
4月18日、水曜日。
午前7時18分。
雨。
こまかな雨が斜めに細く線を描きながら降っています。
音もなく降ってモサモサの庭を濡らして
木々は微かに風で揺れています。
今日も、雨だけど
天気予報では晴れるそうなので
職場にちょっと顔を出してから(連絡忘れがあるのに気付いてしまった)
11年前まで飼っていた愛犬のお墓参りに行ってこようかなと
命日はすぎてしまったけど思います。
もう、11年も経ちます。
本当に光陰矢の如しだなぁと思います。
今は、こうして話せる(書ける)ようになったし(感謝です)
時が経ったことを感じます。m(_ _)m
あれは、祖父と父が亡くなった5ヵ月後に
後を追うようにというか
祖父と父を見送ってからというか
見届けてから、どんどん弱っていき、春の今頃に亡くなった愛犬でした。
落ち込んでいる時は
何かを感じとるのか手をペロペロとなめてくれた
そんな愛犬らしく
最期まで優しい愛犬だったように思います。
16才まで生きてくれた愛犬ちゃんは
ワンちゃんの中では長生きなのかな?
どうなのかな?普通なのかな?
この時は、もう涙は出ないのではないかと思うくらい泣いてしまいまして
見事に目(瞼)が腫れてしまったのと
精神的にも駄目だったので
仕事をズル休み…をしたことは今は思い出
仕事でズル休みは人生でこの時だけです。m(_ _;)m
あれから11年間
毎年、春はこの季節になるとお墓参りです。
年に一回だけど、今年で11回目になるのだなぁ。
いつも、母は、モサモサの庭の花を摘んで
持っていって供えます。
人生で飼ったことがあるのは
この愛犬ちゃんだけで
多分、最初で最後の愛犬かなと思います。
我が家に来て幸せだっただろうかと
ふと、思うことがあります。
多分、至らないことがいっぱいあっただろうなと思ってね
ほんの時々、思い出しては
“ごめんね”や“ありがとう”な気持ちになります。
でもあれですね
あんなにどうしようもなく、哀しかったのに
哀しいが垂れ流し状態だったのに
11年も経つと…
なんて書いていると不思議と目が熱くなるけれど
哀しいのではなくて
あったか〜い気持ちになります。
しばらくは、理性では大丈夫と思っていても
あれ…?という感じで
何年経っても哀しみの筋が心の隅っこに流れてしまったりしていたけれど
11年も経てば(愛犬)
11年以上も経てば(祖父&父)
哀しみは、完全には消えないかもしれないけど
哀しみではなくなる
形を変えて、色を変えて、温度を変えて、匂いを肌触りを変えて
目に耳に鼻に肌に指先などの感触を変えて
“哀しみではなくなる”のだと思いました。
どんなに哀しく感じても
時が経てば、あたたかみに変わることがある。
と。
なので今
“すごく哀しくて辛い”
と、思っている方がいたら
“時が経てば、哀しみは哀しみでなくなる”
から、今は辛いとしても大丈夫
と、祖父や父も愛犬も哀しかった時期をすぎて
11年をすごしてきて思いました。
祖母の時は
祖父や父や愛犬がきっと迎えてくれていると
案内してくれているのじゃないかなと
思ったら安心もできました。
音楽をはじめ
人との出会い、風景、できごと、喜怒哀楽
日常の中で
救いや光があったおかげです。(*^_^*)
今日は
今日は何の日が書けなかったな。
何だったのかな?
雨の後は晴れ
午後にはあたたかくなるかな?
心の方もホットでいて下さいね。
良い日を!
*