熊本から気ままに山と自転車のブログ

馬門石の井樋橋

井樋橋
2020/4/4(土) 晴
桜花の季節は短い。天候は晴れ、気温予報20°、今日も絶好の自転車日和に午前10時過ぎにポタリングに出る。

富合町の新幹線車両基地の南にある井樋橋(写真2参照)が、地震災害で壊れていたが修復されていた。
被災前の井樋橋は、2006年に当時の富合町が重要文化財に指定していた。加藤清正が1608年に馬門石で築造した現役の文化遺産であったが、残念だが原型復旧は叶わなかったようだ。



馬門石の井樋橋
2015/3/9(月) 晴

午前中雨だったので、水溜り等があることを前提にMTバイクで午後2時から出かける。
方向は、北風が強いので南へ。
日本稲荷五社の一つ髙橋稲荷神社(写真1参照)前を通り、八城橋を渡り南進する。
緑川堤防に出て平木橋、太郎兵衛橋を渡り宇土市船場へ。

船場界隈を後にして運動公園まで足を延ばし、小休息して帰途に就く。
途中、富合町JR九州新幹線車両基地の南にある潤川に架かる井樋橋(写真4参照)を観て、清正公(加藤清正)の遺徳を偲ぶ。
この橋は慶長13年(1608年)建設で、下は樋門となっており、現在でも防潮堤として自動で開閉する機能を有している言う。


井樋橋を後にして、車両基地のフェンス越に新幹線の車両を眺めながら北に走る。
川尻町では河尻神宮にお参りし、北へ急ぎ走る。
帰宅して、宇土土産の定番「宇土餅」(写真5参照)を食する。
一口サイズの食べ易さが良い。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)24km→宇土市運動公園21km→熊本(自宅)
所要時間4時間(実4時間) 総計45km 走行累計10,296km

 

第八代横綱不知火諾右衛門の墓・井樋橋
2014/9/5(金) 晴/曇

天候は晴れたり曇ったり、湿度は高い。走行予定距離は40・50km。
自宅を11時出発。
北風だったので南をめざすが、3.5km地点で長距離走行不能の自転車整備不良を発見。
一旦帰宅して、昼食と整備の後13時半再出発。
久しぶりに髙橋稲荷神社の門前を通る。
髙橋稲荷神社は、九州三稲荷、日本五大稲荷の一つとされる。
更に南下し、白川の八城橋を渡り、緑川の平木橋を渡る。
平木橋を渡ったところで、旧流路に沿って走ってみることにする。
緑川は、江戸時代末に現在の流路に変更されるまでは、平木橋上流側で大きく宇土市側に蛇行していた。
従って走潟村(現在の宇土市走潟町)は飽田郡の内であった。
なにか史跡的なものはないかと思い探す。
旧流路を緑川本流から分離した堤防の際に河尻神宮の分社がある。
轟水源を今日の折り返し点としようと思い、宇土市街地中心部、宇土高校横を通る。
西岡神社を過ぎた所に「轟水源」の標識と並んで、「不知火諾右衛門墓」標識があったので、行ってみることにする。
不知火諾右衛門の墓は、宇土市栗崎町の丘を少し登ったところにあった。

帰路は国道3を北上する。
熊本市富合町の新幹線車両基地の南に、慶長13年(1608)に加藤清正が馬門石を使って建設したとある。
観音開きの樋門が付いた井樋橋(写真3参照)を見る。
追記:2016年の地震災害により被災して現在解体撤去中。原型復旧はあるのか?(2019.3.23記)


18時自宅着。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)30km→宇土市不知火諾右衛門墓25km→熊本(自宅) 所要時間5.5時間(実5時間) 総計55km 走行累計7,491km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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