熊本から気ままに山と自転車のブログ

立神狭(町指定名勝)

立神狭
2018/3/9(金) 晴

天候は曇り空だが、昼からの回復に期待してポタリングに出る。
外に出たら北風が強いので、帰りは風が弱まることを期待して南方向に走る。
目的地は、以前に訪れたことのある氷川町の運動公園傍の西南戦争戦没者慰霊碑とする。
宇城市から先は、国道3を避けて県道14を南下すると、大木が見え古墳程の微高地が見える。
氷川町の竜北歴史資料館だ。古墳に見えたのは、庭園の築山だった。
築山の前には池があり、錦鯉が泳ぐ(写真1参照)。


資料室は前回見せていただいたので、町内観光パンフレットを頂き、観光案内板(写真2参照)を見て竜北道の駅へ急ぐ。


道の駅の休息室で弁当を食べていると同好のオジサンと話が弾み、お薦めは無いかと問うと立神峡(写真3参照)が良いというので訪ねることにする。


国道3から氷川町宮原で国道443に左折し、氷川に沿って進むみ、立神峡第1駐車場の標識に従って左折すると熊野座神社(写真4参照)についた。


由緒書(写真5参照)では、「創建は景行天皇13年8年(743年)で、平家の一族が社殿を造営した。・・・」とあるが、743年は皇紀で西暦83年のことで卑弥呼の時代より前、平家は桓武天皇以後の臣籍降下というのが定説だからにわかには信じがたい。
景行天皇熊襲征伐譚の頃を創建年代とし、その後(西暦1335年)平家一族が社殿を造営したと理解したい。
平家日本原住民説に立てば、その後裔が社殿造営を行ったとも言える。


毎年10月9日に神楽が奉納される(写真6参照)という。


この神社の左裏手から遊歩道が整備されていて、少し登った所に吊橋(写真7参照)が架設してある。橋の上からの立神峡景観は絶景だ(写真3参照)


立神地区の文化財案内板(写真8参照)があるが、訪ねるのは別の機会として立神峡を後にする。


氷川町宮原の市街地から東側の丘陵地に上る。桜が丘グランドの隅に古墳らしい微高地(写真9参照)がある。


塚頂(写真10参照)に上がると、石とコンクリートブロックに長方形に囲まれた所がある。これが桜が丘古墳か?それとも室山古墳石棺の出土跡か?判然としない。
以前(2016.4.8)に訪れたことがあったが、上って来た道が違ったので地形が今一つ分からず、西南戦争戦没者慰霊碑の所在が分からない。
仕方がないのでグランドを後にして山を下る。
途中に上平原古墳があったが、過去に掲載してしているので写真は省略する。


桜が丘を下り、宮原市街地を行くと2体の地蔵様(写真11参照)が御座った。


由来書(写真12参照)には、涙を誘う話が書いてあった。
同情すると同時に、地蔵祭りという形で話が継承されることは、人情の醸成に必要なことと思う。


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)40km→氷川町立神峡40km→熊本(自宅) 所要時間8時間(実6時間) 総計80km 走行累計23,836km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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