端午の節句と言えば、柏餅。
なぜ柏餅なんだろうと思ったら、最近テレビで、柏の葉は、落ちた時にはその下に新芽ができているから、ユズリハと同じように子孫が絶えないと言う縁起を担いだという話を良く聞きます。
以前どこかで聞いた、昔は柏の葉に食べ物を盛り、食器代わりにしたと言う話もあるし、調べてみると、いろいろあるみたいです。
私が聞きかじった、食器として用いたと言う事も本当のようですし、それだけでなく、柏の葉には殺菌作用もあるようです。
色々な意味で、柏の葉、おめでたいもののようですね。
暦、いろいろあって、今の日本が正式に使っているのは新暦と言われる太陽の運行をもとに計算された太陽暦だけれど、明治以前は旧暦と呼ばれる、月の運行を基本に太陽の運行を考慮して調整した、太陰太陽暦だった。
旧暦と新暦のずれは約1か月(もっとずれることもある)なので、新年、節句、お盆などの行事を行う時、土地によって、新暦で行う所、旧暦で行う所、月遅れで行う所があると聞いている。
お盆は本来、旧暦の7月15日だったが、これは新暦だと8月ごろになる。
で、たまたま8月15日が(日本の)は終戦記念日と言う事もあり、戦後は8月15日にお盆の行事を行うところが多く、そのため、これを旧暦のお盆だと思い込んでいる人が多いようだが、8月15日のお盆は、正しくは、新暦の月遅れのお盆と言う事になる。
では、正しく旧暦のお盆は、と言うと、毎年ずれるので、これは暦を調べてもらいたい。
花って、気温の変化で咲く物と、日照時間の変化で咲く物があるらしい。
桜は、気温が関係している物らしく、暖かくなるのが遅い年と、早い年では咲く時期に違いがあるけれど、菊は日照時間の変化で咲く物なので、路地の物は毎年殆ど変らない時期に花を咲かけるし、照明や遮光を調節すると、一年中咲かせることができる。
そんなことを考えていたら、我が家のコモンセージの花が咲き、みかんの花もだいぶふくらんできた。
この二つは、どっちなんだろう?
両方とも、いつも同じころ、花が咲くような気がしている。
これは調べてみる価値があるかなあ?
そう思っても、ついつい、記録、忘れるし、記憶は年を追うごとにあいまいになるし・・・・
今夜は茄子もあるし、茄子と一緒に、セージの天ぷらでもしようかなあ・・・・
昔から、『冬至冬中冬始め』と言うそうです。
冬至は暦の上では冬の真ん中に当たりますが、実際はこれから本格的な寒さが始まると言う事のようです。
昔の人って、本当にうまい事を言いますね。
さて、何はともあれ、これからは『畳の目程日が延びる』と言われています。
毎日少しずつ昼の時間が延びていくんですね。
今年は閏年ですよね。
でね、小学校の頃か、中学か・・・・・
とにかく、ずっと以前に学校で、閏年の決め方を教えてもらった事があります。
まあ、一般的に、西暦が4で割り切れる年は閏年なのですが、それをずっと続けると、また誤差が出るのだそうです。
で、西暦が100で割り切れる年は、400で割り切れる年が閏年になるんだそうです。
つまり、2,000年は400で割り切れるので閏年、その100年前の1,900年と100年後の2,100年は400で割るとあまりが出るので、閏年ではないと言う事らしいです。
まあ、どちらの年も私が生きている間の事ではないので、関係ないですけれど、面白いですね。
この違い、フランス語とイタリア語の違いだけなんじゃないかと思っていたら、つい最近、ここが違うってことを知りました。
それぞれのコーヒーの抽出方法が違うんですって。
カフェオレは、ドリップコーヒーで淹れた物だそうです。
で、カフェラテは、エスプレッソコーヒーなんですって。
そうなんだ・・・・・・・
昨日、今日と、梅雨にも関わらず、よく晴れています。
本来の『五月晴れ』ですね。
