KANON廃園

スタジオカノン21年間の記録

1997年(平成9年)最初の試練とスタジオの移転

2019年08月14日 | カノンの記録
前年の10月から新たなTVシリーズの背景作業がはじまり、9月まで続いたタイトルがあります。

★逮捕しちゃうぞ(TVシリーズ)
第1期1996年10月から1997年9月全51話放送
 第1‐4話は、オリジナルビデオ版をTV放送の尺に合わせて再編集したものを放送
 原作 藤島康介
 監督  わたなべひろし、西村純二
 キャラクターデザイン 中嶋敦子
 美術監督  中村光毅
 色彩設計 もちだたけし
 制作 スタジオディーン

9月から既に放送が始まっていたので、スケジュールとしてはもう待ったなしの状態。最初に#7を受けましたが、3週間後には放送されるので、背景作業は2週間あるかないかで1本分こなすという事になります。

結論として、スケジュールがここまで詰まっている上に、原図もアバウト、ボードもラフめで、描き手にお任せのシーンが多い、
つまるところ背景家各自の判断力、一定水準の能力を要する仕事は新人ばかりの弊社では無理があったという事。

この作品はOVAの成功でシリーズ化が決まったものの、制作期間が短くて最初からスケジュールに余裕がない状況でした。
慣れるにはまだまだ力不足で、とにかくどう描いて良いのか解らない事が私自身にもたくさんあり、結果、仕上がりは乱れ、間に合わせるのが精一杯、これはちょっとひどい、使えないという烙印が押されてしまってもしょうがないかな・・・という出来でした。
美術監督様が全話数チェックするシステムではなく、各話、担当スタジオが責任もってください、というようなやり方だったと思いますが、それも相当信頼おけるスタジオでなくてはできない事。
このシリーズは4クール(1年)あり、結局スケジュールはどんどんつまり、背景は3~4社担当していても、1本まるまるこなすのが厳しい弊社は他のスタジオと協力しながらなんとかこなしたような記憶がありますが、スタッフ共々すっかり疲弊してしまった感はぬぐえません。

もともとアニメ業界は当時の表現で言えば3K(きつい、汚い、危険)だの4K(帰れない!?)だの、低賃金、長時間労働である事は指摘されていました。
社会性のないアニメおたくが好きでずるずると居座っているのでは?という見方もされましたが、実際現場はきついのがあたりまえ。
にもかかわらず労働条件に反旗を翻す組合のようなものはこの当時すでになりをひそめ、
多くは、好きな絵を描くことで仕事ができるという喜びでこの世界に入ってきた若者が、まじめにがんばっていたという印象でした。

しかし専門学校などでこの業界の厳しさをやたら吹き込まれたのか、はじめから恐れをなし、思った通り厳しい現実にあたるとそそくさと止めてしまう人がいた事も事実です。
続けたくても能力の限界を感じて辞退するならまだしも、せっかくのばせる才能がありながら、本人がやる気を出さない、あるいは出させない現場状況にあるとしたら大変残念な事で、
うまく彼らの気持ちをを引きあげる事ができなかった事に今更ながらに責任を感じます。

この年は「逮捕しちゃうぞ」の他に様々な仕事を受けていて、人数が少ないのにいったいどうやってこなしたのだろうと思うほど、OVA、ゲーム、教育アニメなど、スタイルの違う作品が次々と入ってきました。
まだ創成期で、どのようなスタジオにしたいのか明確なビジョンもないまま
いただいた仕事をこなすことで精一杯の毎日でした。
やがてスタッフが一人、二人と抜けてしまい、早くも立て直しの急務を要する自体となってしまったのです。

そこで心機一転、スタジオを移転する事にしました。
まとまった仕事をこなすには、やはりある程度の人数の確保が必要で、拡張はいずれ必要な事でした。
さらに「いい家は人を呼びます」というキャッチコピーではありませんが、スタジオの「面構え」というものも、スタッフを呼びよせるポイントではあります。
おしゃれで優雅な環境とは言いませんが、「うなぎの寝床」や「たこ部屋」になるのは避けたいものです。

それまでスタジオにしていたマンションは近くに相撲部屋や古い商店街があり、駅からも近く便利なところにありました。
けれど中野区の中でもちょうどすり鉢状の底に当たるようなところらしく、数年に一度、大雨で川が氾濫しマンホールからも水が溢れてくるため、マンションの1階は床上浸水の被害が起きる場所だったのです。
幸い賃貸中は被害には遭いませんでしたが(ちょうどここに越してきた前年と引っ越した翌年に氾濫したようです。)
勝手な解釈ではありますが、水の害があるところは運も流れていってしまう上に、淀みを溜め込んでしまうのではないかという気もしました。

やがてアニメ関係の会社が多く集まる杉並区に程よい大きさの一軒家をみつけました。