いろはにほへと

Corro atras do meu sonho.

やがてもっと楽しきニッポンゴ。

2008年09月29日 | たびたび、旅に出る

現在、世界でいちばん日本語を勉強している人が多い国。
それは韓国。
歴史的にみても、韓国には日本語を理解する人は今も多い。
なのに、なぜ・・・こんなにおもしろいニホンゴが
あふれているのだろう。
ブラジルの日本語学校なみのおもしろさだった。
この旅でわたしの目を惹きつけた栄えある(?)
ベスト3はこちら!!

第3位 大通りに面した定食屋にて
「うでん」

・・・惜しい。ただただ惜しい。
まあ、なんか違うけれど、これはこれでおいしそうな食べ物かもしれない。
おでんスープに白い麺が浮いててもいいかもしれない。



第2位 市場の裏通りにあった看板
「とうがらしい りょうり あります」

・・・たぶん辛い韓国料理のことだと思われる。
トウガラシ=辛いという意味をひっかけて(?)
「とうがらしい」と形容詞化してるところが秀逸。



第1位 地下道のエステサロンっぽい店の広告
「まつ毛の延長」


これにはまいった!
たぶんつけまつげをしてくれるところかと思われるけど
延長って。どんだけのばすんですか!
しかもこの店、ほかに「手の管理」「足の管理」というのもあった。
たいへん大げさな感じ。
安易に横文字を使わないところはアッパレだけど
日韓はこれだけ近いんだし人の往来も多いんだから聞いてほしい。
こういうのは日本では何て言われることが多いのか、一応は聞いてほしい。


・・・でも、「ひょっとしてわざとでは?」って思うほど
おもしろニホンゴが乱立していた。
でも指摘はしないんだ。
もっとおもしろくなってほしいから。 ←日本語教師にあるまじき発言。。。

満腹KOREA(2)。

2008年09月28日 | たびたび、旅に出る

韓国と言えば肉なんだろうねえ。
水原(スウォン)に行った時のカルビといい・・・




こーんなプルコギも大満足、大満腹な肉たち。




道端の屋台では焼き魚も売ってたんだけど、なんだか圧倒的に
肉メニューが多い気がする。
次回は魚メニューにも挑戦したいです。


お散歩の休憩には柚子茶と生姜のお茶を。



このお茶を飲んだ喫茶店はかなりの年代を感じて
しかもちょっと日本と似ていてなんだか懐かしかった。
親戚のおばさんが家事の合間に経営しているお店に
ちょっと顔を出した感じ、とでも言いましょうか。
妙になごんでくつろいでしまった。


日本語と韓国語をミックスしながらオーダーした
謎のかき氷。
お餅やらきな粉やら生クリームやらフルーツやらなんだかてんこ盛り。



こういうの、韓国風かき氷っていうんだろうか。
たしかパラグアイの韓国人街(?)に行った時に
食べたことあるような。。。
日本のかき氷と違って、フルーツとかクリームが異常にいっぱい
のっかってるんだよねー・・・って、南米での経験を今頃
本場韓国で答え合わせ。
おいしゅうございました。


満腹KOREA(1)。

2008年09月28日 | たびたび、旅に出る

韓国と言えば食の楽しみが大きい。
なんだかんだいってもうこの旅行から1か月が経ってしまったけれど
食の記憶は未だにどれも鮮やか。
どれもこれもおいしかったー。


そうそう、初日は「参鶏湯」(サムゲタン)。
これ、ぜひぜひ食べてみたかったのです。



鶏肉の中に栗とかギンナンとか薬味が入ってて
ほろほろくずしながらアツアツのをいただきました。
夏の食べ物の代表格だとか。
まわりの韓国人も無心に食べていた。


朝ごはんはこちら。おかゆさんです。
おかゆといっても具だくさんで、この日は「海鮮おかゆ」を食べました。



海の幸の出汁がおいしかった。
朝からおなかいっぱい。


お昼ごはんに行ったのは、オフィス街の中にあるお店で
この「コングッス」が有名なところ。



豆乳のスープに麺がなぜかカタマリで入っていた。
こちらも夏の風物詩的食べ物だとか。
濃厚なんだか薄めなんだかよくわからない絶妙な豆乳スープがやみつきに。
日本ではあんまり見たことないなあ、これ。

帰らざる。

2008年09月25日 | たびたび、旅に出る

朝鮮戦争の「休戦」した時に両軍の捕虜を交換した橋。
北朝鮮か韓国か、共産主義か資本主義かを
捕虜たちに選択させて、選んだ国の方へ渡らせたという。
時代的にも精神的にもまさに究極の選択。
一度この橋を渡ったらもう二度と向こう側へは行けなかったことから
この橋の名前は「帰らざる橋」。

