あれから八年・・・・・
もう八年と言う感じと、まだ八年と言う感じが交錯しています。
もう八年も経ったのに、原発の問題は遅々として進まぬどころか、後退しているように感じます。
まだ八年しか経っていないのに、あの悲劇が忘れられようとしています。
地震に続く津波は天災で、酢が、それに続く原発崩壊は人災だと思います。
それなのに、まだ原発再稼働に向けて資金をつぎ込もうとする神経・・・・・
それほどまでして、お金を稼ぎたいなんて、下品以外の何物でもないと思うのです。
そんな下品な人間が上に立つ国って、・・・・・
もっと上品な政治家が欲しいです。
今日、モバイルバッテリーを買ってきました。
普通に使う分には特に必要ではないのですが、この度の北海道地震の事もあり、万一の事を考え、会った方が良いかなって思いました。
とりあえず、2回分充電できて、同時に2台充電できるタイプの物です。
子ども達もそれぞれ以前から、それも複数持っているので、いざと言う時、家族が一緒ならいいけれど、もし子供たちがいなかったら、ちょっと困るかも、と思い一応あった方が良いだろうと思い、買ってきました。
それから、車のバッテリーから充電できるようにそれ用のコードもあり、こちらは何回かやっていますが、災害が起こった時、ガソリンが手に入りにくくなることもありうるし、車自体が使えなくなることも考えられるので、備えあれば・・・・・ですよね。
ま、外出先で充電が必要になるって事ならいいけれど、これが災害時に役立つことが無いといいなって思っています。
3.11の時、精神的にも、肉体的にもおかしくなった。
この時、被災地ではもっと皆さん大変な思いをしているのに、自分がこんな体たらくでは・・・・と自分を責めた。
よく眠れず、いつも何か不安がまといつき、食欲も無くなり、喉に石でも使ったような感覚で、何か悪い病気では無いか、とも思った。
ネット検索して、『共感疲労』と言う物を知り、これかも・・・・と思い、意識的に震災関係のニュースから遠ざかるようにして、いくらか楽になった。
今回はあまり感じていないが、これは、報道にも大きく関係していると思う。
3.11の時は、一日中、何日もテレビを点けると津波の映像が繰り返し流され、コマーシャルも自粛で、金子みすゞの詩ばかり聞いていたように思う。
今回は震災関係の物は基本的にニュースの時で、普段の放送がされているのが大きいと思う。
昨日、朝起きてビックリしたのが、北海道の地震。
そのため、北海道全域で停電・・・
昨日の夜中には、電気が通った所もあり、今では半分ぐらいの所で復旧したけれど、銭器で電気が付くまでには今週いっぱいはかかるらしい。もしかしたらもっと・・・
これ、大きな発電所で全部の電気を賄うようにしたためらしい。
何かあった時のためにも、発電所はいくつもあちこちに作って、電気の地産地消を進めないといけないと思う。
それも、もちろん原発ではなく、自然エネルギーを利用したものを。
ソーラー・風力・小規模水力・地熱・波力・・・・
その土地に有った、環境負荷の少ない物で・・・
あれからもう七年。
あっという間ともいえるけれど、とても長いともいえる・・・・
私はあの日、大きな揺れを感じ、とても怖かったけれど、大した被害もなくホッとしましたが、その後に起こったことで、とても不安を感じています。
地震そのもの、その後の津波・・・・とても大きな被害でしたが、そこまでなら今頃はもっと復興している事でしょう。
でもその後に起きった、原発崩壊・・・・・
いまだに故郷に帰れない方たちが沢山います。
それなのに、また原発を・・・・
一番大事なのは、人の命、落ち着いた暮らし。
原発は、事故が起きた時の事、廃炉にした後始末・・・・
いろいろと考えたら、これほど不安で、コストのかかる発電方法はないのに、なんでこれが一番コストがかから無いって、また、安全だって言い張る人がいるんだろう?
