時間や予算の関係もあり、何かイメージが固まらないまま漠然と、とりあえす広い事務所を探そうというスタンスだったのかもしれません。

 

結局、少し古めでしたが、水場の増設ができるという条件で、それまでのスタジオから歩いて10分ぐらいのところにある商業ビルの3階を借りることになりました。

広さはかなりあり、スタッフ20人ぐらいいでも大丈夫な感じでしたが

大きく3つの部屋があり、玄関わきの一部屋は丸々資料や背景置き場とスタッフの休憩室となり、小さめの部屋は事務室兼社長室、そしてメインの広い空間はデジタル班と手描き班に分けました。

それでも真ん中で体操ができるぐらいのゆったりスペースで、相互のコミュニケーションもスムーズにとれて作業効率は良かったと思います。

しかし、周囲の環境という点では、どうだったかというと・・・

周辺に食堂やお弁当屋など若者向けのお店が少なく、一番近いコンビニでも10分ぐらい歩かなければならなかったので、不便といえば不便でしたし、古い商店街なのですがなぜがクリーニング屋ばかり数件おきに有り、こんなに需要があるのだろうかと疑問に思えるほどでした。

近くに大きな会社でもあるならサラリーマン御用達?とも思えますがそんな感じでもなかったように記憶しています。

人通りも少なく静かではありましたが、もう少し活気あるオシャレな商店街だったら休憩時間の気持ちも違っていたかもしれません。

しかし皮肉にも背景を描く仕事をしているにかかわらずあまり周りの景色をみる余裕もなく、ひたすら仕事に追われてしまった毎日で、コンビニとスタジオの往復が唯一の運動?という相変わらずの生活だったわけです。

 

このスタジオは意外に短く2011年(平成23年)5月までの5年間の使用となりました。 

 

残念ながら当時の写真がまるでないので、

ハチクロに登場した藤原設計事務所で代用?

外観は当然こんなオシャレなビルではありませんでしたが、内観はまあ、全然違うといえば違うのですが、まあ気持ちだけ事務所としてはそう違わない雰囲気!としておきましょう。(こうしてみると3度目に越したスタジオの方が近いかも)

 

 


ブルームーンの夜

2020年04月27日 | 雑記

非常事態宣言の出された夜は眩いスーパームーンでした。

あれから3週間、 自粛自粛の毎日の中、感染の恐怖と世界中の人々が戦っています。

 

けれどこの国では対策の遅れや方向性の曖昧さが目立ち、

イライラ憤ることばかりです。

 

PCR 検査が少ない、病院をたらい回しされる。

自宅待機中に容体悪化で死亡!

感染病床が足りない、準備が遅い。

路上で倒れ死亡、変死扱いも実は感染していた!

もはやこれ医療崩壊では?

おまけに特別枠でまだC国人が入ってきているだの、

またもクルーズ船で感染爆発!だの、 ゆるゆる、ザルザルの方針にあきれ、

政府が配るマスクは不良品で、結局配達中断!

 

国民は国民で

家にいて欲しいのに元気な高齢者は出歩き、ドラッグストアに朝から並び、 

まだスポーツジムに通って結局感染する人も。

路上やスーパーでぺちゃくちゃおしゃべりする人もいれば、人との距離を取るなんて、全く無視。

医療従事者の子供が差別されるだの信じられないニュースまであります。

 

BBCなどの海外のニュースでは

大勢の人でにぎあう商店街が映され、「日本人はマスクをしていれば安全と思っているのでしょうか、政府の要請が十分届いていないようです。」などとレポートされていました。

 

多くの人は真面目に自粛していても、全然わかってない人もたくさんいて、ため息が出ます。

これが民主主義国家?

もうね、自由とわがままは違います。なんて小学校の道徳の授業みたいなことを言ってもむだなんでしょうね。

 

今日は雨。

 

「ひぐらし」の世界ではたまに雨の日もあるけれど

ブルームーンの満月が定番でした。

惨劇が起こる夜はこの月に怪しく雲がかかってきます。

 

月の輝きは怪しく不穏さを感じさせますが、

闇から抜け出して真実と希望に導く光明でもあるのです。

 

そしていずれ夜は明ける。

現実に今何が起こっているのか受け止めながらも、多くの人が強く生きていけますように。


修ちゃん先生ありがとう!

2020年04月16日 | カノンの記録

4月12日に声優の藤原啓二さんがお亡くなりになりました。

まだ55歳とお若いのに本当に残念です。

 

「クレヨンしんちゃん」のお父さん野原ひろし役でおなじみでしたが、長い間たくさんの役をこなしてくださいました。

 

何と言っても「はちみつとクローバー」の花本修二役は素敵でした。

芸術家としての挫折心を隠しながら、どこか飄々としてタバコをくゆらしていましたが

ここ1番は頼りになる心優しい先生でした。

理花さんの心をささえ、そして何よりはぐみを大切な宝物のように慈しんでいた修ちゃん。

 

 

まだ整理がつかずダンボールに入ったままの背景から修ちゃん先生のレイアウト見つけました。

描き手によって違いはありますが、なんだかどれも藤原さんのお顔と重なって見えてしまいます。

   ご冥福をお祈りいたします。


廃屋の庭で

2020年04月07日 | 雑記

これは昨年ある絵画展に初めて出品した作品です。

昨年の夏に地震で半壊した家の裏庭に足を踏み入れると、

雑草が生い茂り荒れてしまった庭にひときわ鮮やかに赤い百合の花が咲いていました。

しばらく花に見入って写真に収めておきましたが、一ヶ月後に訪れた時はこの家も庭も跡形なく取り壊され、更地になっていました。

 

赤い百合が最後の美しい姿を見せるために私を呼び寄せたのでしょうか。

「どうか私を忘れないで」と囁いているような気がして、その姿を残しておきたいという思いでペンを取りました。

 

当時はそんな感傷的な思いでこの絵を描いたわけですが、

今改めて思うのは、もしかしてこの花は荒廃した地上に咲く生命力の強さであり、希望を忘れるなというメッセージを残してくれたのかもしれない、ということです。

 

今世界は突然変わってしまいました。

海外旅行に行きたい、お花めぐりの旅をしたいなんて普通に呑気に考えていた頃が恥ずかしいと思えるような現実です。

飽食や贅沢品に溢れ、様々な享楽がはびこった世界はもう飽和状態にあり、一度全て破壊される運命なのでしょうか。

 

今しがみついている価値観を一度リセットして、最後に何が一番大切かを考える時がきているのかもしれません。