れいちゃんのお庭散歩*番外編大震災の記憶、胸の奥にいつまでも・・・
あの日から4年の歳月が流れました。
あの日から時間が止まった方々の時間も少しずつでも動き出していると信じたい・・・
今日は鎮魂の1日・・・
3年前にUPした自分のブログを振り返りながら、この日を胸に刻み続けたいと思います。
*****・・・・*****・・・・*****・・・・・2012 3.11 記
2011 3.11 大震災、津波で亡くなられた方々に 心からご冥福をお祈りいたします
3.11の朝も何ら変わりのない金曜の朝で、私は所属するバドミントンクラブで練習していた。
練習から帰り、いつもの様に昼ご飯を食べて、いつもの様にメール便の仕事をし終えた。
一休みして、コーヒーでも飲もうかな、と思ったその時に・・・ 揺れが来た。大きな大きな揺れが来た。
今までに経験したことのない揺れに、慌てて外に飛び出した。
揺れている、大きく揺れている・・・ お向かいに住む小学生の女の子が一人で留守番していて、泣きながら外に出てきた。
その子を抱きしめ、大丈夫だよ!と声をかけてるうちに揺れはおさまった。
家に入り、すぐにテレビをつけ、家内に異常が無いことを確かめた。・・・どこかのテレビ局の屋上が燃え始めていた。
どこかのテレビ局は、東北のテレビ局につなぎ、状況の問い合わせをしていた。
まだどことなく・・・なんの焦りも感じていないような・・・そんな雰囲気にも思えた。
東京の会館が壊れ死者が出ていた。。。
何分かして、、、、、津波の情報が入り始めた。 テレビ局のヘリコプターが海の彼方の津波の始まりをうつし始めた。
大きな幅の白いうねりが、陸に押し寄せてる・・・ えっ!と思うまもなくそれは陸にたどり着き・・飲み込み始めた。
すごい勢いで、田畑やビニールハウスを飲み込み・・・すごい勢いでまだ走っている車を飲み込んでいく・・・
これは、映画でもなく、ドラマでもない、現実のもの。。。だけど、ほんと?これは、現実??えっ??
テレビの前で、どうしてそこにいるの~~!逃げて~!!と叫んでいる自分がいた。
救助を求める人達、、、気仙沼、炎上・・。あちこちの瓦礫の山・・ コスモの石油タンク、爆発・・。電源喪失し、冷却できなくなった原子炉の暴走・・・。
多くの犠牲者を出し、多くの避難者が生まれた。 何気ない普通の生活は 奪われてしまった。
私たちの生活は、なんと脆いものに守られているのか・・・ だけど、その脆いものに依存しなければ生きていけないのかもしれない。
慎ましやかな普通の生活が、なんと幸せでありがたいものなのか・・・
お店の棚から物がなくなっていき、ガソリンを買うのも長い行列が出来たり、計画停電が実施されたけど、、、
避難生活をされている方々の苦しみ、辛さ、悲しさを思うと、こんなことくらいなんでもない事だった。
原子炉の水蒸気爆発・・・ それでも、炉内で暴れる原子炉をなんとかしようと、奮闘されている・・・胸が痛かった・・
原発が落ち着くまでは、見えない恐怖は正直言ってあった。私の仕事は外での仕事。
最初に降った雨は、怖かった・・・。コスモの石油タンクが爆発した時は、善意のチェーンメールが届いた。雨に濡れると危険だと・・・
だけど、考えてみれば私のこの歳では、多少の放射能を浴びても、多少の有害物質を浴びても、その影響が出る前に寿命が尽きるかもしれない、とも考えた。
心配なのは小さいお子さんのいる家庭。妊婦さん。。子ども達は守らなければならない!絶対に!!
私に何ができるだろうか・・・ 何をしたらいいのだろうか・・・ 問い続けた1年だった。考えさせられた1年だった。
普段通りの生活の中で、募金したり、東北の物を積極的に買ったりした。
・・・・私にはそんな支援しか出来なかったけど、これからも続けたい。
重い1年の歳月を経た今日・・・ 各地で慰霊祭が執り行われた。
この月日の中で、今まで流す事が出来なかった涙をようやく流す事が出来る方もいるかもしれない。
止まってしまった時間が動き始める方がいるかもしれない。
鐘の音、笛の音 歌声・・・それらは希望の音となって、東北の地に届きますように・・・
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5年後にオリンピックが開催される前に、復興が1日でも早く進むことを願っています・・・。
災害は、いつどこで起こるかわからない。
それを怖がるのではなく、それに対してどう向き合うのかどう対処出来るのかを
これからの私の課題として毎日を過ごしていきたいと思います。
今のこうしたささやかな日常は、当たり前でなくとても大切で幸せだということ・・・
・・・この思いを胸に秘め、私の小さな幸せ探し、続けていきたいです。
今日もブログご訪問ありがとうございました。
皆さまにとって、明日も素敵な一日になりますように・・・♪