作った曲が自身のレパートリーの定番曲となると、ライブで演奏する頻度は高くなっていく。
人前で演奏する回数が多ければ多いほど、その曲は微妙に変化していくことがある。
これは演奏者にも言えるが、その曲がボーカル曲だった場合、メロディや歌い方が少しづつ変化していくことは、ままある。
私はそういう状況は、作者にとってのその曲が少しづつ成長していくようなものに感じることがある。全てではないけれど。
とはいえ、お客さんにとっては、その曲が例えばそのミュージシャンの初期のアルバムの収録曲だったりすると、長年初期のバージョンで耳に刷り込まれていたりする。
なので、できれば初期のバージョンのままのメロディや歌い方やアレンジのままでライブで再現してほしくなる場合もある。
あまりにも初期のバージョンと今のバージョンが違いすぎると、初期バージョンで耳がなじんでいる客にとっては、とまどうこともある。
でも、ミュージシャン側にとっては、その曲を時間の経過と共に、より改良していきたくなったりする。
例えば、泉谷しげるさんの名曲「春夏秋冬」などは、初期バージョンのメロディラインと、年月が経過して聴いたバージョンのメロディでは、若干変化している。
私はどちらも好きだ。
むしろ改良バージョンの方が、メロディがよりメロディアスになっている気さえする。
サウンドに関しては、あまたのミュージシャンが自身の曲を、披露するライブの規模や、バックミュージシャンの環境などでアレンジをしなおす場合はよくある。
そんな時、アレンジの変化と共に、メロディラインや歌い方も変わったりする。
まあ、それはライブならではのお楽しみでもある。
ある意味、そこに新鮮味も感じるからだ。
レコードやCDなどで昔発表された初期バージョンのまま、どの曲もライブで「まんま再現」され続けていくと、客としてはなじみやすくはあっても、ライブとしては物足りなさを感じることが私にはある。
そのへんはお客さんによって感じ方は違うのかもしれない。
お客さんによっては、初期バージョンのままの「再現」をどの曲にも求める人もいるだろうし、逆に初期バージョンとは違う変化や新鮮味を求める客もいると思う。
そのへんの兼ね合いはミュージシャンのさじ加減次第なのだろう。
その場合、メロディのいくばくかの改変ぐらいなら、微々たるものかもしれない。
とりあえず、メロディラインを多少変えて、それがより良いものに感じられれば、私は歓迎かもしれない。
ミュージシャンにとって「あるある」の一つに、過去に発表した「当時の完成形」のバージョンを聴き返した時、「あそこはもっとこうしておけばよかった」とか「ここは直したい」と思ったりすることがある。
私自身にもある。
私が以前制作した自主制作アルバムの曲の音源でも、そんな個所はいくつもある。
中には、ライブでやる場合、アルバムとは違った弾き方や歌い方やメロディで披露している曲はある。
たとえば「空の少年」という曲がそうだ。
曲の全体的なムードは変えていないし、歌詞も変えていない。
メロディに関しても、大きく変えてるわけではない。
自分の中では、変えた個所は微々たるもののつもりだ。
でも、全体的にアレンジやメロディや歌い方は、より改良していると自分では思ってはいるのだが。。
曲が変化していく・・・といえば、あまりにも喉に負担がかかる曲だと、ライブでは改良するというより、歌いやすく多少崩して歌う人もいる。
それを見ている客としては、「あ、楽に歌ってるな」・・・と一瞬思ったりもするが、ライブとなると持ち時間が何時間かあるわけで、なおかつツアーだったりすると、翌日以後のライブでの喉の調子にも関わることがある。
レコーディングなら、その1曲に絞れることもある。上手く歌えなかったら、歌い直すこともできる。
だが、ライブだとそうはいかない。負担の大きい1曲のために、他の曲がイマイチになるわけにもいかない。
そうなると、あまりに負担の多い曲はセットから外したり、あるいは少し崩して歌いやすくしたり、時にはキーを下げることもある。
また、若い頃には出ていた高さが、加齢で若い頃と同じキーで歌うのがしんどいこともあると思う。
いくら普段節制したりしても、ミュージシャンとて人間。
どうしても上記のようなことはあると思う。
そんな時、メロディを多少改変して歌いやすくする場合はあると思う。
その場合は、それは改良というより、改変というものだと思うが・・。
メロディがオリジナルバージョンと違っていても、それが改良と改変では若干意味合いは違うとは思う。
ただ、変わったバージョンが、リスナーにとって良いものであるなら、それは改良であるのだろう。
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