<君の温もりに揺らして>
ケフト施薬院から手を振り去っていく若者の後姿にキタザキは顔を曇らせた。その背中から助手のリリアが声を掛けて来る。
それは労りともからかいとも言える口調で、キタザキは頬を朱に染める。
「先生、捨てられた仔犬みたいな顔されてますよ?」
次の患者さんがお待ちです!と小さな両手で背を押され、キタザキは自分の診療室に押し込められた。
患者の名前が呼ばれ、治療が始まる。此処に来る患者は殆んどが冒険者だ。
街の人間は普通の町医者で事足りるが、石化や魔物の毒の治療、蘇生など特殊な治療が必要な冒険者は高レベルのメディックが居る、このケフト施薬院にやって来るのだ。ア
リステアも最初はその患者の内の一人だった。
キタザキは彼、アリステアと同じ歳の頃、彼と同じ冒険者だった。メ
ディックとして学び、その探究心からこの「世界樹の迷宮」で有名なエトリアに来て、冒険者ギルドに属した。
そして妻と出会い、一人娘にも恵まれた。
所帯を持ち、気質として街で働く事も考えたが、若い自分は野心も収まらず、仲間と共に迷宮に潜っていった。
妻は幼い娘を抱いたまま、毎回微笑んで見送ってくれた。そ
う、あの日もいつも通りだった。しかし、キタザキが彼女を見たのはそれが最後になったのだ。
ー突然死ー
病状は進んでいたのに、彼女は夫に心配を掛けまいと黙って一人、痛みに耐えていた。
無理が祟って一気に症状が悪化したのだろう。突然逝ってしまったのだ。そ
の時、キタザキは迷宮の奥で魔物と闘っていた。勿論、彼女の死に目にも会えなかった。
彼女の両親は既に他界しており、天涯孤独だったキタザキに身内は一人娘だけになった。
冒険者として限界を感じていたキタザキは娘の為、街で働き、娘の傍に居る事を決意した。ケ
フト施薬院に入り、子育てをしながらメディックを続けて数十年になる。
一人娘も若い内に嫁に行かれ、キタザキはあっと言う間に一人になってしまった。
乳飲み子だった娘を男手ながら必死になって育てた。それは若くして逝ってしまった妻への贖罪も兼ねていた。
自分一人で勤め上げなくてはならないと誓っていた。誰にも頼れなかった。娘が嫁にいき、肩の荷が降りたのもあったが、娘が居なくなってからキタザキは胸にぽっかりと穴が空いた気がして、毎日に何も見出せなくなっていた。
其処に現れたのが彼、アリステアだった。
戦士、ソードマンとして未熟な青年が毎日逢う度に逞しく戦士らしく成長していくのに、心が躍った。
強面の自分に臆する事なく無邪気に懐いてくる青年にキタザキは次第に心を許していった。
それが何を意味するか意識しないままに心の奥まで青年を受け入れていった。
そして今日の告白。
キタザキからのキスを受け、両思いだと確信したアリステアは、それでも未熟な自分に課題を設けた。
「もし、死体じゃなく此処に帰って来たら、せんせ、オレだけの主治医になって」
とっくの昔にアリステアに遠慮し、冒険者達は滅多にキタザキに治療を頼まなくなってはいた。
その意味する事は一目瞭然で、キタザキはまるで初めて恋をした娘のように真っ赤になって、「そんなモノ…とっくの昔からそうだろう」と素っ気無く応えたのだ。
アリステアは太陽のようににっこりと満面の笑みを作り、丸太のような太い腕でキタザキを抱き締めて来た。
キタザキとて小柄では無い。180センチ近い身長と若かりし頃、冒険者として杖を振るっていた名残で体格もいい。
それでも190センチ以上の体躯を誇るソードマンのアリステアに比べれば、華奢と言っても過言では無い。
腕の中にすっぽりと収まるように抱き締められ、キタザキは硬直し身動き出来なくなってしまう。
陽と草の匂いのする体躯に、次第に緊張が解け、キタザキは無意識のうちにその逞しい背に腕を回し、しがみ付いた。
