合志三十三観音霊場8番札所水溜善福寺・7番札所永村観音堂・流鏑馬堂立像・6番札所住吉村天応寺・9番札所揚柳山観音寺・10番札所小足村滞留庵
2022/4/22(金) 晴
今日の最高気温予想24°。目的を国道387沿いの菊池三十三観音霊場巡礼に行くつもりで10時からポタリング出かけたが、途中から県道329沿いの永村流鏑馬堂及び、「水溜善福寺・永村観音堂・住吉村天応寺・揚柳山観音寺・小足村滞留庵」の合志三十三観音霊場巡礼に変更した。
最初は菊池市泗水町の合志8番札所水溜善福寺(写真1参照)を拝する。須弥壇に鎮座するのは十一面観音座像のようである。
水溜善福寺を後にして、合志7番札所永村観音堂(写真3参照)を拝する。こちらも、須弥壇に鎮座するのは十一面観音座像のようである。
永村観音堂を後にして南住吉区の住吉村天応寺に移動途中、流鏑馬堂(写真5参照)に立ち寄る。堂内には、菊池市指定文化財の座像、立像の二神体が安置されている。
説明板(写真7参照)には、「流鏑馬堂木彫りの座像・立像。この流鏑馬堂は、延文二年(1357)、合志五郎定実の創立といわれ、祭神ははっきりしませんが、熊野の神ともいわれます。合志氏の居城であった池上城が隣接しており、この辺りには「馬場」と呼ばれる地名も残っています。また合志川の向こうにある住吉日吉神社では、豊臣秀吉の刀狩令が発せられるまでは流鏑馬が奉納されていたと伝えられ、社号の流鏑馬堂も、そのことに由来すると推測されます。
本堂は台風の被害により平成四年に建て替えられており、その時に、神殿に納められていた木彫り座像、立像の二神体が文化財指定となりました。制作年はっきりしませんが、二体とも鮮やかな彩色が施されていた様子が見えます。
また、ここに立つ板碑は、もとは馬場の西端にあったものを移転したものですが、「合志川芥」によれば、文明十四年(1482)、疫病が流行した時、合志高岑が光明寺で百万遍の祈祷を修めたので全快したが、辻の建石この時の石と伝える、とあり、泗水地域では最も古い板碑です。・・・」とある。
流鏑馬堂から東に200mほど東に行った所に、三十三観音堂の標柱と板碑と地蔵尊(写真8・9参照)が鎮座する。この写真板碑の上部に御堂が写っているが、ここが合志6番札所住吉村天応寺である。須弥壇に鎮座する仏様は、Web「肥後のおと」によれば十一面観音のようである。
国道325を横断して、菊池市旭志川辺に9番札所揚柳山観音寺(写真11参照)が鎮座する。
二体の仏様が鎮座する。左側は十一面観音の様であるが、右側は分からない。
揚柳山観音寺を後にして、尾足に移動する途中に「尾足横穴墓入口」の標柱(写真13参照)を見たので、登ってみたが竹が密生した藪で登れなかった。
矢護川沿いを遡って尾足日吉神社の向かいに10番札所小足村滞留庵(写真14参照)が鎮座する。扉は鍵が掛かっていて拝顔は叶わなかった。
この後11番札所片俣村観音堂を目指すが、「片」だけのうろ覚えだったの片川瀬まで来て探訪出来ず、現在時刻14時半帰途に就く。
16時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)34km→集林寺24km →熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計58km 走行累計47,728km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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