昨日の私は10月23日というその日をごく普通に過ごしましたが、きっと私の周りの人達もこの街の人達も皆、思い出していたことでしょう。
こちらでは、夕方5時56分に合わせて花火が、そして夜の9時にもどれだけの花火が夜空に打ちあがっただろうか・・・というくらいに思いを伝えるが如く鳴り響いておりました。
TVなどでは、やたらと”10月23日”・・・”3年前・・・”って言っては、色々なイベントやそれに託す思いなどを取り上げ放送したりしてるのも目に付きました。
同じ体験をしたこの街の人達でもそれがもたらした影響だとか、その被害の度合いによっては地震に対する”温度差”もそれぞれであり、きっとさまざまな思いであるかと思います。
私の場合・・・、この3年前という”2004年”はこの10月の地震の出来事以前に2004年の春に(3月ですが)とてもとても切ない出来事があり、なぜこんな切ない思いをしなければならないんだろうか・・・と(言葉では言い表せないし具体的にここに書くことも出来ないのですが)なぜこんな悲しいこと・・・と・・。今までの自分、そして私達のしてきたことは何だったのか・・とさえ・・・。主人も同じ思いではありましたが、彼もまたその思いに耐えるのに必死でした。ただ私と主人とではそのことに対する受け止めかたや考え方が少し違っていたのですが・・・。でもいいのです、矛先がどこを向いていようとも、耐えて耐えて、日々すこしづつ癒えてさえいけば・・・、と思いましたし・・・。そんな哀しみにばかり暮れてもいられず・・・と一日一日を静かに過ごしながら落ち着きを取り戻しつつあった日々・・・。
そんななか、10月23日の出来事が来ました・・・。追い討ちかけられたような出来事でした・・・。”恐怖”とはまさにこのことかと・・・。(そんなこんなの2004年は全く最悪の年でしたね・・・。)私の家は被害大の地域ではありましたが幸い我が家は避難所生活などはせずに済み、今日に至るまでにかなり修復はしましたが家は今までの家で暮らすことができています。
”恐怖”・・・と一言で言い表したものの・・・、私もそして私の周りも、全てを根底から揺さぶられ(!?)眼に見えるもの、形あるものだけでなく、考え方、在り方・・・なにもかもが変わったり移ろってゆく中で・・・辛さの中にも人の温かみに触れる瞬間やいつもは何気ないことなのにこれはあたりまえじゃないんだ・・・ってありがたみを覚えたり・・・。けどやっぱり日々、まい進することに必死だった余裕のなかったあの日々の中で・・・(いいえ、だからこそというべきかな)私にとっての元気の源、私にとって支えだったのはやっぱり”音楽”というものでした。(KinKiは言うまでもないことですが・・・)そして、そんなさなかに私は”プラチナチケット”とも言われる光一さんの舞台を観るチャンスを得、その素晴らしさと舞台人としても努力を惜しまない彼のひたむきさを目の当たりにし、私自身、前向きな日々を取り戻すと共に、良い意味で少しは変われた自分が今ここに・・・。そして今日至っています。2004年の3月の悲しい出来事も、10月23日の出来事も考え方しだいでみんな私に身に付き、糧となると今更ながらに感じていますが。もっと被害の大きかった方々や、仮設に入っておられた方々も3年が経ち(課題はまだまだあるように見受けられますが)なんとか落ち着きを取り戻されたようですが。一気に崩された街ですが、家も建ち閉ざされた道も拓け、景色は変わっても、それがいろんなところで人々の”手”というもので積み重ねられて行く地道な作業から成り立ってるということ、これもまた人間ならではできること!素晴らしい・・・と思うのです。3年前のことに限らず、その後にまた地震等で被害にあわれた方々、これからまた冬に向かいます。私の住む街は雪もたくさん降るところ、昨年は少雪で穏やかな冬でしたけれど・・・。
これから日々少しづつ寒く、そして12月ともなればあらゆることに皆さん多忙な日々への突入ですから・・・。
これを読んでくださっている皆さんも体だけでなく気持ちも含め
健康に注意して(気をつけて)過ごして参りましょうね・・・。
今日この私の日記を読みに来てくださった皆さま、今日はこんな内容ですみません。・・・こんなの読んで・・・引いちゃいますよね・・・。
