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(レナード・バーンスタインから紹介され、ニューヨークフィルを指揮する、若き日の小澤さんの動画がありました。曲は『フィガロの結婚序曲』です)
僕のアイドルは小澤征爾だった‼️
別に、小澤さんは歌って踊っているわけではないけれど……。
アイドルとは本来、『偶像、崇拝される存在』という意味なので。まあ、これもありかな、と。
小澤征爾さんを僕の『永遠のアイドル』として意識したのは、僕が大学生の頃。1980年代序盤のことでした。
そのころ、テレビで、小澤さんのドキュメンタリードラマがあったのです。
若き小澤さんを当時人気だった『たのきんトリオ』のひとり、野村義男さんが演じておりました。
小澤さんは、優れた音楽教育者であった斎藤秀雄さんへ弟子入りし、やがてヨーロッパへの武者修行に出ようと決意します。
小澤さんは応援してくれるスポンサーをつのり、貸与されたスクーターとともに、貨物船で、単身ヨーロッパに向かいます。
こののち、フランス、ブザンソンの指揮者コンクールで優勝するという、華々しいデビューを飾るわけです。これが1959年のこと。
ちなみに僕が生まれる1年前です。小澤さんは、ヨーロッパに渡ってたった2年半の間に、①コンクール優勝、②指揮者シャルル・ミュンシュに師事、
ついで、③バーンスタインの助手となり、
④更にはあの帝王『カラヤン』の弟子となります。
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当時の日本は、敗戦からわずか14年。
今の感覚で言うと、あの東日本大震災が、つい、14年前。
あのときは、これから先、いったい日本の国は、どうなるのか?と、誰もが不安になりましたよね。
まして、戦争では無条件降伏。アメリカに占領されたニッポン。
正しいと思っていたことが、すべて間違っていた‼️ とされたニッポン。
『国が1回滅びた』ニッポンに、いったいどんな、心の拠り所があったでしょうか?
たしかに、1956年の経済白書には、
『もはや戦後ではない』
という象徴的な言葉があります。朝鮮戦争が起こり、そのおかげで、日本はお金が儲かりました。
金が儲かればすべてが解決するのでしょうか?
『日本人はトランジスターの商人なのか?』
と、激しく憤ったのは作家の三島由紀夫氏です。
三島氏も、時代を敏感に感じ取り、時代というバケモノと取っ組み合いをやっていた、作家だと思います。
そして、日本人とはいったい何者なのか? を問い続けた作家です。
その成果物として、
『金閣寺』
という、途方もなく儚く、美しい作品を生み出しました。
これが1956年、昭和31年です。
日本の文化人たちが、自らのアイデンティティを、懸命に探して、もがいていたとき、小澤征爾という若者が、
『突然‼️』
『海の向こうから‼️』
全く新しい日本人像を提示してくれた。
日本人だってやればできるじゃないか?
きっと、そう思わせてくれたんじゃないか、と僕は思います。
ちなみに、現在65歳の僕が生まれたのが1960年。昭和35年です。当時の、いち日本人にとって、海外へ飛躍する、というのは、まさに進化の大ジャンプといっていい、画期的な出来事だったように推察します。
(続く予定です)
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