昨年後半に体調を崩して自宅療養していたのだが、ここ数週間、危ないと言われていた義父。
31日の0時を回り、紅白を見終えた我が家では「ではお風呂に入って寝るか・・・」という状況の時に、夫の母から「お父さんが息をしていない」と電話があった。
まるで2012年になるのを待っていたかのようだった。
年末に高熱を出した後に大晦日には熱も下がり、「これなら無事にお正月を迎えられるね」と言っていたのに。
高卒ながら、通信教育で大学卒の資格を取り、司法試験に受かったという努力の人だった。
もちろん、現役時代はほとんど休暇などとったことはなかったという。
私は、引退以後の旅行や水墨画を趣味に楽しんだ姿しか知らないが、それでも夫や義母の話しから、勤勉実直な昭和一桁の性格をうかがい知ることはできた。
正月休みと重なったおかげで、もろもろの手続きで会社を休みのも最低限で済んでいる。
「まるでお義父さん、俺たちに会社を休むなと言っているみたいだ」と夫は苦笑する。
この週末に、通夜と葬儀・告別式がある。
結婚した時に誂えた喪服のしつけをついに取ることになってしまった。
年末は、2012年の着初めは、初釜で着る訪問着だろうと、帯揚げなどを新調し、コーディネートに頭をひねっていたのに。
まさか、喪の着物になろうとは。
しかも、葬儀は初釜と同じ日だ。
結婚して17年も経っているのに、喪服の色褪せもカビもなく、しつけをとってアイロンをかければすぐに着られる状態だった。
しばらく見ていなかった実家の紋に、どきりとさせられる。
ないのでは・・・と懸念していた、草履もバッグも数珠もすべてそろっていて、改めて実家の親に感謝。
この着物を作ったとき、私の親はどんな想いだったのか。
もしかしたら、これに初めて袖を通す時は、自分の葬儀の時かもしれない…などと思ったのか。
それとも、嫁ぎ先に喪服などは持って行かせないと、肩身の狭い思いをすると思っていたのか。
(幸い、そんな家ではないですが)
親のことを考えざるをえない2012年の幕開けとなった。
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<「丸に蔓柏」が実家の紋。この紋に、すごい違和感を覚えたことが、結婚してからの年月の長さを感じさせる>
31日の0時を回り、紅白を見終えた我が家では「ではお風呂に入って寝るか・・・」という状況の時に、夫の母から「お父さんが息をしていない」と電話があった。
まるで2012年になるのを待っていたかのようだった。
年末に高熱を出した後に大晦日には熱も下がり、「これなら無事にお正月を迎えられるね」と言っていたのに。
高卒ながら、通信教育で大学卒の資格を取り、司法試験に受かったという努力の人だった。
もちろん、現役時代はほとんど休暇などとったことはなかったという。
私は、引退以後の旅行や水墨画を趣味に楽しんだ姿しか知らないが、それでも夫や義母の話しから、勤勉実直な昭和一桁の性格をうかがい知ることはできた。
正月休みと重なったおかげで、もろもろの手続きで会社を休みのも最低限で済んでいる。
「まるでお義父さん、俺たちに会社を休むなと言っているみたいだ」と夫は苦笑する。
この週末に、通夜と葬儀・告別式がある。
結婚した時に誂えた喪服のしつけをついに取ることになってしまった。
年末は、2012年の着初めは、初釜で着る訪問着だろうと、帯揚げなどを新調し、コーディネートに頭をひねっていたのに。
まさか、喪の着物になろうとは。
しかも、葬儀は初釜と同じ日だ。
結婚して17年も経っているのに、喪服の色褪せもカビもなく、しつけをとってアイロンをかければすぐに着られる状態だった。
しばらく見ていなかった実家の紋に、どきりとさせられる。
ないのでは・・・と懸念していた、草履もバッグも数珠もすべてそろっていて、改めて実家の親に感謝。
この着物を作ったとき、私の親はどんな想いだったのか。
もしかしたら、これに初めて袖を通す時は、自分の葬儀の時かもしれない…などと思ったのか。
それとも、嫁ぎ先に喪服などは持って行かせないと、肩身の狭い思いをすると思っていたのか。
(幸い、そんな家ではないですが)
親のことを考えざるをえない2012年の幕開けとなった。
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<「丸に蔓柏」が実家の紋。この紋に、すごい違和感を覚えたことが、結婚してからの年月の長さを感じさせる>
思いがけない時期に喪服に袖を通すことになられましたが、ただでさえ大変なときに慌てることなくすべて整っておられたようで何よりでしたね。
いずれこちらも順繰りやって参ります。しかし喪服の準備は出来ても、心の準備というのはやはり出来るものではありませんですね。
お家で最期をむかえられるというのは、昨今ではなかなか無いですよね。大変なご苦労があった事と思いますし、これからも色々と大変だと思いますが、お体には気をつけてください。
家紋に関しては、我が家は女紋を受け継いでいるので、夫の実家の紋をつける事は今後も無さそうです。実は実家の紋がなんだったかも忘れています、、大汗。
どうぞお疲れの出ませんように・・・。
あまりお力になれませんけれど、お悔やみ申し上げます。
寒い日が続いてますので、お風邪を召しませんよう
はつきさんもどうかお身体お気をつけ下さいませ。
ワタシも結婚の時に5枚の着物を持たせてもらいましたけど
うち2枚は喪服です(夏冬両方)
もう何度か手を通してますが、用意してくれた実家に感謝です。
実家は庵に木瓜(あの工藤祐経の紋)なのですが
女紋は木瓜に抱き牡丹なんですよ。
早速のご挨拶、いたみいります。
今夜は通夜ですが、緑内障で難儀していた義母の着替えを手伝うことができ、着物が好きだったおかげで思わぬ親孝行ができました。
子供もいないせいか、いつまでも「こども」気分だった私たち夫婦も、喪主を務めることで、否応なしに「大人」を自覚させられます。この葬儀は、本当の意味で私にとって「成人式」なのかも。
紋は奥深いですね。関西では「女紋」をつけると聞いていましたが、岩手でも女紋の習慣があるのですね。こうなると、なんだか自分の好きな紋をつけて良いような気がしてきました(^^)v。