「 希望 」

この地球が、希望の持てる環境になりますように!

日本の未来を支える保育園、幼稚園児教育に期待したい。(可能性をもつ子どもたち)

2012-06-21 20:02:30 | Weblog

今は亡き、東京工業大学の数学者であった、遠山啓先生が、ご著書(水源をめざして)の中で

次のように述べています。


「大人は、あまり期待がかけられない。まちがった教育でだめにされてしまっているからだ。

しかし、子供にはまだ希望がつなげる。そのためには、いまのまちがった学校教育を

変えていかなければならない。そのために何ができるか、

ということが私の余生の課題である。」


先生のお気持ちはとてもわかる気がします。

時代は変化しました。そして改善もされてきていると思います。

しかし、教育の根本はあまり変わっていないように思えてなりません。

私も一生懸命、先生の考えられた課題について考え、表現し、生きていきたいと思う。

今後は、保育園や幼稚園、また小学校などでの教育(私は共育と考えたい)の中身について

わたしなりに考え、発表してゆきたい。



以下の写真は野生のサクランボです。(いろんなサクランボが、共生、共存しています。)


予備校や学習塾などがこれほどまでに増えるのはなぜだろうか?(素朴な疑問)

2012-06-21 11:26:48 | Weblog
直感的に、今の教育は根本的なところに、欠陥があるのではないだろうか?

今の学校教育に、ついていけない生徒が、学校でフォローしきれず、

やむをえず、塾や家庭教師に頼らざるを得ないところもあると思う。

(フォローは、本当は学校がするべき仕事と思える。)

国際的にも、国内的にも、経済の問題や、就職の問題など、いろいろ理由はあると思う。


しかし、着眼点を誤らないようにしたい。


もし、社会情勢が厳しいからという理由のみで、それに依存するならば、部分にとらわれ

本当のところを見失ってしまいそうである。


中国や韓国はもっと激しいかもしれない。


そういう社会から、育つ青年はどういう人格をもってくるだろうか?

また結果として、社会は”格差”が必要以上に大きくなっていくのではないだろうか?


素朴な疑問ではあるが。。


私は過去のブログでも述べたが、そこに横たわる解決テーマは”実行力を伴った優しさ”

ではないかと感じている。

上に登ることのみでなく、遅れた仲間の手をひいて、共に進もうという”強い優しさ”

が必要な気がする。

これが、”社会の気風”になるまで続けることだと思う。個人的な、”良い話”では、

永続性に欠けると思う。

やや長い時間を要すると思われるが、進化する人間を思えば、そう進みたいと切に思う。