なんだかんだで、日本では野球は人気がある。
春・夏の甲子園大会は健在だし。
ひところのような視聴率は稼げなくなったとは言っても、プロ野球が無くなる・・なんてのはちょっと考えられない。
あと、最近ではWBC。その注目度は抜群だ。
日本の野球は過去にたくさんのスターや名選手を登場させてきた。
今回とりあげるのは、その中の一人。
江川卓投手。
ご存知、元読売ジャイアンツの投手である。
彼ほど、数奇な運命に翻弄された選手は少ないだろう。
巨人入団の時、けっこう騒動になったが、あれは江川選手本人が悪いってわけじゃない・・という認識を私は持っている。
ドラフトの諸問題に関わることだが、彼が問題になるなら、他にも問題になる選手はたくさんいた。
あえて名前はあげないけど、たくさんいた。これがリアルな場であれば、私は何人もの名前をあげることができる。
プロ野球球団の事件の話題がでるたびに、すぐに江川選手の「空白の一日」事件をあげる人がいるが、プロ野球球団のおこした事件という意味では柳川事件だって、その後の日本野球界に響いた面は大きい。しかも、相当。
もし、柳川事件を知らない人がいたら、ネット検索して調べてみるといいだろう。ひとつ覚えみたいに「空白の一日」だけを持ち出す前に。
ホント、事件はそれだけじゃないんだから。
その他、球団のコーチが審判に暴行を働いたり、八百長疑惑の黒い霧事件があったり、新人の裏金問題で揺れたり、球団が消滅したり、スカウトが自殺したり、実際には色んな球団がこれまでに事件と呼ばれるものを引き起こしてきてる。それが現実だ。
つまり、色んな球団が、なにがしかの問題を引き起こしてきていることになる。
特定球団の特定の事件だけを持ち出して全てを語れるわけじゃないのだ。
そんなプロの色々な問題がイヤがゆえに、高校野球を愛する人がいる・・というのもまた事実。
個人的には、高校野球のあり方にも疑問を感じることはあるのだが、まあそれはさておき。
高校野球・・とくれば、甲子園大会。
高校野球の甲子園大会の歴史は長い。その長い期間の間には、様々な伝説的選手が現れた。スター選手も。
太田幸司、荒木大輔、バンビ坂本、桑田&清原、ゴジラ松井、怪物・松坂、ハンカチ王子&マー君、その他、その他。
色んな選手がいたが、私にとって一番忘れられないのは、なんと言っても、前述の江川投手だ。
作新学院時代の江川ほど、凄みのあった選手はいないと思う。
もちろん、人気面では前述の太田、荒木、などのほうがすごかったかもしれないが、凄みという意味では何といっても、江川投手だった。もちろん、松坂も凄かったけど。
なにしろ、バッターは、江川の投げた豪速球をファウルしただけでも、拍手がきたほどだった。
そう、当てることすら大変な球を投げる投手だったのだ、江川という投手は。
江川投手はプロに入ってからの全盛期では、9回の最後のイニングでその日最速の150キロ豪球を連発し、バッターからバッタバッタと三振を奪い完投勝利する・・という離れ業をやってのけていた。そこから日本一の投手などとも言われたりもした。
彼の凄さは、ただ速いだけでなく、ホップする豪速球にある・・・と言われた。
普通、ピッチャーの投げた球は、終速が落ちて来るにつれ軌道が下がってくるが、彼のキャノン・ストレートは、ボールが落ちずにホップしてきて、バッターはボールの下側をからぶりしてしまう・・と言われた。
このホップする直球というもが、実際にホップしたのか、あるいは落ちずに走ってくるからホップしたように見えたのか、あるいは本当は落ちてたのだが落ち方が少なかったらバッターにそう見えたのか・・・実際のところは分からない。
でも、バッターに対する圧倒的な威圧感があったのは確かだろう。
他のピッチャーにない凄さや威圧感が。
だが、高校時代の江川投手こそ、もっとも凄かった・・とか、もっとも速かった・・という声も多かった。
