熊本城地震被災状況
2016/4/26(火) 曇
今日の天候は曇。所用のついでに、熊本城の被害状況視察と熊本市災害ボランティアセンターまで行く。
熊本城を新堀橋方向から見る(写真1参照)。
監物櫓(重要文化財)の土壁が傷んでいる。
城内は通行禁止で入れない。
左手の角石が2箇所白く見える(写真2参照)のは、地震の強い力により剥離しているものと思う。
右手熊本市熊本城総合事務所前の石垣が崩落している(写真3参照)。
更にその右手三の丸細川刑部邸方向の石垣にもブルーシートが掛けてある(写真4参照)
東側に廻り、KKR(国家公務員共済会館)前から天守閣を望む(写真5参照)
大天守の瓦は崩落している。小天守の瓦も傷んでいる。
日常であれば、ここから見上げる本丸は雄大そのものであるが・・・。
加藤神社の一角か本丸広場の一角か分からないが、石垣が崩落している(写真6参照)
五間櫓の辺りか、大きく崩落している(写真7参照)
東十八間櫓か大きく崩落して、下段の神社を覆っている(写真8参照)
上記崩落場所を、角度を変えて見る(写真9参照)
坪井川沿いの長塀も倒壊している(写真10参照)。
昨年の台風被害から復旧したばかりだったと思うが・・・。
備前掘り前から飯田五階櫓方向を見る(写真11参照)。
飯田丸は楠に隠れて見えないがその手前の石垣が崩落している。
熊本市災害ボランティアセンター(写真12参照)を覗いて見るが、やはり若い人ばかりで躊躇し、立ち寄らないで通過する。
帰宅途中で、道路アスファルトの亀裂から水道の漏水と思える個所があったので、写真(写真13参照)を撮って上下水道局にメール通報した。
これくらいであれば私にもできる(自己満足か?)
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)13km→熊本市災害ボランティアセンター7km→熊本(自宅)所要時間3時間(実2時間) 総計20km 走行累計16,569km
熊本城
2016/8/16(火) 晴
今日は午前中1時間程の夕立が来た。16時現在の気象庁観測値は31.3度と少し涼しいので、所用方々ポタリングに出る。
そうだ!熊本城内が一部解放されたようなので行って見ようと思う。
飯田丸を支える仮設の鉄骨櫓が見えるので行幸橋を渡るが、写真が撮れる所までは近づけない。
城内に入って右手の馬具櫓の石垣が大きく口を開けている(写真1参照)
一旦場外に出て、新町一丁目御門前、札の辻から二の丸駐車場を経由して二の丸広場に着く。
戌亥櫓から続く西出丸ゾーン石垣が一部崩壊しているが、宇土櫓を手前に本丸大天守と小天守の雄姿は健在だ。(写真2参照)
但し、石垣は崩れていて、建物は地中杭で支持されていた。
戌亥櫓(写真3参照)の北側の石垣は、崩落している。
戌亥櫓から北大手門に至る石垣も、全面崩壊(写真4参照)している。
更に奥に進んで、加藤神社までは行ける。
加藤神社から見上げる宇土櫓(写真5参照)は、高い石垣共々健在だった。
奥に大天守、小天守が見える。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)→熊本城内往復13km 所要時間2時間(実1.5時間) 総計13km 走行累計17,771km
熊本城
2017/9/19(火) 晴
今日は、日中ずーっとパソコンの前にいた。
夕方家内が散歩に行って来れば・・・と薦めるので、散歩代わりに自転車で出かける。
日没まで少し時間があるので、熊本城内を周って帰宅することにする。
肥前街道確認のため法華坂を上り、住江門(写真1参照)から城内二の丸広場に向かう。
が、その前に、法華坂から住江門の桝形に曲がる前の突き当りの石垣の崩壊具合(写真2参照)を見る。
石垣は石にペンキ塗りの番号が見える。明治22年の地震被災修復時の整理番号のようだ。
二の丸広場から本丸方向を見る(写真3参照)。
薩摩の殿様御一行も、参勤交代の道中にこの風景を眺めたものと思う。
豊前街道は、写真左手方向二の丸御門に下って行く。
宇土櫓の後ろ側が、大天守・小天守(写真4参照)だが、今は仮足場に覆われている。
手前、戌亥櫓から右手木の陰部分の石垣は、地震被災で崩壊している。
塀は全面倒壊している。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)7km→図書館4km→妙解寺跡7km→熊本(自宅) 所要時間2時間(実2時間) 総計18km 走行累計22,070km
熊本城関連ブログ(2015/9/28)
熊本城飯田丸・櫨方門・馬具櫓
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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