デジタル画、始めました。

落書きしてます

寝食を忘れるとは、こういうことだったのね〜

2021-04-26 11:38:00 | 日記







ここのところ毎日、ビギナーズラックのアルの絵を使った組み合わせを楽しんでいる。
食事の支度も遅れがちで、あっという間に時間が経って寝る時間となる。
新作が出来ても家族はもう見飽きていて、アルじゃないのが見たいと言うのだが、こちらの熱がまだ冷めないでいる。

小さい頃からずっと、描いた絵を積極的に誰かに見てもらいたいと思うことはなかった。
描けば満足なのであって、他の人の感想など興味無かったし、むしろ見て欲しくはなかった。

でも今は、見てもらいたい、と思うのが自分でも不思議でならない。
ねえねえ、見て見て!って。小さなこどもみたい。





ビギナーズラック!

2021-04-25 18:04:00 | 日記
デジタル画における私のビギナーズラックは、このアルが描けたこと。




じつは、「ゲッ、こんなに太い線になってしまった、、、」と思いながら、適当に描いた。
まだ画面の大きさ設定も線の太さ設定も初心者。
もともとああいうのは描いたことがない。普通に紙に描く時には鉛筆を使っていたから、線は細いし強弱が出る。
でもデジタル画の線には不思議な魅力がある。太さも濃さも変わらないのに、サインペンやマジックでは出ない柔らかい感じになる。描く時に物理的に抵抗がないからか、線の始めと終わりが綺麗な半円になるからか。
点を打つだけで丸が描けるところも好き。
指で描くというのもいい。魔法使いになったみたい。

ところでもっとラッキーだったのは、娘が、私が失敗作と思っていたこのアルの絵を、好きだと言って救ってくれたこと。
本物のアルも、すんでのところをちばわんに救ってもらったけれど、絵のアルは娘が救ってくれた。
1枚のアルの絵をいくつも組み合わせる方法や、違う別の画面に入れる方法も娘から教わった。





ところでだいぶ話が飛んでしまうけれど、私は全然良い母親ではなかった。
娘とは、いろんな事情で離れて暮らしていた期間が長かった。
一緒に暮らしていた時にも、子供たちにあまり愛情をかけるということが出来なかったように思う。
でも当時は頑張っていたつもりだった。
食べさせなくてはいけない、病気にしてはいけない、勉強させなくてはいけない、という責任感だけは強かった。

離れていた時には辛かった。でも介護に追われてあんまり考える余裕もなかった。
娘はほんとうに大変だったと思う。

自分を本当の意味で大切にするという概念も、愛情を自分から出すという概念も私にはなかった。
イセハクさん(伊勢−白山道というブログを書いているリーマンさんのことです)が、私にそういうことを伝えてくれた。

小さい時、「本当のこと」を知ると幸せになれる、と思っていた。
その時思っていた「本当のこと」をずっと探していた。それに触れる事のできる幸せ。

50歳で実家に戻ってしばらくして、ある人からあるブログを紹介された。生き方についての文章なのだが、言いたいことは分かるような気がするけど更新がなかなかされないので、他の方の文章も読んでみた。
そして、ダントツでブログ一位に輝いていた「伊勢ー白山道」を見つけた。

「生かして頂いて有り難う御座います」の言葉は衝撃的だった。


太古の記憶

2021-04-24 15:16:00 | 日記
佐藤史生の「夢みる惑星」が好きである。昔からずっと。
付き合いは狭い方なので沢山の人に聞いたわけではないが、萩尾望都、大島弓子は読んでも、佐藤史生はね、という知人ばかりだった。佐藤史生の名前さえ知らない人もいた。昔は。
古いコミック版を各巻2冊以上持って読んでいた。そのうち文庫版も出て、けっこうファンが居るんだとわかって嬉しかった。
そうしたら豪華愛蔵版というのも出て、早速買った。

七生子シリーズ辺りから、上手い人だと思っていた。ストーリーはもちろん、デッサンが上手い。特に足の形が。
裸足を描くのは難しい。ちゃんと省略しないとゴツゴツした感じになってしまう。ヘタすると間抜けな感じになってしまう。まあ、顔だってそうなんだが。
足が上手く描ける人の絵は、他のところも安心して見ていられる。

「夢みる惑星」のストーリーで火星から地球に来て云々のところも、竜が普通に登場していることも、天変地異で滅んでしまうところも、本当のこととしか思えなかった。こういうのを「古代の記憶」と言うのかもしれない。

愛蔵版二巻目の表紙、翼竜に乗って夜空を行くシーンが印象的で、この絵を写しました。




父のこと

2021-04-23 20:50:00 | 日記
暮らしていけなくて、子供を連れて実家に戻った。
その半年後に父は亡くなった。
私に「自分が生きている内でなければ戻れないよ」と言っていた。
「遺影にするから」とデッキの、父のお気に入りの椅子に座って私に写真を撮らせた。
その写真は葬式に使われることはなかったが、今は仏壇で、にこやかに収まっている。
癌だった。手術後、割とすぐ退院した。手術は成功したが、食べられなくなった。

最後を看取ったのは私だった。

その朝、父はいつものようにベッドに上半身を半分起こしていた。
さすってあげようとして掛け布団に手を入れた。触った脚がもう生きていなかった。粘土のようだった。
父は私を制止し、「オムツを替えてくれ」「シーツは綺麗か?」と言った。
意識が無くなっても目は半分開いていた。心臓の鼓動が止まってしまっても私が背中をさするとまた動いた。
さするのを止めると心臓も止まった。ずっとこうしていても仕方のないことだと思ってやめた。
父を大好きだったし、尊敬していた。ただ胸の内の相談はずっとできなかった。

私が中学生の頃父が描いた油絵が一枚ある。故郷の風景を「あそこはこうだった」とか言いながら描いていた。
描いたのはこれ一枚。瀬戸内の穏やかな暖かい海だ。
私が美大に通っていた時の主任教授でいらして、卒業後も本当にお世話になった塩出英雄先生の絵を思い出す。






ようやく覚えたデジタル画のやり方で、絵にアルのイラストを重ねる。
その瞬間に思いもかけなかった想いが起こる。
入れたのはアルの姿なのに、「じゃあね」と手を上げて父が行ってしまう姿に見える。

もう戻ってこない?

アルの座布団

2021-04-23 10:28:00 | 日記

母が亡くなってから、ほとんど毎日お線香を立てている。
伊勢白山道ブログでリーマンさんがおっしゃっている方法で立てさせていただいている。
もしこれをしていなかったら、母が亡くなった後に長く辛い思いがあったに違いない。
何のご縁か、伊勢白山道ブログを知ることが出来て、読む事が出来て、とてもありがたいと思っている。
ありがとうございます。

ところでアルが今使っている座布団は、以前は私が線香を立てる時に使っていた。
アルが座るので、何度か乗ってはダメと言ってみた。
聞き分けが良くてソファーやベッドには乗らないのである。座布団もダメ、が通じると思った。
すると私の見ていない時に乗っている。何しろ抜け毛がスゴイのですぐに分かる。
結局アルに進呈した。お気に入りのようで普段は窓際で座布団を使い、腹這いになっている。

その座布団の下には、母が入院するまで使っていた薄い敷パッドを置いている。犬には母の匂いが分かるかもしれない。
私も母が残した服や、寝間着のパジャマまで使わせてもらっている。
姉2人のお下がりで育ったからか、服にそれほどの好みはない。母のお下がりまでいただき、ありがとうございます。