高校時代で150キロ以上の豪速球を投げていた・・という話を聞いたこともある。伝説では156~157キロ出てた・・という噂も聞いたことがある。
まあ、当時スピードガンはなかったから、実際のところは分からないのだけど。
マスコミの江川投手に対する扱いは、それまでのどんなすごい選手に対する扱い方とも違っていたような気がする。
凄い選手のことを「怪物」と表現するのがけっこう一般的になってしまった現代であるが、マスコミの当時の江川選手に対する扱いは、人間離れした文字通りの「怪物」を扱うような感じで、一種「引きながら」取材したり扱ったししてたような感があった。近付き難いような感じで。
それこそ、甲子園大会始まって以来の「化け物」として。
そんなムードがあったし、実際の当時の江川投手からはそういうオーラも出ていたと思う。
私の今は亡き父は、沢村栄治投手を球場で見たことがあるくらいの長年の野球好きだったが、父は「戦後ナンバーワンの右投手は江川だ。ずば抜けている。」と言っていたのが印象的だ。
金属バットの導入、バッティングマシンの性能向上,など、色んな要素が加わり、当時の高校野球界のレベルと今のレベルを同一条件では比較できないだろう。
だが、「近寄りがたい凄み」のあった選手という意味で、私が見て来た中では、やはり作新学院時代の江川が一番強烈だった。
後にも先にも。
実力的には、松坂投手もずば抜けていた。だが,醸し出してた「近寄りがたい凄み」という意味では、やはり江川なのだ。
よく言われる話だが、もしも江川が高校3年時のドラフトでプロに入っていたら、どうだったであろう。
それも、バッシングなどされずに、悪者になどされずに、プロになっていたら。
あれだけマスコミに追いつめられながらも、活躍できた・・という事実がまず凄い。
何かというと彼の足を引っ張ったり、引きずりおろそうとする動きであふれかえっていたにもかかわらず。
だからこそ、なおさら・・だ。
江川投手の背中には、本来もっと高い数字をあげられたはずの通算成績が隠されてるような気がする。
そう、もぎとられ、つぶされた、もっと高い数字の生涯成績が埋まっているように思えてならない。
彼の実際のプロ生活は、私には不完全に終ったように思えてならない。
そんなことをつらつらと考えると、江川卓投手が一番輝いて、なおかつ近寄りがたい怪物であったのは、やはり作新学院の頃の「高校生・江川卓」だと思う。
プロとしての現役時代は晩年、けっこうオチャメな面を出すようになっていったが、それは、バッシングを受けて悪役のイメージを持たれたことへの対処法だったんじゃなかったかな・・と思えてならない。
だからこそ、高校時代のあの「近寄りがたい凄み」を持ったままプロ生活を送っていたら、どんな投手になっていっただろう。
世の中の色んな思惑によって、あの「近寄りがたい凄み」すら悪にされ、よってたかって色んなものを剥ぎ取られていったような気がする。
近年、因縁の相手・小林繁さんとの対談を映像にしたCMがあったが、その映像の中での江川さんを見てると、私は泣けてしかたなかった。
そこに江川さんの思いや人柄が、よく出ていたように思う。
私はやはり・・・・江川卓さんは、被害者だったと思う。
もちろ、小林さんも被害者だった。
つまり、あの一件では、2人とも被害者だったと思う。
被害者になる前の、高校時代の江川投手の本来の凄みを知っているだけに、その後の・・・プロ選手になってからの姿は・・・・少し寂しかった。
高校時代のあの雰囲気を持ったまま、悪役にされることなくプロで伸びていって、WBCみたいな大会に彼が出てたら、どうなっただろうね。
三振をとるか、ホームランを打たれるか・・という感じだったかもしれないけど。
完投できる藤川球児・・そんな感じになったかもしれないね。
ちなみに写真は、江川さんが原作を書き、本宮ひろ志さんが作画した漫画「たかされ」。
案外、多才!
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