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この本は以前、某ネット友に教えてもらった本である。
この本が過去において存在してたのは知ってたが、入手は困難ではないかと思ってた。
だが、これが入手可能であることを教えていただいたので、本屋を探しまわって入手した。
嬉しかった。
これは、妖怪画集である。
著者は鳥山石燕。江戸時代の人だ。
だが、この本を見た人は、すぐに水木しげる先生の妖怪を思い起こすに違いない。
それもそのはず、水木先生は妖怪を描く時に、この本をおおいに参考にしたからだ。
実際、水木先生の作品には、鳥山妖怪そのものなデザインの妖怪が多数出て来る。
水木先生は、鳥山石燕のエッセンスを、マンガという方法を使って現代に継承していると言えるだろう。
この「画図百鬼夜行」は、江戸時代の妖怪図鑑であり、民間伝承を絵にして残した資料でもあり、ある意味では江戸時代の漫画ともいえるのかもしれない。
画風は独特の味わいがあり、極めて個性的ではあるが、水木漫画を読んでる人には違和感なく受け入れられるだろう。
鳥山石燕は、これらの妖怪を描く時に、なにを根拠に妖怪の絵姿を描いたのだろう。
いくら江戸時代とはいえ、作者がこれらの妖怪を実際に見たわけではないだろうし。
となると、まったくの想像もあるだろうし、民間伝承として伝わる妖怪の特徴を丹念に絵で再現したものもあるのだろう。
江戸時代は、今のように電灯があったわけではない。
夜ともなれば、闇というものが世界を支配していたはずだ。
そんじょそこらに暗闇があったはずだ。
人間は闇を恐れる。それは、闇には何がいるか分からないからだ。
自分の想像を越えた存在や、得体の知れない存在というものを、人間は恐れるものだ。どんな恐ろしい相手でも、一度姿を見てしまえば、ある程度は慣れることができようし、対処の仕方も少しは分かるだろう。
だが、見たことがないものに対しては、どうしようもない。
下手したら、想像をどんどん膨らませて、実際の何十倍もの恐ろしさを相手に感じたりする。
この本に描かれた妖怪は、実際の人間が本当に見たことがある妖怪は無いと思う。
だからこそ、余計に、人間は妖怪を恐れたり、相手を怒らせないために崇めたりしたのだろう。
これら妖怪たちは、人間の「恐れ」が形になった姿なのだろう。
今や、町などに行けば、ネオンなどがあふれ、闇というものは極端に少なくなった。
明るければ、相手の姿が見えてしまう。
妖怪が居るか居ないかはともかく、見えるものに対しては、対処のしようもある。
恐れも多少は和らぐ。
よく言われることだが、妖怪たちにとっては、今は存在しにくい時代なのだ。
・・・思うに、もしかしたら、闇そのものが妖怪なのではないだろうか。
闇だった場所が明るくなった時、それは妖怪から「日常」「空間」「現実」に変わってしまう瞬間なのだろう。
だからこそ、今は妖怪がどんどんいなくなっている。
かつて闇が世の中にあふれた時代の、人間の想像力や恐れが記録として残された・・とでも言えそうな、この本。
当時は怖い存在だったに違いない妖怪たちだが、この本を見てると、絶滅種図鑑を見てるような気になる。
で、 ちょっと愛しくもあり、切なくもある。
また、それは、人の想像や思いや教訓、伝承の記録でもあることを思うと、なおさら。
この本が過去において存在してたのは知ってたが、入手は困難ではないかと思ってた。
だが、これが入手可能であることを教えていただいたので、本屋を探しまわって入手した。
嬉しかった。
これは、妖怪画集である。
著者は鳥山石燕。江戸時代の人だ。
だが、この本を見た人は、すぐに水木しげる先生の妖怪を思い起こすに違いない。
それもそのはず、水木先生は妖怪を描く時に、この本をおおいに参考にしたからだ。
実際、水木先生の作品には、鳥山妖怪そのものなデザインの妖怪が多数出て来る。
水木先生は、鳥山石燕のエッセンスを、マンガという方法を使って現代に継承していると言えるだろう。
この「画図百鬼夜行」は、江戸時代の妖怪図鑑であり、民間伝承を絵にして残した資料でもあり、ある意味では江戸時代の漫画ともいえるのかもしれない。
画風は独特の味わいがあり、極めて個性的ではあるが、水木漫画を読んでる人には違和感なく受け入れられるだろう。
鳥山石燕は、これらの妖怪を描く時に、なにを根拠に妖怪の絵姿を描いたのだろう。
いくら江戸時代とはいえ、作者がこれらの妖怪を実際に見たわけではないだろうし。
となると、まったくの想像もあるだろうし、民間伝承として伝わる妖怪の特徴を丹念に絵で再現したものもあるのだろう。
江戸時代は、今のように電灯があったわけではない。
夜ともなれば、闇というものが世界を支配していたはずだ。
そんじょそこらに暗闇があったはずだ。
人間は闇を恐れる。それは、闇には何がいるか分からないからだ。
自分の想像を越えた存在や、得体の知れない存在というものを、人間は恐れるものだ。どんな恐ろしい相手でも、一度姿を見てしまえば、ある程度は慣れることができようし、対処の仕方も少しは分かるだろう。
だが、見たことがないものに対しては、どうしようもない。
下手したら、想像をどんどん膨らませて、実際の何十倍もの恐ろしさを相手に感じたりする。
この本に描かれた妖怪は、実際の人間が本当に見たことがある妖怪は無いと思う。
だからこそ、余計に、人間は妖怪を恐れたり、相手を怒らせないために崇めたりしたのだろう。
これら妖怪たちは、人間の「恐れ」が形になった姿なのだろう。
今や、町などに行けば、ネオンなどがあふれ、闇というものは極端に少なくなった。
明るければ、相手の姿が見えてしまう。
妖怪が居るか居ないかはともかく、見えるものに対しては、対処のしようもある。
恐れも多少は和らぐ。
よく言われることだが、妖怪たちにとっては、今は存在しにくい時代なのだ。
・・・思うに、もしかしたら、闇そのものが妖怪なのではないだろうか。
闇だった場所が明るくなった時、それは妖怪から「日常」「空間」「現実」に変わってしまう瞬間なのだろう。
だからこそ、今は妖怪がどんどんいなくなっている。
かつて闇が世の中にあふれた時代の、人間の想像力や恐れが記録として残された・・とでも言えそうな、この本。
当時は怖い存在だったに違いない妖怪たちだが、この本を見てると、絶滅種図鑑を見てるような気になる。
で、 ちょっと愛しくもあり、切なくもある。
また、それは、人の想像や思いや教訓、伝承の記録でもあることを思うと、なおさら。