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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

アミアイリさんと、浅沼勇さんのライブ

2009年03月22日 | レビュー(テレビ、ゲーム、本、映画、その他)

土曜日、大森「風に吹かれて」にライブを見に行った。
この日の出演者はアミアイリさんと、浅沼勇さん。

アミアイリさんは、もう私にとってはすっかりお馴染みのハートフルシンガーで、このブログでも何度も取り上げてきている。

アミアイリさんは、その場の雰囲気をつかみ、やわらげ、お客さんを気持ちよくさせる才能がピカイチだ。
そのトーク、ボーカル、そして楽曲、選曲、どれもいいね~。
相変わらず「さすが」だ。


一方、浅沼さんを見るのは初めてだった。

なので、今回は浅沼さんのことを多く書きたい。



浅沼勇さん。

この名前が、どういう意味を持つか。
分かる人には説明の必要がないくらいの重要人物だ。

なにせ、吉田拓郎、泉谷しげる、ケメ、古井戸、その他・・・エレックのキラ星のごときスターたちを発掘し、世に出した辣腕プロデューサーである。
ブレイクした70年代フォークの、仕掛人の1人であることに異論を唱える人は・・・いないだろう。

この人がいなかったら、吉田拓郎はどうなっていただろう。


私にとっては、浅沼さんはエレックレコードのメイン人物だった。
むしろ、エレックそのもの・・そう思えた人物だった。
エレックのシンガーの総帥にも思えた。


彼が在籍したエレックレコードという存在が当時なかったら、拓郎は世に出なかったかもしれない・・・というのはオーバーかもしれないが、少なくても世に出るのはもっと遅かったか、あるいは違った形でのデビューになったかもしれない。
それほどの存在感を持った人物である。

彼が、のちの日本音楽界に残した功績は実に大きいと思う。

私は浅沼さんの写真を見たことがなかった。
だから、どんな人物なのか全く分からない、謎の人物だった。
それでいて、その存在感は、エレックのスターたち以上の存在感があった。
エレックのスターを束ねてた印象がある。
いわば、大ボスだ。

70年代当時のエレックのLPは、見開きスタイルが多かった。
見開きの中には「手書き」のソングブック・・譜面があったが、その譜面といい、内ジャケットに書かれた解説といい、そこには浅沼さんのカラーが大きく反映されていたっけ。
まさに、エレックのシンガーの先生であり、育ての親であり、プロデューサーらしさであふれていた。

浅沼さん監修のもとで、レコード制作されているのが、ひしひしと伝わってきたものだ。

なので、正直、「怖い人」そんなイメージがずっとあった。
それでいて、私はリスペクトの気持ちも持っていた。

この日、初めて浅沼さんを見ることができた。
浅沼さんのライブ後、短い時間ではあったが、お話しすることもできた。
不思議な気分だった。

浅沼さんは、「雲の上の人」みたいな存在であり、映画でいえば「監督」みたいな絶対的な人だったのに、そういう人とライブ後に自分が話してる・・というのがウソみたいだった。


年齢はもう70歳だそうだ。
でも、若い。70には見えなかった。

本来はクラシックギタリストだった・・というのを実証するようなライブだった。
途中、バイオリン奏者との共演や、エレック時代の「門下生」とのコラボなどを含め、たっぷり1時間半はやっていたのではないだろうか。

クラシックギターでのソロ演奏や、バイオリンとの共演シーンでは、フォーク居酒屋にいるということを忘れて、クラシック音楽のコンサートを見てる様なアカデミックなステージぶりだった。

その後、おもむろに「ここは(フォーク居酒屋だから)フォークをやらなければいけないんだよね?」と冗談っぽく言いながら歌い出したのは、なんと!
拓郎の「イメージの詩」だった。
まさか、あの浅沼さんが「イメージの詩」を歌うとはね・・・。
また、後には泉谷の「春夏秋冬」を歌うくだりもあった。



私は、浅沼さんのトークが興味深くて仕方なかった。

特に拓郎や泉谷とのエピソードには興味津々。

拓郎の「イメージの詩」に出てくる歌詞、「古い船には新しい水夫が乗り込んでいくだろう」という歌詞にまつわる話は、本当に面白かった。

「古い船」とは浅沼さんのことであり、「新しい水夫」とは当時の拓郎のことだったらしい。そんな思いで、拓郎がこの名曲を歌っていたとは・・。
「イメージの詩」の歌の秘話を、この日新たに知ることになった。

こんな話、浅沼さんの口からしか聞けないだろう。

浅沼さんがステージで、若き日の拓郎の姿を思い出しながら、しみじみと「拓郎は(男として)いい男だった・・」と語っていたのは忘れられない。
浅沼さんも相当「骨がある男」って感じだが、拓郎もまた「骨がある」男。
そのへんで、共感する部分があったのかもしれない。
だからこそ、若き日の拓郎が浅沼さんに、突っ張ったり、くってかかったりしていたとしても、「いい男だった」と言えるのかもしれない。


本当は、浅沼さんに、当時の音楽シーンのことをもっともっと聞きたかった。

私・・思うのだが・・浅沼さんに本を書いてほしい。
当時の音楽シーンを浅沼さんが回想する本でも出版されたら、相当興味深い内容の本になるだろう。

浅沼さんは、笑うと非常に柔和で人懐こい。
でも、その言葉の端々に、かつての大プロデューサーだった「らしさ」も見え隠れしていた。
笑った顔は「意外」なほど柔和だが、ステージングやトークでは「イメージ通り」のカリスマ性や「存在感」を感じた。

変なたとえだが、「担任であり、校長先生でもある」そんな感じ。


ともあれ、浅沼勇さんという「稀有な存在」をこの目で見れて、本当によかった。
長年気になってた「浅沼さんって、どういう人なんだろう」という興味は、この日、少し答えがでたような気がする。わずかでもね。

オーラのある人だった。
笑うと柔和で人懐こい人だった。
ファンに、気さくな人だった。
体型もスラッとして、髪の毛もフサフサ。本当に70歳?と疑った(笑)。
音楽的知識や素養にあふれたクラシックギタリストだった。
それでいて、遊び心もあるのが、ニクイ。
音楽の先生っぽい感じもした。
リーダーシップにあふれた人だった。
拓郎や泉谷をはじめとするエレックスターは、この人の門下生だった。
あんなに強烈な個性を持ったシンガーたちをまとめていくなんて、並みの手腕やセンスやリーダーシップじゃつとまらなかったことだろう。
彼らに負けないだけのパワーや強さや信念があったはず。
若いころは怖かっただろうな・・という感じもした。
若いころのカリスマ性は、今でも分かる気がした。

この方のまわりに・・拓郎、泉谷、ケメ、古井戸、生田敬太郎、ピピ&コット、海援隊、佐渡山豊、・・その他たくさんの才能が集まり、育っていったのか・・。そう思うと感慨深いものがあった。



浅沼さんの話が、もっと聞きたかった・・・。
トークをふんだんにまじえたライブが一番いいが、たとえ講演会でもいい。行きたい。


浅沼さんが今も元気で、その男気(?)も健在だったのを知り、安ど感もあったなあ。


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