私はこの冷や奴を作るのに50年かかった、、、、それはかかり過ぎ、、。
宮沢章夫さんの本で読んだ話です。
レストランに入ったピカソに、簡単な絵を描いてくれと頼んだ店主が、
サラッサラッと描かれた絵に対して「おいくらですか?」と尋ねると、
ピカソが法外な高い金額を口にしました。
「5分くらいで描いたくせにどうして、、」と主人が驚くと、
それに答えてピカソがこう言ったそうです。
「私はこの絵を描くのに40年かかった」
あ、そうか、そういうことか、と思いました。
こういうふうに考えたら、
自分ももっと堂々としていられた場面も多々あったかも、、、、。
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さて、忘れないうちに(めんどくさくならないうちに)、
前々回のつづき(前々回を参照)。
では、どんな部分がどんなふうに大きいかというと、
誰かと何かの共同作業をするときに、
「その人がいないと出来ないからその人とやる」というのと、
「その人がいなくても出来るけれど、
その人がいるとまた違った面白いことになるからその人とやる」
というのでは、その人と共同作業をする時の心の持ちようが
とても違う、、と思う。
誰かと共同作業をするとき、
その理由は積極的なものであるのがあるのがいちばん超気持ちいい。
だから、それにはまず「自分で出来る」ことが多いほどいいと思うし、
コツコツと増やして行こうと思えば、きっと出来る。
一人でやるものいい。誰かとやるのもいい。
一人でやるのも楽しい。みんなでやるのはもっと楽しい。
一人でやらなくてもいいし、みんなでやらなくてもいい。
どっちも選べる、それはとても健全。
それは自分のわがままな音楽心のために。
それは相手の個性を尊重し大事にする為に。
だから、レーベル持てるのはとても良かったです。
ただ、矛盾しますが、、、その人がいなければ出来ない、、、
という場合のほうがディープな良い結果になる場合も
絶対ないわけでもないかも、、、。
一筋縄には行かないのが世の常ですね。
結局、正解は分からないので、
探しながら、試しながら、迷いながらやるしかないので、
なんでもやってみるということですね。
中途半端な終わりですみませんが、
何の世界でも、
分からないことがあったら、
とりあえず、その先をもっと生きてみるしかないですね。