熊本の地震から、もう1年経つんですね。
先ず、14日に震度7の地震が起き、16日にも・・・
恐ろしい思いをなさったことと思います。
あの時、私は6年前の東日本大震災の時の経験から、震災関連のニュースは意識的に見過ぎないようにしていました。
それでも、否応なく目に入って来たのです。
6年前の時は、流れてくるニュースをすべて受け入れていたため、冷静でいられなくなり、体調を崩しましたが、1年前の時は努めて必要以上のニュースに触れないようにしたためか、6年前のような、心の疲労による不眠、食欲不振、喉に石が詰まっているような感覚などにはなりませんでした。
大きな災害が起きた時、関連情報を伝えることの大切さは分かるのですが、全てのメディアで、これでもか・・・というように次から次へと繰り返し同じような情報、映像を流すことにより、心の許容量を超えてしまい、不安と体調不良に悩まされる人が沢山出てしまうのは、どうなんだろうと思うのです。
少し落ち着いたら、情報を畳みかけるのではなく、時間を決めるなどして、できるだけ、日常を取り戻せるように配慮するべきではないのかと思うのです。
今日は、あれから丸6年。
あの日、金曜日だった。
就職の面接で出かけていたムスコ、予定では少しあちこち回ってから帰るって言っていたけれど、電話があって、帰るから迎えに来てって。
ムスメは休みで家に居た。
ムスメと二人で、駅までムスコを迎えに行き、三人で車に乗り、帰り道で、赤信号で止まった時、ユサユサと揺れた。
なんだと思ったら、周りのお店や家から人が出て来て、何だなんだと・・・・
地震だって事は分かったけれど、どこなんだろう、大きいのかしら・・・
カーナビを、テレビにしていたので、すぐに地震が大きい事、東北が震源地だってわかった。
また、次の信号が赤で止まったら、そこのスナックのママと、中華屋さんのおじさんが道路で話している声が聞こえたんで、震源地は東北だって教えたっけ。
そのスナック、棚にあったお酒がほとんど落ちて、割れて、大変だって言っていた。
その晩、トーチャンは職場で泊まり込み、翌日昼頃帰ってきた。
車のガソリンの残りが少なかったので、土曜日に給油に行った。
スタンド、最初に行った所はレギュラーが売り切れていて、いざとなったらハイオクでもと思ったけれど、次に行った所で、レギュラー満タンにできた。
その翌日からはどこもガソリン少なくなり、1回の給油の量を決められたり、休みになったスタンドも多かった。
大地震と大津波・・・・
それだけでも大変なのに、その後の原発爆発・・・・
いまだに故郷に帰れない人がたくさんいる。
地震と津波は天災だけれど、原発の爆発は、人災だと思う。
廃炉の方法、爆発した時の除染の方法、そんなものがきちんとできるようになるまでは、原発はもうやめるべきだと思う。
あの日を思い出し、そんな気持ちをまた新たにした。
先程、また地震があった。
震源地は東北、福島県沖・・・・
あの日の事がよみがえる。
それにしても、なんであの原発からある程度の範囲を、きちんと、100年以上帰れないって言わないのだろう?
きちんとごめんなさいして、土地を買い上げて、他の所で生活の基盤を作ってくださいってお願いしないんだろう?
いつかは帰れる、いつかは帰れるっていうだけで、そのいつかは10年先か、100年先か、1万年先かわからないわけでしょう?
こんな状態だと、今、避難している人たちだって、いつまでも宙ぶらりんだし、替えれるようになったって言われても、放射線量はどうなのって、不安も大きいよね。
ここまでは、いつまでにこれだけ除染します。
この範囲は目途が立ちませんって、しっかり言って、住人にも、理解してもらい、身の振り方を考えてもらわないといけないんじゃないかなあ。
福島からの避難者に対するいじめの問題だって、こう言う所をきちんとしないからってこともあるんじゃないかなあ?
お坊ちゃま、今回の地震、やっと激甚災害に指定するそうです。
それも、明後日だって。
実現するか心配だわ・・・・・・
http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/35/f3d081f1c8d063f9c135bc7884483cd5.html
昨日も今日も、5年前と同じく、どこのチャンネルでも震災の報道を繰り返している。
とても大事な事です。
わかっているのです。
でも、5年前に経験した事から、今回も心の平安を奪われ、体調を崩す人がたくさん出るのではないかと気になります。
せめて、逃げ場を作ってください。
いつもの番組を放送する時間帯があるだけで、本当に救われるのです。
今、わが他のテレビには、MXが映っています。
テレビ東京とMXは、いつもの番組の下と横に文字で、震災情報を流しています。
ほっとします。
非日常の中に、日常があるということが、とても心を落ち着かせてくれるのです。
特にNHKにはお願いします。
総合は報道を中心としてください。
でも、Eテレは、子どもたちの心のケアを、もっと考え、いつもと同じ番組を放送してください。
視聴者の心の逃げ場を作ってください。
他の放送局でも、震災関係の報道を控える時間帯を作ってください。
被災した方たちも、身内の安否を気遣う方たちにも、そして、特に子供たちの心を、落ち着かせるためにも、せめて、いつもの番組の周囲に情報を流すだけという時間帯を作ってください。
5年前、あまりの震災情報を受け止めきれず、体調を崩し、眠れなくなり、喉に石でも詰まっているような状態になった私からのお願いです。
御嶽山の突然の噴火、びっくりしました。
やっぱり日本って、火山大国なんですね。
火山って、山だけでなく、平らな所が突然盛り上がって、山になる事もあるんですよね。
北海道にある昭和新山がそんな風にしてできた山で、ある日、畑の真ん中で火山活動が始まり、山ができたんですよね。
そんなことを考えたら、原発の真下である日、突然火山活動が・・・・
それだって、絶対に 無いとは言えないんじゃないかなあって思うのです。
もしそうなったら、原発を速やかに止め、燃料棒を取り出して・・・・・なんてできるのかしら?
