今日はひたすら稽古場を歩き、ジョギングをし、短い振りを踊った。 身体の中にあるDNAのような中に、自分の踊りがあるように思う。 それはツバメがヒナから大きくなってこれから巣を飛び立とうとする時のように、そこには心はなく、ただツバメが飛び立ちたくなって飛び立っていくようなものだ。 心を介在させると人はなにか理解しやすい気がするが、それよりももっと人の中には遺伝子のような中にその人の本質があって、それは身体を使わないと出てこない。 時間をかけて身体を使って振りに魂を込める作業を続ける。