鳥と暮らすことは遺伝です。

セキセイ羽・ボタンインコ1羽・マメリルハ1羽・金魚・メダカ…。
春になったらビオトープもどきをしています。

お金で人間やめた人たち・・・その1

2015-08-13 | 日記
テレビを見ていたらCM・・・おや?
大手不動産関連会社のCMから社名が消えた。
係争中の事案がいくつかあったはずの会社、裁判で形勢が不利になったのか・・・?
我が家に降りかかった事の経過を思い出すと展開が似ている。

あの会社は法律さえでっちあげ堂々と文書にして送って来るのだ。

立ち退き問題のことだ。

この歳になって噂やネットで見かける不当極まりない目に遭うとは思ってもいなかった。
母を無事に看取れる条件が揃っているから契約していた物件だった。
築年数もオーナーの経済状態にも問題はなかった。
老いた母の最後の日まで安全だと思っていたし、安全なはずだった。
あの悪質な会社のチンピラ営業が現れるまでは・・・
不動産とは恐ろしいものだ。
家賃相応とは言えない管理会社の対応にもギリギリまで我慢した。
仕事でクレーム対応の経験もあったので相手側の嘘や脅しに何とか耐えられた。

頑張れたのは母が生きていたから。
自分の母のため、または・・・病で入院し、家に戻りたくて懸命にリハビリする一人の老人のため、
余命3ケ月と判明した一人の人間のため。

母には知らせずに戦っていた。
残りの日々を平和に過ごして欲しかった。

医師から母の余命を告げられてからは腹をくくった。
チンピラ営業がきた日から居据わるつもりなどないのだと告げていた。
現時点で引っ越しは不可能だったし、我が家がオーナー側の予定に合わせなくてはいけない正当事由もなかった。

一市民がまともに戦える相手はないが、巷で言う『鉢の一刺し』の準備もしていた。

母が悲しい思いを抱えて生涯を終えることになったら・・・
私は何をしていただろう・・・
企業として、商売をする上で一番困ることは何だろう、あの会社が一番打撃を受けることは何だろうと模索していた。
哀しさと怒りの中でたどり着いたのは刑事罰だった。
1年弱の月日が経った頃、こちらが刑事訴訟できるようになっていた。
やるつもりでいた・・・



梅の花が咲くころに母が旅立った。

残る娘を思う母の心が呼んだとしか思えない人物が現れて・・・

いまに至る。