』五月晴れ』と言うと、今の人たちは五月のよく晴れた日の事を思い浮かべがちですが、この言葉ができたのは、旧暦を使っていた時代ですので、『五月』の付く物は、現代なら6月頃の情景何ですよね。
『五月雨』は梅雨の雨の事ですし、そこから考えると『五月晴れ』は、梅雨の合間の晴れと言う事、何の矛盾もないですよね。
『五月女が裳裾濡らして』って言う、『夏はきぬ』の貸し、ここから推し量ると、田植えは梅雨の時期にやっていてって事なんでしょうね。
今は5月の連休に行うところも多いようですけどね。
病院のお見舞いに花を持って行く場合、鉢植えや香りの強い物は避けるように言われている。
鉢植えの場合、『根付き』から、『寝付く』に通じるからと言う事もあるが、鉢には土が入っているので、うっかり倒すと土がこぼれ、掃除が大変だとか、土の中の細菌による病気などの危険性をも考慮に入れているのではないかとも思っている。
また、香りの強い花は、病人にとって、香り酔いする場合が有るので、よくないと言う事だろう。
ユリの場合、種類も多く、香りもとても強い物から、殆ど香らない物まであるので一概にユリは持って行くなという必要もないだろう。
また、ユリの花は花が開いて初めて香るので、花が開く前に香るかどうか、判断出来たらいいとおもう。
で、以前、聞いた話では、上を向いて咲くユリは香りが強く、下を向いて咲くユリは香らないと言う。
これ、ほぼあっていると思う。
今までの経験では、上を向いて咲く物は薫り高く、下を向く物は殆ど香らなかった。
それにしても、面白いなあ。
『時計』や『急須』のような言葉、本来の発音は『と・け・い』や、『きゅ・う・す』ではなく、『とけー』『きゅーす』ですよね。
これって、表記の約束事で、あ段・い段・う段の音を伸ばす時には、それぞれの段の母音を書くと言う事になってます。
それと、基本的には、え段の音は『い』を、お段は『う』を書くようになっていますが、例外はある物で、『ねーさん』の場合は『ねいさん』とは書かず、『ねえさん』と、『とーい』の場合は『とおい』と書くのです。
先ず、発音があって、それを表記しているのに、最近は、書いた物にこだわって、その通り発音しようとする場合が有るのでちょっと違和感を感じています。
特に歌の場合、それが顕著で、一時流行った某男性歌手の歌う『大きな古時計』では、特にそれが強かったように思います。
本来の発音なら、♪おーきなのっぽの ふるどけー♪なのに、♪お・おーきな のっぽの ふるど・け・い♪と言うように、本来なら『-』と発音される部分が、やけに『お』『い』が強調されて歌われているのです。
お段ののばす音を『お』で表記されている場合や、え段が『え』で表記されている場合はそこを強調されてもあまり違和感はないのですが、本来のばす音は、その直前の音の母音のままのばすので、え段で『い』とかお段で『う』と書かれる一般の表記の場合は、特に耳障りに感じるのかもしれません。
最近は、『大型連休』って言う言い方が主流になって来ているみたいですが、まだまだ『ゴールデン・ウィーク』と言う事も多いですね。
元々はこの言葉、映画産業から出た言葉だとか・・・・・・・
私が子どもの頃、休みだからと言って遠出するって事はありませんでした。
娯楽施設がまだまだ少なく、家族そろって出かけると言うと、動物園や、遊園地(と言っても今のような物ではなく、西武園とか、豊島園は大きな遊園地だったんですよ)位でした。
そんな時代でしたし、テレビもまだないと言うお宅もがまだまだあると言う状況で、映画が身近な娯楽だったころのことです。
そんなわけで、春の大型連休には映画館に足を運ぶ人が多く、書き入れ時だったようで、お金→金→ゴールド世の発想から『ゴールデン・ウィーク』と言い始めたらしいですね。
子どもの頃はどの町にも映画館があって、歩いて30分以内に3つか4つあったのを覚えています。