肩に頭を乗せ、身体を預けてくるキタザキに、アリステアは腕の力を更に強めると、「大好きだよ、せんせ」と何度も繰り返し囁いてくれた。涙が溢れてきた。
今から自分はこの青年をあの危険な迷宮に、死と隣合わせの闘いの中に、送り出さなくてはならない。何という痛みか。
キタザキは妻を想った。こんな辛い思いを毎回自分は妻にさせていたのだと思い知らされる。そして微笑んで手を振り見送ってくれた妻の強さにキタザキは感服した。
自分には出来ない。
無理だと何度も挫けそうになり、アリステアの腕の中、少女のように身を震わせた。
それでも青年は意を決しキタザキから身を離す。向日葵のような眩しい笑顔を浮かべて。顔が上げられなかった。
「じゃ、行って来る。絶対にオレは帰って来るから。それで、せんせをオレだけのせんせにするから。ちゃんと待っててくれよ?」
それまでこれで我慢とキタザキの腕を取り、そっとその手の甲に口付けるとアリステアは照れ隠しに子供のようにまた微笑んだ。
厚く傷だらけの大きな手に包まれた華奢で細い自分の手。キタザキはその手を見詰めながら、ぐっと涙を堪えた。
今自分に出来る事は泣かずに、青年を見送る事。
彼に心配を掛けないように世界樹の迷宮に送り出す事。
奥歯を噛み締めキタザキは最後のプライドを賭けて、微笑む。
「早く帰って来ないと…見合いしてしまうかもな」
え~っと大声で非難する青年に再度微笑むとその広い背中を押し送り出す。
夕陽が沈む街路の中、小さくなっていく青年が見えなくなるまでキタザキは見守っていたのだ。
「キタザキ先生?手が疎かになってますよ?」
助手のリリアが耳許で囁くとキタザキは診療室の机の前で、カルテに書き込んでいた手が止まっている事に気付く。
隣でリリアが苦笑して腰に手を当てて立っていた。何故かリリアの姿がぼやけて見えない。
「今日はもう治療は無理みたいですね。先生、ほら、涙、拭いて下さい」
綺麗な刺繍の入った白いハンカチを渡され、キタザキは暫く呆けてから、顔に手を当てた。
頬はリリアの言う通りびっしょりと濡れていた。涙。意識した途端、それは溢れんばかりに流れてきた。
リリアが慌てて座ったままのキタザキの前に屈み、子供をあやすように頭を撫でてくる。
「良く…我慢しましたね。先生。彼、アリステアさんはきっと戻られます。絶対です」
柔らかく、か細い腕が横から頭を抱え込み、抱き締めてくる。リリアは亡くした妻と同じ花の薫りがした。
「今日はこれで休診にしましょう。そして、お茶を飲んでゆっくりしましょうね?」
待っていた患者さんに他のメディックの部屋を案内し、戻って来たリリアは着替えて私服になったキタザキにお茶のセットを持って来て微笑んだ。既に日は沈み、冷え冷えとした白い月が窓から覗いていた。
重そうな靴音がケフト施薬院の大理石の廊下に響いて来る。それが段々この治療室に近寄って来るのだ。
乱雑そうなその大きな物音に、小心者の助手リリアは小さく悲鳴を上げるとキタザキの方を見て、にっこりと微笑んだ。
キタザキは痛む頭に手を遣り、やがては聞こえるだろう、靴音の犯人の大声に深呼吸をする。
「せんせ~!キタザキせんせ~~~!」
呼んだ本人の返事も聴かずに治療室のドアは蹴破らんばかりの勢いで開かれる。
其処には薄紫の短髪を揺らし、茜色の瞳をした大柄な青年が立っている事だろう。
そして青年は堅物のメディックの亡き妻と娘、そして助手のリリアしか見た事の無い溢れんばかりの笑顔を見る事になるのだ。
<了>
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あ~オヤジ受け楽しい…。癖になりそう…(もうなってる