時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

多摩川園遊園地があったとさ

2008年09月30日 | 懐かしい系、あれこれ

1979年、6月。
1つの遊園地が姿を消した。ひっそりと。
その名は「多摩川園」。
東急目蒲線の「多摩川園前」という駅で降りると、目の前にあった。
さして広い遊園地ではなかった。多摩川近くの丘陵地帯にこじんまりと立てられた遊園地だった。

私はたまに親に連れていってもらってた。
豊島園や後楽園みたいな遊園地には中々連れていってもらえなかったけど、そこ多摩川園には割と気軽に連れていってもらった覚えがある。数えきれないほど・・ってわけではないけど。

また、この近辺には読売巨人軍の多摩川グランドもあった。今ではもう使われてないみたいだけど。
駅の近くには、巨人ファンの気配がしたものだ。

多摩川園遊園地は、家庭用遊園地みたいなアットホームさがあった。値段の相場がいくらぐらいだったかわ分からないが、親にとっては「子供を気軽に連れていきやすい遊園地」だったようなので、きっと値段の相場も安かったのではないだろうか。
目蒲線の「多摩川園前」という駅の改札を出ると、目の前にその遊園地はあった。
改札を出て、遊園地に向かう時の私は、毎回非常にワクワクしたのは言うまでもない。

多摩川園遊園地で、私が覚えてる記憶は今では非常に少ない。
毎年夏になると行われてたスリラーショー。そして、丘陵を利用して作られたリフト。
今となっては、これくらいの記憶しかない。
中でもスリラーショーは、楽しみだった。
目蒲線の各駅に、よく多摩川園遊園地のスリラーショーの告知(ポスター??)があったような気がする。
スリラーショーは、けっこう大きな建物の中で開催されていた気がする。当然、中は真っ暗だった。
なにやら大きな怪獣(妖怪?)みたいなものが暗闇の中に展示されていたような気もする。
というのは、その光景が、夢の中に出てきたりしてたからだ。何度も。
決して怖いという感じではなかったが、闇の中にたっていた大きな怪獣(?)の展示物は、色々想像力を刺激してくれた気がする。怪獣そのものよりも、その怪獣がいる環境や風景などを色々頭の中で想像してしまっていたからね。

ネットで、多摩川園内にあったアトラクションを調べてみたところ、少なくても、お猿電車、観覧車、樽型のジェットコースター、コーヒーカップなどはあったようだ。
そういえば、樽型のジェットコースターには、なんとなく覚えがあるような・・。

歴史としては、1925年(大正14年)に誕生し、1960年代がその黄金時代だったようだ。
だが、1970年代に入ると、利用者がガクンと減り、やがて1979年には閉園となった。
ピーク時は年間100万人の利用者があったらしい。
やはり、親しまれていた遊園地だったんだね。

で、1979年に閉園になった後は、多摩川園跡地はテニスコートになっていた。
テニスコートになった姿は、見覚えがある。
その頃はまだ目蒲線も健在だったし、私もまだ目蒲線沿線に住んでたから、蒲田の友達の家に行く途中に、テニスコートに変身した姿はこの目で見ている。
テニスコートになった姿を見て「ここって・・昔、多摩川園があったんだよなあ」なんて思っていたもんだ。

今現在は、テニスコートもなくなり、テニスコート跡地となって放置されてるらしい。


仮に多摩川園遊園地が79年に閉園にならなくて今も存在してたとしても、ディズニーランド一人勝ちと言われる現在では、利用者は少ないままだったかもしれないね。
となると・・79年に閉園になったのは、仕方なかったのだろうね。
地域の住民に根ざしたファミリー遊園地としての使命は、まっとうしたということだろう。


私は、けっこう怖い系の話や映像作品は好きである。
もしかすると、それは、子供の頃に多摩川園にあったスリラーショーが好きだった・・ということが影響してるのかもしれない。
ということは、「違った形」で、多摩川園は私の心の中に今も息づいているということになる。
そういうことにしておこう。無くなった多摩川園遊園地のためにも。


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