KANON廃園

スタジオカノン21年間の記録

不思議な一軒家

2019年08月15日 | カノンの記録
1997年(平成9年)5月、スタジオカノンは杉並区本天沼の住宅街にある一軒家に移転しました。
この家の作りはちょっと変わっていて、1階はワンルーム、2階もワンルームでそれぞれキッチンとトイレがついていました。
お風呂は2階のみ。まあ、2世帯住宅といえばそうなのですが、広いワンルームだけだと複数人の家族ではちょっと住みづらく、妙齢の御夫人が一人暮らしをなさっていたようです。
なんでも海外旅行好きで、特にロシアがお好みだったとか。

オールフローリングの1階は、お客様が集うサロンのようにしたかったのか、 
入り口は広く、すりガラスのはまったアンティーク風のドアの上にはロシアのトロイカの絵が描かれた黒いパネル(ホフロマ塗りというらしい)が飾られていました。
室内の壁にはイワン・クラムスコイというロシアの画家の「忘れえぬ女」の複製が飾ってありました。(昔レーピン展か何かで見たことがあったので、ずっとレーピンの作と思っていましたが)
玄関から吹き抜けの階段には緋色の絨毯がはめ込む形で敷き詰められゴージャス感を演出しておりました。(猫の毛がつきまくって掃除がとにかく大変だったのですが)
階段途中にある出窓にはやはりロシアのサモワールやら壺やらがありました。
収納もたっぷりあり、 2階の窓は天井まで高く、通常のカーテンサイズでは間に合わず特注するしかありませんでした。
庭は柘榴や梅、金柑があり、バラ、桜、フェニックスなど結構色々な木々があったように記憶しています。
ただ、芝生はほっておくとすぐ茫々になり、設置してあった芝刈り機をうまく使えず、返って芝をダメにしてしまいました。(慣れないことはやるもんじゃありません)
後に研修生に草むしりをしてもらったので、これが語り草になったようです。

何やら優雅な一軒家ではありましたが、一階をスタジオに、2階を自分の住居としたため、実質24時間臨戦態勢のようなものです。
まだ若かったので絶えず仕事も平気ではありましたが、優雅とは結局程遠い暮らしぶりでした。
今の方がなにかにつけてティータイムをとる隠居生活のようなもので、この家がちょっと懐かしいです。

私は平成14年に転居しましたが、2006年(平成18年)3月ごろまでのほぼ9年間、スタジオに使用させていただきました。



クラムスコイ作 「忘れえぬ女」

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