自分がなぜ踊るのか、それがわからない。
最近自分が生涯になすべきことについてよく考える。なぜ踊るのか、なぜ音
を作るのか。
ただ確かに言えるのは何かを身体で感じたかった。もうひとつ突っ込んで考
えるのならば、「痛み」やある種の「やりすぎ」を身体で感じたかったのだ
と思う。
それは、自分の限界を感じるという単純な発想ではなく、自分の家族に課せ
られた「呪い」でもあったように感じる。
人はオーバーペースでがんばると「仕事をした」「真面目にやった」と感じ
やすかったりする。自分は典型的なそのタイプだ。それは生来のまじめさと
いう中にとどめておけるものではなく、先祖代々受け継がれてきた「呪い」
であったように思う。それは自傷行為がおさまらない人とある種共通してい
るように思う。生きている証をその行為で確認する、それがたまたま身体を
酷使することだった。
ただ、自分の中にはそこにとどまらない何かがひそんでいる。自分はある日
ひっそりとこのグループをスタートさせた。それは密やかな行為~パフォー
マンスであったのだが、それは外部につながる唯一の出口でもあった。そこ
を通過しなければ外の世界に出れなかった。外の世界とは単純に世間という
ものではなく、自分が存在している世界というものをこの身体で感じる通路
が他にはなかったのだ。そのときに自分には選択肢はなかったのであった。
いろいろな身体の使い方について勉強をしてきたが、どれひとつとっても満
足にできるものはなかった。他人と身体言語(のようなもの)を共有するこ
とはできなかった。身体の訓練は知恵にはなったがただの断片的な切れ端の
ようなものでしかなかった。結局は自分で開発するしかなかったのだろう。
今まで人前で踊ったこともあったが、それで満足することはなかった。やり
遂げたというものはあったが、それが即満足するということではなかった。
とあるパーティーで踊る機会があった。いわゆる「クリスマスパーティー」
で、出演者はかなりゆるい感じだが、自分はただ一人、真剣に踊ろうと決め
ていた。
ゆるい癒しにもならないこのパーティーに何をかけていたのか理由をいえと
いわれてもうまくいえないのだが、自分はそんないい加減な、気休めのよう
なものに出ることに流されるのが嫌だったのだろうと思う。
ちょうど自作の音響作品も出来上がっているものがあったので、それで踊っ
てみた。
それを見てくださった方々の中から僕を「ダンサー」と呼んでくれる人が現
れた。それは踊った後の日にしばらくぶりでに顔を合わせた知り合いの男性
が僕を別の方に紹介するときに「この人はダンサーだ」とおっしゃってくだ
さった。そして別れ際に「ダンスがんばれよ」って声をかけてくれた。それ
は僕の中で大きい一言だった。普段ダンスをやっている方から「ダンサー」
と紹介されても別に喜びはない。でも自分をよく知らない方が自分を「ダン
サー」と認識してくださった意味は大変大きかった。
自分はますます身体は酷使したい。もっともっと体を掘りつくさなければ。
傷を開き、外の世界にふれ、自分の職業として生きたい。