カーメルという女性シンガーは、あまり日本では知られていないようだ。
私がカーメルを知ったのは、「たまたま」であった。
レンタルレコード屋を出入りしてて、なんとなくカーメルのアルバムを手にとってレンタルしたのだと・・思う。
カーメルについて何の情報もないまま。
なぜカーメルのアルバムを聴いてみようと思ったのか、今でも自分でははっきりしない。
実を言うと、今でもカーメルのことは、よく知らない。
ただ、そのアルバムの1曲目に収められていた曲を知ることができただけでも、めっけものであった。
ある意味、バクチ的に借りたのかもしれない。
もしくは、吸い寄せられるように(?)手に取ったのかもしれない(笑)。
で、その「1曲目」とは、「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」という曲。
はじめ、この曲を聴いた時、そのなんともいえない雰囲気に耳を奪われた。
なんていうか・・・私だけの感じ方かもしれないが、少し不気味・・というか、ミステリアスに思えた。
重くひきずりながらも、印象的でミステリアスでメロディアスなリフを奏でるベースライン。
それにからむリズムは、どこか呪術的にも聴こえた。
そして宙を漂うようなカーメルのボーカル。
効果音のような楽器の入り方が、ミステリアス感を増幅させていた。
恐怖と悲しみが入り混じった古い洋画のBGMを思わせるようなストリングス。
悲劇を背負った恐怖映画のヒロインが、あてもなく歩いていたり、一歩一歩近づいてきたり、一歩一歩遠ざかっていったり・・・そんなムード。
なんだこれは・・・古い恐怖映画に似合いそうな曲だな・・・と思った(その「古い恐怖映画」というものには、後で触れる)。
だが、人の感じ方というのは、まさに十人十色で、この曲を「都会的」と感じた人もいる。
私とまったく違う感じ方(笑)。
私の感じ方が変なのかもしれない。
でも、この異様な(?)ムードが強く心に残り、この曲そのものにも惹かれたのは確かだった。
当時、カセットテープで、自分のお気に入りの楽曲ばかりを集めた「マイベスト」を作る時、この「アイム・ノット~~」は、ちょくちょくセレクトしていたものだ。
久々に聴いてみたくなってネット上で音源を捜してみたら見つかったのだが、ネットで聴くと、あの肝心なベース音がほとんど聴こえない。
ベースが聴こえないと、このサウンドの魅力は十分に伝わらないかもしれない。
特に冒頭のベースのフレーズは、この曲のサウンドの骨格ともいうべき核だと思うので、もしもネット上で聴くならヘッドフォンを装着して「ちゃんと」聴いてほしい。
やや、井上陽水さんの「二色の独楽」のベースラインにも通じるものがあるフレーズかもしれない。
と、ここまで書いた上で。
少し話がずれるが、私が小学校低学年時代にテレビで放送された、ある古い洋画で、やたらと心に残った作品がある。
それ以後、その映画は、それを再び見る機会のないまま、その映画の正体や詳細も分からぬままに、トラウマのように私の心の中で居座り続けた。
あれはどういう映画だったのだろう・・という思いと共に。
だが、少年時代に、たった1回だけ、たまたま見ただけだし、その後その映画がテレビなどで触れられることはなかった。
なので、細かいストーリーは忘れさってゆき、ただただその映画のいくつかのシーンが、壁画のように頭の中に残っているだけになった。
それでも忘れられなかった。
私の周りにも、その映画を知っている人はいなかった。なので、その映画について探求するのは、あきらめにも近い気持ちがあった。
確実に、少年時代の私の心の一部を構成していたと思う。
恐怖系ではあったのだが、それ以上に物悲しい映画であった。寂しい映画にも思えた。
知的でもあった。
私がやがて楳図かずお先生の作品が好きになったのは、その映画の後遺症みたいなものがあったからかもしれない。
楳図先生の作品にも、その映画に通じる作品はあったと思うから。
きっと、楳図先生は、その映画には影響されたんじゃないかなあ。
とりあえず私は、その映画のタイトルだけは覚えていた。
だから大人になって、ネットが登場したり、古い映画がどんどん復刻されたりするようになって、やっと調べることができ、DVDで入手もできた。
それも、お店に頼んで、メーカーから取り寄せてもらって、やっとの思いで入手できたのだった。
その映画のタイトルは「顔のない眼」という。
タイトルからして、妙な感じ。だからこそ、余計に印象に残り、深く深く心に刷り込まれたのかもしれない。
その映画のことは、かつてこのブログで取り上げたこともあるぐらい、私にとって特別な作品。
カーメルの「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」という楽曲をここで取り上げるにあたって、なぜ古い洋画「顔のない眼」を引き合いにだしたか・・というと、このカーメルの曲を聴いて、私は「顔のない眼」という映画を連想してしまったからだ。
「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」の歌詞がどんな内容なのかは分からない。
だが、歌詞はともかく、それ以外の、そのサウンド、アレンジ、ムード、ボーカルが、「顔のない眼」に流れてもおかしくないような雰囲気を感じたからだ。
私の感性では、イメージがだぶって聴こえたのだ。
だからこそ
かつて「顔のない眼」が少年時代以後の私の心の奥底で絶えずくすぶり続け、私を刺激し続けたように、このカーメルの「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」もまた私の心を捉え続けたのかもしれない。
「顔のない眼」と「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」を結び付けるのは、とんだ見当違いかもしれない。
「顔のない眼」にも当然音楽は流れており、しかもその音楽担当は、あの巨匠モーリス・ジャール。
特にラストで流れる物悲しい旋律は、極めて印象的で、その音楽が映画全体を詩的・知的・抒情的なものにしているし、「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」とは曲の傾向は全く違う。
それはそれで映画にはピッタリだった。
にもかかわらず、カーメルの「アイム・ノット~」と映画「顔のない眼」を結び付ける・・というのは、無理があるだろう。
でも、私の中では、「アイム・ノット~」を聴くと、「顔のない眼」とリンクしてしまったのだ。
きっと私の感性は、変なのだろう(笑)。
だが、私の中では、どうにも、同じようなムードを感じてしまっているのだ。
カーメルといい、「顔のない眼」といい、どちらも、私はたまたま見つけた作品。
そんな「たまたま」見つけた両者が、完成時の時の隔たりを超えて私の中で一緒になり、私の心の奥底に潜み、私の好みのベーシックなものの中の一つになったのは、何かの縁だったのだろう。
どうも、作品が私を呼んだ・・としか思えない。
世にはミステリアスで物悲しく聴こえる曲はいくつもあるが、カーメルの「アイム・ノット・アフレイド・オブ・ユー」は、そういう類の曲の中で、私の中でトップクラスの名曲だ。