人も時代も、帰ってなんかこられない。

遠い空。

2008年09月24日 | たびたび、旅に出る

軍事停戦委員会本会議場のまわりを警備する韓国側の兵士。
軍事境界線の向こうに広がる北朝鮮側を
どういう気持ちで見ているんだろう。



韓国には兵役があるんだけれど、ここに配属される兵士は
選ばれし優秀な兵士たちだとか。
そりゃそうだよなあ。。。
もちろん北朝鮮側の兵士も、かなりの難関を突破した
すごい兵士が警備にあたっているんだろうけど。
ガイドさんが言うには、ときどきこの「板門店(パンムンジョン)」ツアー中に
北朝鮮側の兵士を間近で見ることがあるという。
言葉は交わしたりはしないけれど、それはそれはスゴイ眼で睨まれるそう。
それと、彼らはみんな小柄だけれど手だけは妙に大きいという。
なんだかそのことが、わたしにはすごく印象的に心に残った。

こちらはJSA(共同警備区域)から少し離れたところにある
軍事境界線近く。
奥にある白い支柱のサビだらけの看板が軍事境界線の印。
こんなに長くこの「休戦」状態が続くと考えていなかった韓国側がたてたという。
思いのほか長引いている朝鮮戦争の「休戦」状態の年月を物語っている。



手前の芝生は韓国側。
向こう側の森は北朝鮮側。
敵の侵入を見つけやすく森を開いた韓国側と、境界線近くの
自分たちの動きを隠すために森を茂らせている北朝鮮側。
どこまでいっても平行線かと、気が遠くなる。



北朝鮮の旗が翻る「宣伝村」が見える。
自分たちがいかに裕福で楽しい暮らしをしているかを
見せつけるためらしいけれど
もう十何年も建設中の建物はそのまま放置されているし
人が住んでいる気配もまったくないという。

共産主義も資本主義も、こんなことをするために考え出されたわけじゃないのに。
空は当たり前のようにつながっているのに
ここの人だけが悲しいくらいに滑稽です。


JSA。

2008年09月19日 | たびたび、旅に出る

韓国と北朝鮮との「国境」は、北緯38度線だと
ずっと思っていたけれど、実は今はその意味を持っていない。
この北緯38度線は、第二次世界大戦が終わって日本軍が
朝鮮半島から撤退したあとにアメリカと旧ソ連が分割占領するため
引かれた線だった。
朝鮮戦争が一応の休戦を迎えた1953年に
韓国軍と北朝鮮軍の各陣営が対面していたちょうど真ん中を点にして
線で結んだ線が、現在の「軍事境界線」となったそう。

いよいよ軍事境界線上にある、板門店(パンムンジョム)の
共同警備区域(JSA)に行ってきました。
ソウルから約70キロ。たった70キロが今も「休戦」状態。
「統一路」という高速道路を通ってバスでのツアーだったけれど
在日朝鮮人を含む、韓国人は原則このツアーには参加できない。
外国人観光客は、国連軍のゲストというかたちで参加できるらしい。


こちらは共同警備区域(JSA)の中心。
水色の建物は軍事停戦委員会本会議場といって
軍事境界線をまたぐように真上に建てられている。



写真右奥は北朝鮮側。白い建物は「板門閣」という北朝鮮側の建物。
よーく見ると守衛のような人影が見える。
この人が、この日わたしが見た唯一の北朝鮮の人だった。
写真左手前は韓国側。
水色の会議場は両側にドアがあって、どちらからも入れる。
ツアー参加者のわたしたちはもちろん韓国側のドアから
この会議場に入った。

中に入ると真中にテーブルが置いてある。
このテーブルの上のマイクの列がちょうど軍事境界線の真上にくるように
配置してある。
なにもかも異常なほど厳密に二分してあることに、
この問題の根深さを感じる。

「韓国側および国連軍のゲスト」であるツアー客を警備するために
韓国側の兵士がふたり立っていた。
ひとりはマイクの列のあるテーブルの横に。




もうひとりは北朝鮮側に通じるドアの前に。



写真は撮ってもいいけれど、兵士の邪魔になる行動はしないことと
北朝鮮側のドアは絶対開けないことをしつこいくらい注意された。
・・・いや、開けませんよ、そんな。
この写真は北朝鮮側に入って撮ったもの。
テーブルの向こう側というだけなんだけど、わたくし
北朝鮮に行ってまいりました。。。


