
今回の事故で色々考えた。自分が助かったのは、生きる意志が強かったからだと、心底思う。結果、ケガは大した事なかったけど、意思が少なかったらダメだったように思う。
--生きる意志の強さ--
普段の生活ではあまり感じられないもの。
長い間、忘れていたもの。
--滑落中に思ったこと--
助からねば
気づいた時には既にどうしようもない状態になってた。おそらく頭を打ったらしい。打った前の記憶もあまりない。ただ、「何かにつかまらなければ」。2回転くらいした後、そう思い木をつかみかけたが、あまりのスピードで離してしまった。また、チャンスがあるか?上も下もわからないまま落ち続ける。頭から落っこちてたのだろうか。後で聞いたが、始めは岩の上を滑り落ちていたが、途中から回転したらしい。
確か木をつかんで身体が1回転したような気がする。頭の中のスイッチが一瞬で切り替わる。セルフビレイを取って、周囲の状況を確認。真上25m位のところに、ARSさん、右上20m位のところにOGWさん。「大丈夫?ケガは?」とりあえず、「大丈夫!来て!」と言うのが精いっぱいだったように思う。両足の状態は、良くない。何とか体重を支えているが、あまり言うことを効かない。その時はアドレナリンが出ているので、痛みをあまり感じないので、不安だった。両足の他に、右肩を痛めている。アウターシェルの右肩部分がかなり裂けている。左足の膝から暖かいものが靴下に流れるのを感じ、祈るしかなかった。
ザックを降ろし、自己確保する。ザックの色々なストラップが切れていた。ザックカバーは引き裂け、カバーの中からアイスアックスが出ていた。右のショルダーストラップが切れたため、何とかチェストストラップと結合し、背負える状態にした。
そうこうしているうちに、OGWさんが自分の滑落地点までゴボウで降りてきた。「右の木にトップロープ用の支点を構築し、ARSさんと連携して、ロワーダウンで下りて。」「OK」下の雪渓の状況を確認するため、懸垂で雪渓まで懸垂下降する。OGWさんは雪渓の状態を確認するため、雪渓上を左にカーブした先まで行き、しばらくこちらからは見えなくなった。
ロープを回収し、「ARSさん、ダブルで下りてきて!」といった瞬間だった。15m位上部の馬鹿でかい雪の塊が「ピシ」と音を立てて崩壊。雪泥流となって、自分に直撃した。あとで思い出しても、恐ろしいものを見た、としか思えなかった。とにかく早い。
上の状況を確認し、ARSさんがダブルで降りてきた。右の支点に移るために自己確保の場所変更やザックを背負う。ザックは、さっき背負っていた重さとだいぶ違うようだった。何とか、片手で担ぎやっとのことで背負えた。ショルダーストラップが左右違う長さなので、背負いにくいがそうも言っておられない。ロワーダウンの合図や降ろし方等を確認し、トップロープ用の支点(スリング、安全環付カラビナ)を残置し、先に雪渓に降りてもらう。
何とか、雪渓までロワーダウンで降ろしてもらい、雪渓上を歩く・・・さっきまでスキップでもできそうな雪の上は非常に歩きにくい場所になっていた。上の状況を確認し、座って水を飲む。気が張っていた状態から少しリラックスし、なんだか、気分が悪い。さっきの状況を思い出す。
自分のケガの状態を確認した。ケガの場所は、左足膝、右足膝、右肩。その他すり傷多数。ヘルメットを脱いで頭の状態を確認する、左耳上部が少し痛むが大したほどではない。左足膝からは流血している。川の水しかなかったので、傷口の周りをその水で拭き、大きな滅菌パッドで押さえ、止血する。本当は、打撲や打ち身は安静にするのが一番だが、上りの準備で軽くひざを曲げる・・・ほんとに登り返せるか?
OGWさんとARSさん、あとOGWさんの知り合いYKTさんが登り返しのフィックスロープを張ったり、上で確保、引上げ、荷物の搬送等の救助活動を経て、何とかS字峡までの下れるポイントまで登った。登ったというより、フィックスロープを引っ張って、何とか上がったという感じだった。下りは下りで大変だった。雪渓に足を取られるため、ジタバタして毎回抜け出すしかない。何度となく左足をひねった。
テントで夕食を取る。ラーメンと暖かい飲み物。両膝を曲げれないので、時々腹筋が釣りそうになる。食事後、再度ケガの状態を確認し、消毒、滅菌パッド、包帯等の処置を施す。後で富山県立中央病院の救急救命センターの医師から、「適切な処置」とのこと。ほんとは、雪渓で冷やせばなおよかったが、その時は疲労困憊し休みたかった。昼の雷雨でシュラフ、ウェア等はびしょびしょで、夜は寒かった。長かった一日は終わった。
次の日は、朝は多少雨がぱらついていたが、この山行で最も良い天気だった。とりあえず、朝起きて足の状態を確認。左足の腫れもほとんどないので、「動けそうです」、「OK。準備する」昨日までの雨の濡れたモノを一斉に乾かす。そのテン場には、テントが5張。みんな、濡れたモノを干して、小さな村みたいだった。1、2時間くらいして、テントをたたみ、パッキングし、ハーネス、ガチャ等を装備し準備する。私は足にあまり力が入らないので、アイゼンをはく。
東谷からくる川は、ゴウゴウを流れ、ときおり大きな岩が動く低い音がする。とても、徒渉できないので、チロリアンブリッジを渡し、私やその他の人がそれを渡った。今日の移動距離は大したことない(たぶん500m)が、その移動に3、4時間かかった。チロリアンブリッジ、トラバース、フィックスロープの登り等。
ヘリの音がする。「せっかく来たので、3人で写真を撮ろう」それが、今回の山行の3人で撮った初めで最後の写真だった。ヘリが着陸するほんの1分前。
ヘリは資材置き場の広場に着陸するやいなや、乗り込め!のサイン。頭を低くして3人で近づき、ザックと共に乗り込む。Vサインを逆にして「2名」とのことで、OGWさんもザックを取ってきて、急きょ乗った。
富山県立中央病院のヘリポートに降り立ち、担架で病室まで運ばれる。「あー、骨折しとるね」医者の初見だった。ただ、精密検査の結果、その時の診断では骨折はしていない結果に。レントゲン、CT、体温、脈拍等の検査の結果、打撲と外傷からの菌による発熱と診断された。左足患部に、巨大な注射器を2回突っ込まれ血を抜かれたときは、ほんと痛く。救急救命センターなので、絶えず、重症患者が運ばれ、周りの病床でも、切羽詰まった会話が聞こえる。骨には異常がないので、退院と東京に戻って精密検査を受けることを勧められ、OGWさんと相談した結果、退院し、今日は富山に宿泊、明日、関係者に御礼のあいさつ回りをすることにした。
病院のベッドで、自分が助かった理由を考えた。その時は奇跡だと感じていたが、後に、生きる意志が強かったと心底思うようになった。あの、回転する滑落する状況で「助からねば」と思い、行動に移せた意志は強い。
私も燕岳で、雷の怖さを実感しました。
まずは、ご自愛ください。
お若いから回復が早いと思いますよ!ご回復をお祈りします。
事故に遭われたとのこと、快復されることを祈っています。
ありがとうございます。
4月30日は北アルプス全体的に天気悪かったみたいですね。皆様無事でなによりです。
私のケガのほうは順調に回復しています。おかげさまで、GW後半はうちでだらだらすごしちゃいました。