熊本から気ままに山と自転車のブログ

肥後安国寺

肥後安国寺(合志三十三観音30番札所久米村円通院観音堂)
2020/4/20(月) 晴

天候は晴れ、気温予報20°弁当を買うための人との接触を避けるため、早目の昼食をとり午前12時からポタリングに出る。目的地は、未定。

取敢えず北方向に向かうが、昼からでは調子が出ない。
緑陰の中を歩くのが良いと弁天山公園に到着する。駐車場(写真1参照)は、コロナの影響だろういつもより車が多くほぼ満杯状態。
ここの公園の歩道は、半日陰の木漏れ日が差す緑陰コースで人気のようである。


駐車場の状態から推測して歩道も込み合っているだろうと、次の目的地、孔子公園(写真2参照)に向かう。
ここは、いつもだと弁当を買って昼食とする所だが、今日は立ち寄っただけで次に向かう。トイレは解体工事中だった。


久米地区に「肥後安国寺」(写真3参照)という寺がある。わざわざ「肥後」を冠するは、なにか謂れがあるだろうと訪ねることにする。


境内入り口に説明板(写真4参照)がある。
「安国寺堂宇
もとは青原山寿勝寺と号し、元応年間(1319~21)に禅僧東明が開山した寺でしたが。室町時代になり足利尊氏が国家安寧の祈祷寺として安国寺を全国に配した。寿勝寺から安国寺と改められました。
堂宇は礎石からすると奥行約6m、幅約5m、と推測され、奥行の3mと外周する手摺り付き濡れ縁は明治20年に増築されたものです。本尊の釈迦像は県の調査により永正12年(1515)に制作されたものと判明し、菊池23代政隆がこの寺で自刃した久米原の戦い(1509)により焼失した後に改めて制作されたようです。脇にある開山僧東明像の制作年代は不詳です。
またこの寺には古くから涅槃図が伝わっています。毎年2月15日には地元区で涅槃会が行われ、堂宇の正面に掲げられる涅槃図に区民それぞれの思いを込めて祈っています。」とある。
安国寺と聞いて安国寺恵瓊を思い出したが、「瑶甫恵瓊は安芸安国寺を住持としたことにより、別名安国寺恵瓊という」(ウィキペディアより)とあり、室町幕府の祈祷寺という権威が外交僧としての活躍の源泉だったか?


菊池政隆公墓とその説明板(写真5参照)があり、「・・・家臣団が阿蘇大宮司家より迎えた阿蘇惟長(菊池武経)と家督を争うことになり・・・阿蘇氏の本拠であった浜の館(山都町矢部高校付近)へ護送されていた政隆は、旧臣玉屋三郎貞親により救出され、兵二百をもって安国寺に陣を構えました。対する武経は兵五百を率い、この地で再び刃を交え・・・「久米原の戦い」と呼ばれたこの戦いに敗れた政隆は安国寺で果てました。享年19歳でした。・・・」と、菊池氏の血筋が阿蘇にとって替わられた戦いだったようである。


現在時刻15時、帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)21km→肥後安国寺25km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計46km 走行累計32,850km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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