何も打つ手がなく、火山が原発を破壊するのを見守るだけで、福島よりひどいことになるってことになるのかしら?
これって、絶対にありえないこと?
満分の一でも、億分の一でも、もっともっと少ない確率だろうけれども、無いとは言い切れないこと?
そこまで結びつけることはないんだろうけれど、でも、御岳山噴火のニュースを聞いて、そんな事を思ってしまったのです。
福島の原発爆発以来、いろいろな事を思った。
その中でも、やっぱり考えなきゃいけない事があるのは、私の世代以上の人たちは、人生の大半を放射能と言う言葉と切っても切れない人生を送って来たと言う事だと思う。
ヒロシマ、ナガサキの原爆・・・・私はこの時はまだ生まれていないけれど、『原爆の子』の像を建立するきっかけとなった、『佐々木貞子』さんをモデルにした漫画を読んだ記憶があります。
そう、私が物心つく前に、『ビキニ環礁水爆実験』があり、その時被曝した『第五福竜丸』に関す物も、いろいろありました。
映画の『ゴジラ』も、水爆実験と切り離せないですよね。
私が小学生の頃の子ども同士の会話で、こんな事があったのを覚えています。
「○○で、また原爆実験したんだって」
「じゃ、死の灰がこっち来るのかなあ?」
「どれぐらいの強さなんだろう?」
「何でも、雨が1滴当ると髪の毛が3本抜ける位だって」
「オバQ、髪の毛無くなっちゃうね」
私が小学生の頃は、大気圏内で原爆や水爆の実験をしていたのです。
当時の世界の放射線量って、どれぐらいだったんでしょうか?
その後、大気圏内での実験は放射能汚染の問題から、地下核実験へとうつりました。
それからしばらくして、原子力潜水艦とか、原子力空母なんてものが作られ、平和利用と言う名目で、原子力発電なんてものが始まりました。
それ以来、臨界事故だの、もんじゅのナトリウム漏れだのが有ったし、極めつけは、チェルノブイリの原発のメルトダウン。
あの時、原発が制御できないことも分ったはずなのに・・・・
そしてとどめが福島の爆発です。
こう考えると、私は生涯『放射能汚染』と、付き合っていくんだなあって、何とも言えない気分になりました。
草木ゴミが、可燃ごみで無くなってから、ずいぶん経つ・・・・・・
何でそうかは分かっているので、分別して出すことに不満は無いのですが、本来、草や木って、自然に土に還る物なんですよね。
それが、3年前のあの事依頼、自然に還しては行けなくなってしまったのが悲しいのです。
何時になったら、また、草や木を燃やしたり、堆肥として土に戻すようになれるのでしょうか・・・・
セシウム自体の半減期は30年だそうです野で、自然にきれいになるのには300年がかかるのでしょうが、汚染された土で育った植物を土に還さない事で、途上の汚染はそのまま待つより短い間に薄まるのではないかと思うのです。
そうやって行って、少しでも早く土がきれいになるといいなあと思うのです。」
東日本大震災から今日で3年です。
あの日の揺れの記憶はまだ体に残っています。
あれから3年ですが、まだ3年しかたっていないという気持ちとと、もう3年も経ったのかと言う感じの両方があります。
もう3年も経ったのに、復興はまだスタートラインに立ったばかりか、まだその準備さえできていない所もあるのですね。
恐ろしい記憶は、忘れたいという気持ちもあってか、ずいぶん前の事も様にも感じることがありますが、そんな時は、まだ3年しかたっていないんだと思うのです。
被災されてまだまだ落ちるかれていない方たちが、一日も早く落ち着いた暮らしができるようになられることをお祈りいたします。
そして、そのために私自身ができることを、微力ですが、続けていくつもりです。