映画館も、『封切り館』『二番館』『三番館』の格付けがあり、封切館から順に入場料が安くなり、三番館だと、画面に雨が入っていることも多かったと記憶しています。
それから、封切館の場合は1本立て多かったけれど、下がって来るにつれ、3本立てなんてのが多くなってきたっけ。
それと、今のように入れ替え制ではなく、途中で入って、終わりまで観て、次の会で最初から観はじめたところまで観るなんていう事も良くやりましたっけ。
一昨日、NHKのBSで放送している『COOL JAPAN』を見ていたら、日本の風呂場と外国のバスルームには大きな違いがあると言っていた。
『バスルーム』には、トイレが付き物で、汚れを洗い流すだけの所だけれど、『風呂場』にはトイレはついていないし、ただ単に洗い流すだけでなく、癒しの場にもなっているというようなことを言っていた。
で、思い出したのが、『風呂』と『湯』の違い・・・・
今ではこれ、区別していないどころか、本来『湯』であるべきものまで『風呂』と言っている。
じゃあ、何が違うかと言うと、本来『風呂』と言うのはたっぷりの湯を湛えた浴槽に入る物ではなく、簀子の上に座って、下からの湯気で体を温める物で、一種の蒸し風呂、今でいう、サウナに近い物を言うらしい。
『風呂』に関しては、確か、光明皇后の伝説にも関係していたと思う。
昔は医療の一つだったんですよね。
それから、『湯』に関しては、文字通りたっぷりのお湯に体を沈める物で、これも『湯治』と言う言葉の有るとおり、癒し、治療に使われてきた。
街中にある『お風呂屋さん』、『銭湯』と言う言葉通り、幾ばくかのお金を取って、湯に浸かる場所なのよね。
だから、私の親世代の人、今でも『風呂屋』と言わず、『お湯屋』って言う人がいる。
そうそう、『風呂場』と言う言葉が今は一般的だけど、『湯殿(ゆどの)』って言葉もあった。
他にも、浴槽は『湯船(ゆぶね)』、銭湯代の事は『湯銭(ゆせん)』って言ったっけ。
子供の頃は『おゆーせん』って言ってたけど・・・・・
こんなのあるなんて思わないだろうけれど、あるようなのです。
剣道で、いろいろあるけれど、竹刀の素振りをする時に、竹刀を打ち下ろす時は『雑巾を絞るように』力を入れろと言われるそうです。
と言う事は、正しい雑巾の絞り方と言うのがあるわけですよね。
いろいろな人の絞り方を見ていると、大まかに2通りになります。
親指同士がつくように両手を横に並べて雑巾を持ってねじる方法と、親指と小指が近くなるように両手をたてにする方法です。
で。両方の絞り方を比べると、横に並べると両手の回転量が大きいですが、たてだと回転量が半分ぐらいになります。
ただ、横に並べた場合、雑巾を持った手が上を向き、そぼった水が腕を伝い降りてくることも多いですが、縦にすると下を向くので、腕に水が伝って来ることは殆どありません。
また、横に並べた場合はかなり力が要りますが、縦に並べた場合は、しっかり握って、腕を伸ばすようにするのであまり力が要らないです。
慣れが有るので、自分のやり方を変えるのは難しいですが、一度ためしてみる価値はあると思います。
料理で、材料を細く切ることを『千切り』って言いますよね。
でも、なぜか大根だけは『千六本』って言います。
これ、不思議だなあ・なんでだろうって思った事無いですか?
そう言うもんなんだって思うのもいいですけど、やっぱり気になる・・・・
でね、子供の頃、親とそんな話をしたわけです。
そうしたら、「ニンジンだったら1000本だけど、大根は太いから1006本に切れるって事だろうね」などといい加減な答えが返ってきました。
でね、大きくなって、いろいろな情報を集めたら、納得できる答えが見つかりました。
どうやら、中国語の千切り大根と言う『スーローボ』と言う言葉が元らしいというのです。
これを聞いて、千切りだから、『スー』が『千』に聞こえ、『ローボ』が音の近い『六本』に聞こえたんでしょうか?