ですが、この”10月23日”は、私の通過点として・・・。
失礼いたしました。
こちらでは、夕方5時56分に合わせて花火が、そして夜の9時にもどれだけの花火が夜空に打ちあがっただろうか・・・というくらいに思いを伝えるが如く鳴り響いておりました。
TVなどでは、やたらと”10月23日”・・・”3年前・・・”って言っては、色々なイベントやそれに託す思いなどを取り上げ放送したりしてるのも目に付きました。
同じ体験をしたこの街の人達でもそれがもたらした影響だとか、その被害の度合いによっては地震に対する”温度差”もそれぞれであり、きっとさまざまな思いであるかと思います。
私の場合・・・、この3年前という”2004年”はこの10月の地震の出来事以前に2004年の春に(3月ですが)とてもとても切ない出来事があり、なぜこんな切ない思いをしなければならないんだろうか・・・と(言葉では言い表せないし具体的にここに書くことも出来ないのですが)なぜこんな悲しいこと・・・と・・。今までの自分、そして私達のしてきたことは何だったのか・・とさえ・・・。主人も同じ思いではありましたが、彼もまたその思いに耐えるのに必死でした。ただ私と主人とではそのことに対する受け止めかたや考え方が少し違っていたのですが・・・。でもいいのです、矛先がどこを向いていようとも、耐えて耐えて、日々すこしづつ癒えてさえいけば・・・、と思いましたし・・・。そんな哀しみにばかり暮れてもいられず・・・と一日一日を静かに過ごしながら落ち着きを取り戻しつつあった日々・・・。
そんななか、10月23日の出来事が来ました・・・。追い討ちかけられたような出来事でした・・・。”恐怖”とはまさにこのことかと・・・。(そんなこんなの2004年は全く最悪の年でしたね・・・。)私の家は被害大の地域ではありましたが幸い我が家は避難所生活などはせずに済み、今日に至るまでにかなり修復はしましたが家は今までの家で暮らすことができています。
”恐怖”・・・と一言で言い表したものの・・・、私もそして私の周りも、全てを根底から揺さぶられ(!?)眼に見えるもの、形あるものだけでなく、考え方、在り方・・・なにもかもが変わったり移ろってゆく中で・・・辛さの中にも人の温かみに触れる瞬間やいつもは何気ないことなのにこれはあたりまえじゃないんだ・・・ってありがたみを覚えたり・・・。けどやっぱり日々、まい進することに必死だった余裕のなかったあの日々の中で・・・(いいえ、だからこそというべきかな)私にとっての元気の源、私にとって支えだったのはやっぱり”音楽”というものでした。(KinKiは言うまでもないことですが・・・)そして、そんなさなかに私は”プラチナチケット”とも言われる光一さんの舞台を観るチャンスを得、その素晴らしさと舞台人としても努力を惜しまない彼のひたむきさを目の当たりにし、私自身、前向きな日々を取り戻すと共に、良い意味で少しは変われた自分が今ここに・・・。そして今日至っています。2004年の3月の悲しい出来事も、10月23日の出来事も考え方しだいでみんな私に身に付き、糧となると今更ながらに感じていますが。もっと被害の大きかった方々や、仮設に入っておられた方々も3年が経ち(課題はまだまだあるように見受けられますが)なんとか落ち着きを取り戻されたようですが。一気に崩された街ですが、家も建ち閉ざされた道も拓け、景色は変わっても、それがいろんなところで人々の”手”というもので積み重ねられて行く地道な作業から成り立ってるということ、これもまた人間ならではできること!素晴らしい・・・と思うのです。3年前のことに限らず、その後にまた地震等で被害にあわれた方々、これからまた冬に向かいます。私の住む街は雪もたくさん降るところ、昨年は少雪で穏やかな冬でしたけれど・・・。
これから日々少しづつ寒く、そして12月ともなればあらゆることに皆さん多忙な日々への突入ですから・・・。
これを読んでくださっている皆さんも体だけでなく気持ちも含め
健康に注意して(気をつけて)過ごして参りましょうね・・・。
今日この私の日記を読みに来てくださった皆さま、今日はこんな内容ですみません。・・・こんなの読んで・・・引いちゃいますよね・・・。
ですが、この”10月23日”は、私の通過点として・・・。
失礼いたしました。