☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
人間が精神的な緊張状態にあるとき、それを解消するために行われる本能的・衝動的な筋肉の単純な動きと、それに伴う
音との一定の関係が学習されれば、次の段階では意識的にその❝音❞を作ることによって緊張状態を呼び起す(再現)ことが
試みられるようになるだろう。そのときに❝音を出すもの❞が生まれ、人間もそれに変身することになるのである。
楽器の発端はここにあると考えられる。
『世界楽器入門 好きな音嫌いな音』郡司すみ(1989)朝日新聞社より
楽器の誕生については、いくつか説があって、一つには人の声を模すために作られたというものがあります。
たとえ一人ぼっちでいても、誰かの声が聞きたいという気持ちは、いかにもロマンチックで心を動かされる話です。
あるいは、遠く離れた人に何らかの合図を送るために人の声の代わりに用いたものが楽器になったという説もあります。
こちらは、些か実用的な説で、あまりロマンは感じられません。
楽器は確かに音を出す道具ではあると思うのですが、それぞれの楽器から出る音には、奏でる人の思いが表れていると私は考えます。
ですから、何も考えずにただ音を出している時には、「そういう音」が出ていますし、「きれいな音を出したい」と思いながら弾いている人の楽器からは、そのように音が出されているのを私は感じることができます。
というより、そういう風に音を感じ取るようにしています。それは、上手とか下手の問題ではないのです。
楽器の習得を目的に音楽教室にやって来る生徒さんたちは、いずれも間違えないように弾きたい、上手に弾きたいという思いを強く持っているように感じます。
その一方で、自分がどんな音色で弾いているのか、どれだけ自分の音が響いているのかということに対して無関心であることが多いのです。
(今は偉そうにこんなことを書きますが、私自身、学生の時に同じ指摘を先生から受けました。。。)
楽器は元来、なんらかの音を出すことを目的に作られていて、人間はその出された音になんらかの感情を抱き、ある時は笑顔になり、またある時は涙したはずなのです。
正確なリズムや音程、複雑な技巧がもてはやされるようになったのは、近現代以降のクラシック音楽ジャンルに見られる極端な技巧主義が原因だと思われます。
優れたものや素晴らしいものでなければ、賞賛に値するものを見出せない心理が人間の中にはあるのかもしれません。
(そもそも、「優れたもの」の価値観・判断基準自体が、何を根拠に生まれるのかという問題もあります。)
いずれにしろ、町の音楽教室にやってくる生徒さんたちは楽器を弾きたい、音楽を楽しみたいと思っているのは間違いありません。
そして、私はそんな生徒さんたちが奏でる音に耳を傾けたいのです。
ヒトコトリのコトノハ vol.37
=====
▼本の林の日々の記録です。
Tumblr www.tumblr.com/honnohayashi
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●本日のコトノハ●
人間が精神的な緊張状態にあるとき、それを解消するために行われる本能的・衝動的な筋肉の単純な動きと、それに伴う
音との一定の関係が学習されれば、次の段階では意識的にその❝音❞を作ることによって緊張状態を呼び起す(再現)ことが
試みられるようになるだろう。そのときに❝音を出すもの❞が生まれ、人間もそれに変身することになるのである。
楽器の発端はここにあると考えられる。
『世界楽器入門 好きな音嫌いな音』郡司すみ(1989)朝日新聞社より
楽器の誕生については、いくつか説があって、一つには人の声を模すために作られたというものがあります。
たとえ一人ぼっちでいても、誰かの声が聞きたいという気持ちは、いかにもロマンチックで心を動かされる話です。
あるいは、遠く離れた人に何らかの合図を送るために人の声の代わりに用いたものが楽器になったという説もあります。
こちらは、些か実用的な説で、あまりロマンは感じられません。
楽器は確かに音を出す道具ではあると思うのですが、それぞれの楽器から出る音には、奏でる人の思いが表れていると私は考えます。
ですから、何も考えずにただ音を出している時には、「そういう音」が出ていますし、「きれいな音を出したい」と思いながら弾いている人の楽器からは、そのように音が出されているのを私は感じることができます。
というより、そういう風に音を感じ取るようにしています。それは、上手とか下手の問題ではないのです。
楽器の習得を目的に音楽教室にやって来る生徒さんたちは、いずれも間違えないように弾きたい、上手に弾きたいという思いを強く持っているように感じます。
その一方で、自分がどんな音色で弾いているのか、どれだけ自分の音が響いているのかということに対して無関心であることが多いのです。
(今は偉そうにこんなことを書きますが、私自身、学生の時に同じ指摘を先生から受けました。。。)
楽器は元来、なんらかの音を出すことを目的に作られていて、人間はその出された音になんらかの感情を抱き、ある時は笑顔になり、またある時は涙したはずなのです。
正確なリズムや音程、複雑な技巧がもてはやされるようになったのは、近現代以降のクラシック音楽ジャンルに見られる極端な技巧主義が原因だと思われます。
優れたものや素晴らしいものでなければ、賞賛に値するものを見出せない心理が人間の中にはあるのかもしれません。
(そもそも、「優れたもの」の価値観・判断基準自体が、何を根拠に生まれるのかという問題もあります。)
いずれにしろ、町の音楽教室にやってくる生徒さんたちは楽器を弾きたい、音楽を楽しみたいと思っているのは間違いありません。
そして、私はそんな生徒さんたちが奏でる音に耳を傾けたいのです。
ヒトコトリのコトノハ vol.37
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