窓の外を見たら、コンクリートの線が。



これが、軍事境界線。
右側の砂利は韓国。
左側の砂地は北朝鮮。
こんなに近いのに、すごく遠い向こう側。
・・・これも「国境」といっていいんだろうか。

ちなみに韓国映画「JSA」(パク・チャヌク監督/2000年)で見た
光景を思い出したけれど、現実のほうがずっと非現実的だった。

向こう側は。

2008年09月16日 | たびたび、旅に出る

板門店(パンムンジョン)ツアー」のつづき。
臨津江(イムジンガン)という川に沿っての「統一路」(高速道路)を
さらに走っている最中に、ときどきガイドさんが
「川の向こうは北朝鮮です」と言う。緊張感。。。
川のすぐ向こうに北朝鮮の人とか兵士とかが見えることはないんだけど
こっちは裕福なんだぜと言いたそうな建物が建っていた。
もちろんそれは嘘っぱちで、韓国側はその地域のことを「宣伝村」なんて呼んでたりする。
バレバレなのに、宣伝している痛さ。
「宣伝村」と揶揄しながらも手を差し伸べられない痛さ。

こちらは平和公園に建てられている展望台。



ハングルで「臨津江(イムジンガン)」と書いてある。
この展望台に登って見える森の向こうは、韓国と北朝鮮との境界線。
軍域なので展望台からの写真撮影は禁止。


「自由の橋」。



韓国の捕虜がこの橋を渡って帰ってきたそう。
向こう側に見えている鉄橋は、分断されてしまった列車が通っていたそう。


「自由の橋」の入口に立っていたモノ。



・・・いっきに緊張感ダウン。二等身ですか、そうですか。
ちなみに男のコ版もあって腰が砕けた。プリティーすぎだろ。。。
いっそのこと顔ハメにしてもらいたかったよ。


「自由の橋」は真中で断絶されている。



金網に遮られていて、向こう側へは行けない。


家族や親せき、友達が「国境」のために離れ離れに
なってしまった人は多いという。
大半はもう亡くなっているという話もある。
その人たちのために建てられた石碑。
この日も花束を持って手を合わせる人が来ていた。



在日を含む、韓国人が来られるもっとも北朝鮮に近い場所は
この平和公園でおしまい。
ここから先は、「板門店(パンムンジョン)ツアー」に参加する外国人のみが
入ることを許されている共同警備区域(JSA)。

十勇士。

2008年09月15日 | たびたび、旅に出る

韓国に行ったならぜひ、と思っていたのは
北朝鮮との軍事境界線を見学すること。
そもそもひとつの民族がなぜ分断されることになったのか
「朝鮮戦争」について実はまったく無知なことに気がついた。
だいたい、中学や高校の歴史の時間は近代以降について
学ぶ時期になると終業式を迎えるから
じつは第2次世界大戦以降がかなりあやふや。
いや、日本が戦争にのめりこんでいくそのあたりの時代全般、
教科書自体が今もあやふや。

せっかくの機会なので参加したのは「板門店(パンムンジョン)ツアー」。
外国人観光客を対象に行っている、韓国と北朝鮮との
共同警備区域(JSA)を見学できるツアー。
朝鮮戦争とその後の南北分断に至った経緯について
ガイドさんの説明をフムフム聞きながらまずは「統一路」という高速道路を
走って着きましたのは記念公園。

この「肉弾十勇士」なる像は、朝鮮戦争で生身の体で
敵と戦った韓国の志願兵10人だそう。






生々しい歴史のうえに、今がある。
というか、まだここでは戦争は終わっていない。


水原(スウォン)に行ってきました。

2008年09月09日 | たびたび、旅に出る

韓国に行ってきました」のつづき。
ソウルから電車に乗って1時間くらいの町「水原」(スウォン)に行ってきました。
ほどよい距離の郊外の町で、世界遺産の建物もあるそうで
ちょっとした遠足気分。
まあ、韓国旅行自体が遠足なんですけど。


「水原華城」(スウォンファソン)は世界遺産にもなっているお城で
なんだか琉球の首里城にも通じる風格だった。そのなかで見学したのはこちら。



水原華城のまわりにあった「八達門」(パルタルムン)。
実は繁華街の中にあるこの門を見つけるまでになぜか
近くの小山をハアハア言いながら登ったり迷子になったりエライことに。
だって、繁華街の中にまさかこんなのあるなんて思わなかったんです。。。




もう少し行くと、ちょっとした万里の長城みたいな風景。
(行ったことないけど)




こちらは「華虹門」(ファホンムン)。
門の上は靴を脱いであがることができた。
近くにある中学校の生徒たちのたまり場になっていて
世界遺産であるはずなのにすごく身近な感じだった。
そういうの、なんかいいなと思う。
水門のアーチと流れる小川がきれい。
しばし、ここでぼんやりくつろいだ。


水原といえば、水原カルビが有名だそう。
ごま油、ニンニク、ネギなどのタレにつけこんだカルビを食べに
焼肉屋さんへ行こうとタクシーに乗ったら、運転手さんが
わたしの行こうとしている店は水原では5番目くらいのお味とか。
せっかくだからいちばんおいしい店に行ってくださいというと
にっこり笑ってそこへ連れて行ってくれた。
(もちろん韓国語は超カタコト。でも意思疎通にまったく
戸惑わなかったのは運転手さんの人柄かな)

そこで食べましたよ水原カルビ!どどん!!



