2022/6/18(土) 晴
今日の最高気温予報は31°来週の天気予報も傘マークが並ぶので、午後14時半からではあるがポタリングに出る。帰宅予定時間は18時と短いので、目的地を宇土市椿原の宇土市指定史跡「宗福寺跡」とする。
方向は南。井芹川沿いを下り、高橋稲荷神社前を通り平木橋を渡る。国道501から国道57を横断し宇土市椿原へ向かう。
宗福寺(写真1.2参照)は、渦巻き状に反時計回りに道を詰めた奥にある。これまで数度探訪しようと近づいたが、サザエのしっぽの先ような所とは想像できず辿り着けなかった。
説明板(写真3参照)には、「宗福寺は、八代市妙見町にある曹洞宗悟真寺の末寺で、永正年間(1504~1521)に名和顕忠が名和氏の菩提寺として建立したと伝えられています。開山は利屋貞和尚、本尊は地蔵菩薩立像。
名和氏の出身地は伯耆国(現在の鳥取地方)でしたが、鎌倉幕府滅亡の際、後醍醐天皇のもと南朝方として戦った名和義高が、恩賞として八代庄(現在の八代地方)を与えられたことから、一三五〇年代に一族が八代に移住してきました。その後、宇土氏や相良氏などの周辺領主と領土紛争を繰り返し、永正元年(1504)頃、ついに名和顕忠が宇土城(西岡台)に入城します。天正一六年(1588)に小西行長が宇土に入るまで六代にわたり宇土城主の座にありました。
宗福寺堂内には、本尊の地蔵菩薩立像のほか、開山・利屋貞和尚の木像、天文一五年(1546)に死去した名和武顕と、その息子で永禄五年(1562)に死去した名和行興の位牌(位牌二基は宇土市指定有形文化財)が安置されています。
お堂脇の墓域には、代々の名和氏とその親族が葬られていると考えられ、その中には名和行直墓(宇土市指定史跡)と考えられる、元亀二年(1571)の年記を持つ宝篋印塔も含まれています。これらの位牌と墓は・・・」とある。
境内に入って右側に六地蔵(写真4参照)が鎮座する。
その横に五輪塔(写真5参照)がある。説明板にあるところの「宝篋印塔」までは、気付かなかった。
帰路の途中、「太郎兵衛の渡し場跡」を観ようと思ったが分からない。帰宅して「宇土市デジタルミュージアム」で確認したところ、確かに通過しているが気付けなかった。
18時過ぎに帰宅した。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)23km→宗福寺跡24km →熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計47km 走行累計49,222km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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