還暦ホノルルマラソンを夢見て

メタボを改善し、還暦から新しい人生目指して、あくなきチャレンジをブログります。

とうせんぼ

2020年05月09日 | 日記
 以前に、10km走って一度も赤信号に引っかから無かった事を書きました(幸運に恵まれて、4月23日)。ひっからなかった理由も。今回は逆のお話です。いつもそこは赤信号に引っかかります。その場所は、新西国街道と今里大通りの一文橋交差点です。本題に入る前に、この橋の事を説明した方が良いと思います。と言うのは、何故かここに引っかかる(赤信号ではありません)ものがあって気になっていたからです。現在の便利ツール。インターネットで調べたら、ありました。いわれ。です。

 この橋は小畑川に架かっていますが、昔は洪水の度に流されて架け替えられていたとの事。西国街道です。それも都の直近。令和の時代よりも昔の方が賑わっていた事でしょう。しかし、たびたび流されてしまうので架け替えのお金がありません。そこで、橋を渡る人に通行料として一文銭を徴収したそうです。払わない人は、、泳いで渡りました。見つかったら、、以下、橋の歴史の引用です。

 ”一文とは言え、橋を渡るためのお金を払うことに納得のいかない人や貧しい人は、川を泳いで渡りました。しかし、その中には橋守に見つけられ、捕らわれる者もいて、時にはその場で斬り捨てられた人もいたそうです。そのようなことがあったためか、夜になると橋の周りにはたくさんの人魂が飛び交い、「橋を渡らせろ~」という恨めしい声が一晩中、聞こえたそうです。ところが、通行料が払えない貧しい人が橋を渡ろうとするのをわざと素知らぬ顔で見過ごす、心優しい橋守もいたそうです。この橋守の名は“半兵衛”といい、この半兵衛がとった行動から、素知らぬふりをするという意味の慣用句『知らぬ顔の半兵衛』が生まれたと言われています。見て見ぬふりをするときなどに「知らぬ顔の半兵衛を決め込む」といった言い方をしますが、この言葉にある“半兵衛”とは、一文橋の橋守のことだったんですね。”
https://www.cyber-world.jp.net/ichimonbashi-and-kouduyabashi/ より引用

 さすが、京都と言うところでしょうか。私も勉強になりました。そんな一文橋ですが、いつも信号は、赤信号で掛かります。なぜだろうとふと思ったら、目の前に仁王様がとうせんぼスタイルでおられるではありませんか。写真はGoogle mapの切り取りですが、ここでも丁寧に赤信号です。この場所といい、歴史といい、トロトロ走りで感謝の欠片もなく、当たり前に橋をわたる私の様な、おっさんには、赤信号ぐらいでちょうど良い。との事でしょうか。
 仁王様、ここの場所の謂われも勉強させて頂きました。昔から大勢の人が守ってこられた場所と知りました。どうか、次にここを通る時には、御加護をお与えください。感謝とともに走らせて頂きます。

 謂われ知る 遥か昔の 半兵衛の 慈悲に勤めし 姿映して  あやパパ




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