ちなみにこれ、頼んだのはカルビ2人前とビールのみ。
ほかのおかずたちは当たり前の感じでどどどどんと出てきた。
韓国、おそるべし。
ときどき無表情なアジュンマ(おばさん)たちが肉をハサミでちょきちょき
切ってくれた。
・・・肉を。
・・・カルビを。
・・・ハサミで!

今までの人生でいちばんやわらか~い肉でした。
牛さん、ありがとう。

嗚呼、南大門。

2008年09月01日 | たびたび、旅に出る

韓国に行ってきました初日。
今年の2月に焼失した南大門を見に行った。
現在南大門はこんな感じ。
・・・無事に再建されるといいね。



まあ市場はすごい活気。
アメ横みたいだった。



「すごい偽物あるよ」といっぱい声をかけられた。
偽物、堂々としてるなあ。。。
ある意味、ブラジルよりも偽物天国。

韓国に行ってきました。

2008年08月31日 | たびたび、旅に出る

大人の夏休み」として行った先はお隣の国、韓国。KOREA。
いやあ、食べました歩きました遊びました。
いやあ、おいしかった楽しかったおもしろかった。

写真(上)は市場のとうがらしの山にいた韓国猫さん。
あんたも辛いもの好きですかい。はあこりゃこりゃ。



付け焼刃的に暗記した韓国語も多少の出番あり。
旅のお供は今回も南米からずっと一緒のプン太(チリのPunta Arenas出身)。

鎌倉に行ってきました。

2008年07月23日 | たびたび、旅に出る

鎌倉に行ってきました。
東京からだと電車でゆるゆるいって1時間。
何年かぶりの鎌倉で友だちと待ち合せてゆるゆる観光。
実は、鎌倉はわたしにとっては相手を選ぶ場所。
好きな人と行くと疎遠になるというかうまくいかなくなるという
ジンクス(思い込み。または偶然)があるのでデートにはご法度なのです。
今回は学生時代の友だち(オンナ)とご一緒。

帰国して久々に会ったのではしゃぎついでに
江ノ電も撮った。
なんだか懐かしい。
世田谷線も昔の車両に戻してくれないかなあ。




江の島に行ってみることに。
なんと江の島は初めて行きます。
道路でつながっていたことも、そこを歩いて渡れることも
知らなかった。。。
この日は散歩にはちょうどいい曇り空。青い海は拝めず。



いい味出てる鳥居。
江の島、にぎわってます。
ワカメとかシラスが有名らしい。
参道はふるーいかんじのおみやげやさんがいっぱいで
海の幸をたんと売っていた。



江島神社に上るとこの景色。
・・・白い。
霧というかモヤまでかかってきて、とにかく白かった。
江の島の色は、今日は白。

たいへん道子。

2008年03月30日 | たびたび、旅に出る

いろいろあったけど楽しかった沖縄
初のレンタカーデビューもしたし。
沖縄はペーパードライバーや観光ドライバーに
ちょうどいいなんて聞いてたけど・・・実際ちょうどよかったかも。
今後自分の車を持つことはあんまり想像できないけど
たまには運転したいなあ。

ずっと前に「運転が本当に上手な人は
自分の3台前と3台後ろの車のことを考える」なーんてことを
聞いたことがある。
だけどそこまで冷静に周りに配慮するのは相当慣れが必要かも。

写真はレンタカーに付いていたカーナビ。
「道子」と名づけてお世話になったけれど
道子ってばときどきワケわからなくなったりしてたいへん困った。。。

美ら海。

2008年03月27日 | たびたび、旅に出る

急ぎ足で行った美ら海水族館
ジンベイザメさんがどどーんとお出迎え。




こちらの水槽ではちょうど餌やりの時間。
色とりどりの魚たちに釘付け。
絵具箱みたい。




ジンベイザメ用に深くでっかく作られた水槽。
ゆらゆら漂う姿は圧巻。

動物園は大人のクセに結構行くんだけど
水族館は何年振りか。
水槽とか水とか魚とか見てると、心が落ち着く。

ただ、この水族館を堪能したあと、大事件勃発。
駐車場で車のエンジンかからず。
お約束のバッテリー上がり。
しかも携帯電池切れ。
・・・全然落ち着いてる場合じゃなかった。