市原悦子さんは1957年(昭32)に俳優座に入団し、「りこうなお嫁さん」で主演に抜てきされてデビュー。
【写真】樹木希林さんらと語り合う市原悦子さん
新人時代から、勘の良さ、天性の美しい声、肉体の使い方が評判だった。新劇女優として高い評価を受け「千鳥」「三文オペラ」など数々の舞台で、芸術祭奨励賞、新劇演技賞など多くの賞も受賞した。
舞台での人気が高まるのと並行して、テレビや映画でも引っ張りだこになった。75年のTBS系「赤い殺意」で一気にお茶の間に顔が知られた。
71年には、制作部にいた夫塩見哲氏らとともに俳優座を退団、新しい形の舞台、映像作品に積極的に出演した。塩見氏との仲の良さは有名だった。俳優座時代からの親友で、夫婦そろってマージャン好きだった。
もともと、歌って演技ができる女優として定評があった。歌うように話す声は、声優やナレーションの仕事にも生きた。75年に始まったTBS系「まんが日本昔ばなし」では、すべての登場人物を常田富士男さんと演じた。16年に大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」では主人公の祖母役を演じた。ひとたび聞けば市原さんの声と分かるが、役になりきり、聞く人を一瞬で作品の世界観に引き込んでしまう力があった。
丸く童顔な風貌で、若いころから、庶民的な役を演じてきた。83年にテレビ朝日系で始まった「家政婦は見た!」は、市原さんが数多く出演したドラマの中で最大のヒットシリーズとなった。秘密を知ってしまう「のぞき見」シーンでは、瞬間視聴率は30%になった。97年には連続ドラマ化され、女優生活41年目で初の連ドラ主演作にもなった。
天才と呼ばれ続けたが、本人は何よりも稽古、現場、演じることが好きなだけだった。TBS系「女橋」で両腕が不自由な女性を演じた時には、筆を口でくわえるシーンに夢中になりすぎて前歯を折ったこともあった。
市原さんはかつて、戦後の新劇界が生んだ最高の女優とも評されたが、さまざまな枠を超えて芸能界が生んだ最高の女優の1人だった。
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最終更新:1/13(日) 22:49
日刊スポーツ
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