熊本から気ままに山と自転車のブログ

山鹿城跡・大宮神社・加藤神社

山鹿城跡
2019/1/23(水) 晴

今日は、朝から好天気で張り切って自転車に乗ろうと思っていたのだが、所用のためやむを得ず昼からの走行となった。
13時出発、17時帰宅予定で、4時間での往復では行ける所は限られる。
目的地は、いくつか考えていた中でストレスなく走れて片道2時間ということで、山鹿市中世の城山鹿城跡の清滝神社(写真1参照)他国登録有形文化財の住宅2軒とした。
予定時間の2時間で清滝神社に到着。


境内に入った正面に山鹿城跡の石碑(写真2参照)がある。
菊池川に向かった丘陵地の上にあるが、写真のとおり眺望は良いとは言えない。


説明板(写真3参照)では、山鹿城は菊池則隆の次男西郷太郎政隆より出た山鹿氏代々の居城だったとある。
天正15年(1587)、城主山鹿彦次郎重安のときに起きた肥後国衆一揆の戦いに参加し、豊臣秀吉軍に敗れ、小倉において秀吉の命令により切腹させられたという。


国登録有形文化財の住宅2軒については、少し探したが分からず後の課題として帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→山鹿城30km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実4時間) 総計57km 走行累計26,966km


大宮神社・加藤神社
2017/8/25(金) 晴

今日の天候は、晴れているが湿度が高く蒸し暑い。しかし、ここのところ自転車から遠ざかっていたので、熱中症だけには注意しながらもポタリングに出る。
今日の目的地は、山鹿市方面。
所用のため国道3に上り、用件を済ませ北上する。
道の駅「すいかの里植木」から県道329を有泉に下り、小野川沿いに走り植木温泉から熊鹿ロードに入る。
一般道経由だが、クロスする道が少ないので走り易い。
熊鹿ロード分田から菊池川を渡る。
熊鹿ロード来民辺りには、マルバルコウソウ(写真1参照)が咲き「秋」到来を思わせるがまだまだ暑い。


一旦、国道325に出でて山鹿市墓地公園に寄るも遺跡らしいものはない。
国道325の旧道(旧菊池往還)と思える道を西進すると、右手に大宮神社(写真2参照)がある。
先日の山鹿灯篭祭りの奉納灯篭は、この神社の祭りである。


主祭神は景行天皇とある。(写真3参照)
お祭りを批判するつもりはないが、征服者の景行天皇がそれまでの圧政からの解放者というストーリーも考えられないではないが、ここにも権力者に対する日本人の従順性を見たような気がする。
青森のねぶた祭りは、「まつろわぬもの」を大量に殺戮し埋めた(根のくにに蓋をする)「根蓋」という。
飛び跳ねる動作は蓋をした大地を踏み固める動作という何とも恐ろしい話である。


その先左手に、一際立派なお地蔵様(写真4参照)が御座った。
火登り地蔵」とある。
火除け地蔵の一つであるが、この地蔵には逸話があるようだ。
これも後日調べようと思う。


このお地蔵さんの場所は、距離は短いが加藤神社の参道(写真5参照)である。
前回来たときは、鳥居もあったが地震災害にあったか?
基部だけが残っていた。
加藤神社はそんなに多くはない。
なぜここに加藤神社か?調べてみたいところではある。


この道は、豊前街道から分岐した「菊池往還」(写真6参照)とある。
山鹿手永と中村手永の境で、番所門があった所とある。


山鹿市街地を通り、県道16を西に走り山鹿市小原に到達する。
小原から東方向に向きを変えて台地に上る。
坂の途中にあった栗の木のイガも確実に大きくなっていた。
台地の上り南方向に塚が見えた。
古墳か?と心が躍ったが、残土を盛ったもののようだ。
更に東方向に進むと、熊本県教育センターの建物が見えた。
この辺りで、熱中症の初期症状の「生あくび」が出始めた。

「ここ迄来ました」の証拠写真を撮って、道の駅「夢大地館」で給水と休息を取って帰途に就く。
休息できる場所があって助かった。「夢大地館」に感謝です。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)29km→山鹿市山鹿10km→志々岐27km→熊本(自宅)所要時間7時間(実5時間) 総計66km 走行累計21,843km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「加藤清正遺跡等」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事