ピエール オーギュスト ルノワール1841年生まれ、1919年没
ルノワールは印象派の画家、後期は印象派とは一線を画しました
多くの印象派の画家とは異なり、ルノワールは貧しい労働者階級の出身です。
子どもの頃教会の聖歌隊に所属していて作曲家のグノーにその才能を認められましたが、陶器の絵付け師の仕事が決まり、音楽の道には進みませんでした。
その後、扇子に絵を描く仕事などをする傍ら、画塾にも通いました。印象派の面々との付き合いができたのはこの頃のようです。
今回はオルセー美術館の中でみられるルノワールを取り上げてみたいと思います。
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La promenade 1870年 1965年にはサロンに入選しました、1870年のサロンにも入賞しています。1970年には普仏戦争がはじまり兵役についています。
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Chemin montant dans les hautes herber 1875年
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La Seine a Chanprosay 1876年
このころから絵の売り上げが増えてきて、経済的にも安定してきたようです、庭付きの1件屋を借りて、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の制作に取り掛かった年と言われています。
しかし、ルノワールの描く裸婦を「腐った肉」と酷評する評論家もいました。